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 棺の縁は、臭いが漏れないように厳重にビニールテープでぐるぐる巻きにされた。消臭剤やドライアイスを大量に入れることで、危惧した臭いはなんとか抑えられ、親族が葬儀に立ち会うことができたのが、せめてもの救いだった。
「僕は最後にかろうじて母に触れられたけど、父親や姉や弟は母の顔も見れなかった。彼らは一生悔やむと思うんです。死んだときにせめて手を握れるような状態であってほしかったです」
 和彦さんには、3歳になったばかりの息子がいる。息子さんの話を聞くと、「ようやく最近、言葉をしゃべり始めたんです」とホッとしたように笑みがこぼれる。母の孤独死を経験した和彦さんは、最愛の息子には自分が体験したような思いは絶対にしてほしくないと考えている。それは、遺された家族にとってあまりに辛すぎる体験であったからだ。
 和彦さんをときたま襲うのは、どうしようもない後悔の念である。
「あのとき母にこうしていれば……という後悔が、今考えると山ほどあるんです。母ともっとコミュニケーションを取っておけば良かった。それが一番の後悔です」
 和彦さんは、京子さんの死についてずっと自分を責め続けていた。その苦しみや痛みがこれでもかと伝わってきて、話を聞きながら心臓の辺りがキュッと締め付けられる思いがした。
 飛び回る蝿。ドカドカと家に入ってくる警察官。そして、息つく暇もなく行われる警察の事情聴取。遺体の本人確認。そして、ビニールテープでぐるぐる巻きにされ、二度と開けることのできない棺。何よりも苦しいのは、あのときああしていれば……という、悔やんでも悔やみきれない自責の感情だ。これが、孤独死のあった家族を待ち受ける紛れもない現実なのである。

 

人は死ぬとどろどろに溶ける

 ここで和彦さんを取材することになった経緯と、孤独死における特殊清掃の実態について少し話しておきたい。
 特殊清掃とは、事件事故などによって汚れたり傷んだりした場所の原状回復をはかる仕事だ。孤独死や自殺などが発生しそのまま放置された場合、腐敗の進行に伴って部屋などが体液や悪臭で汚染され、家主や近隣住民に多大な迷惑をかけることがある。そんな部屋の消毒・除菌、清掃・処分、遺品整理などを、遺族や不動産管理会社・家主から請け負っているのである。細菌・ウイルス対応の化学防護服に身を包み、防毒マスク、医療ゴーグルなどを装備して、民家やアパートの中を片付けている姿を、テレビや雑誌で目にした方も多いだろう。
 特殊清掃の依頼で、孤独死のケースは年々増えているという。
 私は本書を執筆するに当たって、特殊清掃や遺品整理などを行う業者に協力を求め、いくつかの孤独死の現場に入る機会を得た。
 そこでわかったことは、遺族の多くが家族に孤独死が起こったこと自体に驚き、汚染された物件を前にして途方に暮れている事実である。多くは一人暮らしの高齢または中年男性で、出不精のために部屋はゴミで散乱し、床か布団にどす黒い体液の塊があり、そしてその周辺に大量の蛆の蛹が集まっている。ある特殊清掃業者はそれを評して「人って死ぬとどろどろに溶けるんですよね。どんどん液状になるんです」と言った……。
 このような惨状を目撃するか、もしくは伝えられると、遺族の精神的なダメージと混乱が大きいことから、特殊清掃業者のフォローが非常に重要になる。特殊清掃の現場に行くたびに、遺族から「とにかく臭いを消してほしい」「部屋に入れる状態にしてほしい」など切羽詰まった電話が担当業者にかかってくる。電話越しとはいえ、遺族の動揺に接すると、ショックの度合いがよくわかる。
 和彦さんの体験は親族に孤独死が起こったときの典型的なケースと言えるが、家族や親族とのつながりが薄い場合だと、その後の状況はより悲惨なものとなりやすい。
 例えば、千葉県のマンションで80代の男性が孤独死していた事例では、居住している部屋からの応答がなかったため、警察官がやむなく窓ガラスを割って突入した。周辺住民から悪臭がするとの通報があり、警察が緊急性が高いと判断して、家主の許可を得て部屋のベランダ側のガラス戸を叩き割ってロックを外したのだ。遺族が遺体の状況を知らされるのはこれらの騒動が終わった後であり、周辺住民からのクレームを含め、ストレスフルな状況での対応にさらされる。体液の浸透は男性が亡くなっていたベッドだけで済んでいたが、ガラス戸の一部が段ボールで塞がれている様子は、外から見ても異様であった。
 神奈川県のマンションで50代の男性が孤独死していた事例では、マンション全体にまで腐敗臭が拡大しており、特殊清掃業者や遺族に対する風当たりは小さくなかった。男性は末期のがんで、業者が言うには、内臓疾患で死亡した場合、悪臭のレベルが通常よりきつくなるのだという。私も片手にあまるほどの現場にお邪魔したが、後にも先にもこれほどの悪臭がした現場はなかった。死亡した時期が夏場ということもあって、蝿やゴキブリの数は膨大で、当然だが見積もりもそれ相応の額が請求される……。
 繰り返しになるが、このような現実に直面してまともでいられる遺族はいない。
 まず、遺族が現場に来ないことが多い。一連の処理をすべて特殊清掃業者などに丸投げし、通帳や証券、現金などがあれば受け取るというパターンだ。現場に来たとしても、凄惨な状況を目の当たりにして言葉を失い、依頼した業者に最低限の指示をして帰るか、もしくは労いの言葉をかけるのが精いっぱいだと思われる。
 なんの縁もゆかりもない第三者からの取材など受ける心の余裕などあろうはずもない。
 私は取材を始めて間もないころから、孤独死が発生する背景について、遺族からの聞き取りが必要だと感じていた。しかし、孤独死をテーマにした多くのルポルタージュがそうであるように、遺族への立ち入った取材はなかなか難しい。遺体が放置された凄惨な現場というマイナスイメージもさることながら、故人と遺族を含む家族・親族が抱える問題にスポットを当てることになるからだ。普通、家族や親族の死などのプライベートな出来事に、赤の他人が首を突っ込んでくるなどとは誰も考えていない。残されたほうが被害者だと感じていることもある。家庭内暴力(DV)やアルコール依存症などが原因で離婚・別居したり、家族が疎遠になったケースであればなおさらだ。メディアに取り上げられること自体が、「非難」を含んでいるのではと勘繰られたり、「恥部」をさらされると認識することもあるだろう。
 遺族への取材は、その触れられたくない、封印してしまいたい過去を無理やり引きずり出す暴力的な行為だ。私が特殊清掃の現場でお会いした遺族の方に取材をお願いしても、「取材どころではない」と断られるケースがほとんどだった。
 それは当然の反応だと思う。
 しかし、遺族の話を真摯に聞くところから始めないと、孤独死が発生する様々な要因について知ることなどはできない。
 さて、どうしたものか……。正直、私は取材をスタートさせた段階で、大きな壁にぶち当たっていた。
 遺族への取材の糸口を掴めないまま、毎週のように孤独死の現場を回っていたとき、終活関連のネットワークを通じて、笠原勝成さんという方と出会った。
 笠原さんは千葉県を中心に遺品整理、特殊清掃を手掛けるリリーフ千葉ベイサイド店の共同代表である。
 早速会社にお邪魔して話をすると、笠原さん自身が孤独死に対して人一倍強い使命感を持っていることがわかった。笠原さんは、年々増え続ける孤独死の特殊清掃の依頼について、それを商売にしている立場からだと変な話であるが、なんとかしたい(なくしたい)と真剣に考えていたのである。
「私がやっている仕事は、本来はなくなるのが社会にとっては望ましいはずなんです。孤独死に慣れてしまうような社会は、健全ではないと思うんです」
 そのためには、孤独死の現状をできるだけ多くの人に知ってもらうことが必要だと考えていると述べ、取材にはぜひ協力したい、と申し出てくれた。
「なんとしても、遺族に話を聞きたいんです」
 そんな私に、笠原さんは「断られるかもしれませんが、私もできるかぎり協力しますので、ご遺族に取材について直接話されてみてはいかがでしょうか」と言ってくれた。

 

「孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル(第二章 遺された家族の苦悩)」は、全7回で連日公開予定