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 窓の向こうから乾いた音がした。呼ばれるように振り向くと、禿げた枝がかさかさと揺れている。枝先には小さな膨らみがあった。再び緑が芽吹くのは、あと一カ月ほど先だろうか。
 奥平千鶴は、しばし枯れた景色を見つめていた。ただぼうっと、窓の外に広がる世界に視線を漂わせていた。白い光が千鶴の顔に降りかかる。零れた幾筋かの光が、鼠色の机をちらちらと淡く照らす。
 ──あっ。
 禿げた枝から、一枚の葉が落ちた。最後まで頑張っていた銀杏いちようの葉は、ひらりと風に連れていかれ、枯葉の絨毯じゆうたんに交じることもなく、どこか遠くへ消えて行く。
 その光景に、千鶴の胸はじくりと痛んだ。
 世界は今日も取り換えられている。毎年、百数名が入れ替わる学校も、潰れては建て変わる町角のテナントも、芽吹き、色づき、枯れ落ちる銀杏並木も、その規則から外れることはない。新陳代謝。あるいは部品の交換。喩えるなら言葉はいくらでもある。それこそ換えの利く表現など数多あまたある。そのどれもが正しく意味を伝えてくれるだろう。
 世界は代替可能なものに溢れている。そのことを考えると、千鶴はいつだって呼吸の仕方がわからなくなる。
 いつか自分も取り換えられてしまう。漠然とした不安。
 自分がいなくなった世界がある。確信めいた恐怖。
 この焦燥は、千鶴の記憶の深くまで根を張っている。母親の化粧が、うんと濃くなった日。父親を名乗る他人が、家族になった日。母が自分を呼ぶ声が、「千鶴」から「お姉ちゃん」になった日。嫌っていた母から解放された時にさえ感じた、自分の代わりはいるという怖気。
 現在、彼女の前に座る人間も、今朝の若い男ではない。目の前の男は、神原という壮年の刑事で、肌には活力にたぎる油膜が張っていた。
「あなたのような若い方がねえ」
 品定めするような視線。じっとりと生臭さすら覚える目の動き。千鶴は反射的に顔を俯けた。前髪を重力に預け、顔の中央に壁を作りさえした。
 鼻梁びりようを斜めに走る傷痕を、隠したかった。
「改めて、奥平千鶴さん。あなたはあの団体と、有村康生と関わりがあったということでよろしいですね」
「はい。たしかに私はラッダイト運動に参加していました」
「ではなぜ、あなたはデモの当日、ひとり遠く離れた場所にいたのですか。団体にとって、非常に重要な日だったと思いますが」
「あんな運動で死にたくはなかったので」
「なるほど。そうですか」
 刑事の視線がタブレットの画面に落ちる。音声認識で綴られていく調書をなぞるように、目が左右に動いていた。
「あんな運動と言うわりに、あなたは組織の幹部だったそうですね。途中から合流したにもかかわらず、短期間にして有村の右腕とも呼ばれる存在になったそうじゃないですか。であれば、有村ともよく話したはずです。彼がなぜあのような騒動を起こしたのか。それだけでもお教えいただけないでしょうか」
「何度もお答えしていますが、私は有村さんではありません。有村さんの考えは、有村さんにしかわかりません」
「……そうですか」
 男は顎を撫ぜ、薄型のタブレットを操作した。指に付着した皮脂が、画面に七色の弧を描く。「じゃあ、話題を変えましょう」男は画面の汚れを気にせず、また画面に指を這わせた。
「昨年末、あなたが品川区八潮で行った機械ヒユーマノイドの不法投棄。こちらについて──」
「違います」
 刑事が言い終わる前に、千鶴は否定した。
「私は、不法投棄なんかしていません」
「そう言われましてもねぇ……」
 千鶴は刑事を睨んだ。引く気はなかった。
「私は、機械ヒユーマノイドなんか捨てていません」
「そうですか」
 男が唇をへの字に曲げるのに合わせ、千鶴はきつく唇を噛み締めた。
 なぜこの人たちにはわからないのだろう。わかってくれないのだろう。悔しさや哀しさが喉の奥の方で疼いてやまない。千鶴は、ただ証明したかったのだ。替えが利く社会のなかで、たしかに不変のものがあるということを。
 千鶴は唇を噛む力を強め、自分に言い聞かせた。泣くな。泣いてはダメだ。泣いてしまえば、自分の胸のうちにあるもの。怒りや哀しみ、それらすべてがただの液体に変わってしまう。それだけは世界に許してはいけない。この感情を塩水や音の揺れなんかに変えてしまってはいけない。許してしまえば、三年前から積み上げてきたこの心の痛みすら、なにか別のものに取って代わられてしまう。
 それだけは、だめなのだ。

三年前─2041年 5月

「労働を人の手に取り戻しましょう!」
 プラタナスの並木の下で、学生が数人騒いでいる。浅黒い肌のリーダーらしき男子学生が、
ひときわ大きな声を上げ、道行く人々に訴えていた。
 彼の隣には浮浪者のような中年男性が立っており、胸の前に『母は清掃業で私を高校まで出してくれました』と書かれた紙を掲げたまま、無気力に虚空を見つめていた。
「機械の労働力は増え過ぎました! いま、どれほどの職種が人の手にあるでしょう!」
 男子学生が喉をらして叫ぶ。多くの通行人はそうするのが当然のように、無関心のまま通り過ぎていく。歩道清掃ロボットだけが彼らの前で停止する。彼らの足元には落葉や土埃が堆積していた。
 並木道にはベンチが数脚並んでいる。奥平千鶴はそのひとつに座り、前髪の間から覗くようにその活動を睨んでいた。大学のキャンパスはこのところ、いつもこんな調子だ。
 千鶴は舌打ちをひとつ鳴らすと、手に持っていたフルーツサンドから苺を一欠片摘まみ取った。それをベンチの下にそっと落とす。みゃぁ、と掠れた声がして、ささくれだった心はわずかに和む。
「三十年前、アケノフィルムが倒産した時に、人々は気付くべきだったんです。いまやカメラメーカーも写真家もほとんど残っていません。あれから悲劇はずっと続いているんです。断言します。過度な科学の発展は人を救わない!」
 耳障りな演説だ。しかし、男の言う「科学の発展は人を救わない」という言説には頷くところもある。
 千鶴は顔に大きな傷を持っていた。鼻筋を斜めに裂くように走るそれは、熟れた柘榴ざくろのように赤く、ミミズのような柔らかな膨らみを帯びている。幼い頃に住んでいた都営アパートの脇を走る西武新宿線。その線路横を歩いている時に、どこからか飛んできた花瓶が刻んだものだ。誰が投げたのかは定かでない。いたいけな心を襲った痛みは、今では向け処のない怒りに転身している。
 千鶴にとってもう十年以上の付き合いになる呪いのような一筋ではあるのだが、実のところ、この傷痕を完全に消すことは難しいことではない。
 二〇三〇年代の量子コンピューター実用化に伴い、科学は学際的に広がり、有機的な繋がりを帯び、飛躍的な進化を遂げた。特に医療技術の進歩は目覚ましく、人類は生物としての限界を打ち破りつつさえある。これを医療革命R M Cと呼ぶと、千鶴は中学校の公民で習った記憶がある。その中でも日本の担った役割は大きいのだ、とも教えられていた。
 かねてよりロボット、サイボーグに対して拒否感の少ない文化を有していた日本において、サイバネティクス──つまりロボット工学と医療の複合領域が指数関数的な発展を遂げたのは、必然であったと言う人間さえいる。
「日本ではスカイネットもE. D. Iエ デ イも生まれなかったが、代わりに機械仕掛けのアスクレピオスを生み出す土壌を有していた」とは、三〇年代を代表する英国の映画監督の言葉である。独特な宗教観に加え、アニメ漫画文化が新世代医療の発展を促したという示唆は賛同も否定も多く呑み込み、鉄砲水の勢いで広がった。
 そしてその発展は、日本が日本であるがゆえ、道半ばで閉ざされる。
 千鶴もまた、その発展不良の影響を受けたひとりだった。
 高額な医療費のどこまでを税金で賄うか、どこまでを自己負担にするか、その議論は永田町なが たちように渦巻く濁流の中で延々と掻き回され、挙句決着を見ていない。脳信号で動かすバイオニクス義肢を筆頭としたB M Iブレイン・マシン・インターフエース技術はもちろんのこと、人工網膜、人工臓器などの再生医療も、先進医療技術として据え置かれ、一部症例を除き、ほとんどが自己負担を強いられている。
 科学の発展は貧乏人を救わない。ましてや、日本では。
 その言葉が流行ったのは、つい数年前のことだ。普段、他人の言説に対して否定から入りがちな千鶴も、その言葉だけは否定しなかった。
 平等に救わないのであれば、納得もできる。傷は消えぬもの。そうした共通認識があれば息もできる。けれど、そうじゃない。傷痕という部品は、美醜の問題のみならず、その人が貧困であることさえ世間に暴いてしまう。
 自発的な部品の取り換えを簡単に許してくれない世界を千鶴はひどく憎んだ。世界は多くを身勝手に取り換えてしまう。そのくせ本当に取り換えてほしいものは取り換えてくれない。鼻筋の傷は、今では身体に痛みを生むこともなければ、血を噴くこともない。しかし、千鶴の心を日々削っていく。