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 渋谷の和ビルは火災から三時間後にようやく鎮火した。まずは公安部が中に入った。冷めた目をした連中だった。たったの十分で中を見終えて、非常階段を下りてきた。出井を一瞥したのみで、藪に目を留めた。
「ああ。藪さんですか」
「爆破テロでした?」
「いや、ただの放火殺人のようです。では」
 出井は目をひん剥いて、立ち去る公安部を睨んだ。
「ただの放火殺人だと! そんな言い草があるか。被害者のことを考えたことがあるのか」
 藪は淡々としている。
「公安部にとっては、国家を揺るがす事件以外は全て雑魚なんだよ。さあ行こう」
 東京消防庁の火災調査官が中を案内してくれることになった。
「十五階はオフィスとして届け出されてますが、実際は住居として利用していたようです」
 和グループホールディングスの職員によると、小林和也が住んでいたという。
「もともと給湯室とトイレがあるだけの二百平米のオフィスだったんですが、かなり中を改築していますね。壁やキッチン、浴室を設けて、5LDKの間取りとして使っていたようです」
 廊下と思しき場所の突き当たりがリビングだった。三十畳もあるそうだ。
「南東側の壁が全て総ガラス張りに変えられていました」
 爆風で窓は半分以上が割れ落ちていた。消防士がブルーシートを張っている。
「爆破の直接の原因はこれですね」
 火災調査官がキッチンの床を指さした。卓上コンロで使用するガスボンベが散乱している。
「五十本ありました」
 なんのためにそんなにガスボンベを所持していたのだろう。白地に緑のラインが入っている。製造会社は、近畿ガス製造と記されていた。市販されているものには思えなかった。誓は主婦だったが、スーパーなどで見かけたことがない。
「爆破するために持ち込まれたものでしょうか」
 誓の質問に、火災調査官は首を傾げる。
「なんとも言えませんね。ただ火元はここではないんです。目撃証言からしても、火が先に出たあとに爆発音がしたということです」
 爆破が理由の火災ではなく、ガスボンベに引火したことで爆破が連鎖して起こったということか。
 仕事部屋とシアタールーム、和室がある。これらの部屋は扉が爆風で吹き飛んでいたが、中にはさほど火が回っていなかった。
「和室に日本刀でも飾ってあればな」
 出井が嫌味ったらしく言った。床の間にはなにも置いていない。
「結局、小林和也はマルBだったのか?」
 出井が藪に尋ねた。
「調査中」
「所有者名がわかってからもう二時間だぞ。警察庁のデータベースに入って検索すれば一秒で出てくるんじゃないのか?」
「なにかある。だから情報が遅いんでしょ」
 火災調査官がダイニングのすぐ裏手にある部屋に案内した。焼け焦げた扉が蝶番ちようつがいにぶら下がり、室内は真っ黒だった。
「ここが火元ですね。寝室だったと思われます。危険ですので、ここは立入禁止です」
 十二畳くらいはありそうだった。真っ黒に焦げたスプリングが見えた。
「キングサイズのベッドがあったようですが、マットレスも布団も灰です。ここが最も燃え方が激しいので、火元でしょう」
 簡易検査で、灯油が撒かれていたことがわかっている。近くには黒焦げのライターも見つかったという。
「死体は?」
「一体も見つかっていませんが――」
 火災調査官が、すぐ隣にある浴室をのぞいた。爆風で扉が吹き飛んだだけで、火は回っていなかった。洗面台が血塗れだ。大理石の下の収納扉に幾筋もの血が垂れて、床に血だまりを作っていた。
「これは致死量に近い出血があったように見えるね」
 藪が呟いた。
「あれを見てください」
 火災調査官が火元の寝室に戻り、身を乗り出して、扉の並びの壁を指さした。ダマスク調の壁紙に黒い煤が付着している。
 そこに赤いペンキで、アルファベットのような文字が描かれていた。ベトナム語だと火災調査官は言った。
『giet』
 殺す、という意味らしい。

 

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