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 タクシーで渋谷に急行した。宮益坂の中腹の路地裏に、煙を上げる雑居ビルはあった。すでに宮益坂には消防車両や警察車両が集結し、騒然としている。上空には報道ヘリが飛び交って、やかましい。警察官が野次馬を追っ払う。ここから現場のビルは見えないが、青空に黒い煙がもくもくとあがっている。ガスのような臭いが鼻をついた。
 誓はハンカチを口元に当て、規制線前を守る制服の警察官に警察手帳を示した。藪に続いて、中に入る。郵便局の先を進んだあたりから、道路に物が散乱していた。爆風で吹き飛ばされた書類やガラスだ。現場保存のためか、鑑識係が札を置いて写真を撮っていた。
 道路に消防ホースが伸びている。獲物を丸のみした蛇のようにでっぷりと中に水が通っている。
 路地をひと区画進んだところで、人だかりに出くわした。外国人が二、三十人、ひとかたまりにされている。アジア系の外国人だった。
 爆破のあったビルには日本語学校が入っていた。この一角に集められているのはその学生たちだろう。
 混乱の中を突き進み、次のブロックに到着したところで、更にガスのにおいがきつくなった。第二規制線が張られている。その向こうにいるのは銀色の防火服の消防士ばかりだ。鎮火するまで警察は進めない。誓や藪と共に引き返した。
 建物と建物の隙間から、放水が作る虹が見える。
 留学生が集まる一角では、捜査一課の刑事たちが聴取を始めていた。
「ふん。出しゃばり捜査一課に先を越されたか」
 マル暴と刑事部捜査一課は、仲が悪い。特に『四課プライド』を引き継ぐ暴力団対策課は、暴力団が絡む事件にならなんにでも首を突っ込む。それが殺人事件だった場合は、捜査一課も捜査本部に入るため、主導権争いが起こる。
 マル暴は内偵と情報提供者からの情報で犯人の目星をつけて家宅捜索し、証拠を積み上げていく。現場の遺留品、目撃者情報、被害者の人間関係から犯人を特定していく捜査一課とでは、捜査の過程でぶつかりやすいのだ。
 ひとりの捜査一課の刑事が、近づいてくる。
「なにしにきた。爆破事件の現場だ。マル暴関係ねーだろ」
 藪は建物の屋上を指さした。『なごみグループホールディングス』と横文字の大きな看板が出ていた。
「企業名の横の代紋を見て」
『和』の文字が笹の葉に囲まれている。
「これ、日本最大の特別指定暴力団、吉竹組の代紋にそっくりよ。いま吉竹組は本家と関東に分裂しているけど、どちらも同じ代紋を使っているから……」
「根拠はそれだけか!」
 捜査一課刑事が大袈裟にズッコケて見せた。
「これだからマル暴は。もっと緻密に現場の証拠を積み上げてからモノを言え」
「いまこのビルの所有者を調べてる。中にはいつ入れるの?」
 捜査一課刑事は首を横に振った。
「残念だが、公安部殿が先だ。消火活動が終わるのを、最前線で待ち構えている」
 誓に気づいた。新人かと藪に尋ねる。誓は自己紹介し、名刺をもらった。出しゃばりだから出井いでいという苗字は覚えやすい。
 藪は改めて、煙を上げるビルを見上げる。
「ま、爆破だからねぇ。国家を揺るがすテロなら公安に主導権を譲るしかない」
 公安部とマル暴は、仲は悪くない。捜査手法が似ているからだろう。特に極右暴力集団を担当する公安三課とは情報共有する仲だ。暴力団と右翼は近い存在だ。内偵対象が重なることも珍しくない。
 鎮火を待つ間、ビルに入居する企業の情報が東京消防庁から入ってきた。
「一階から五階が日本語学校のジャパンゆうあい。六階から九階はアジア技能研修協同組合だって」
 誓はスマホで検索してみた。
「技能実習生を受け入れる監理団体みたいですね」
 アジア人労働者が笑顔でフォークリフトを運転している画像がトップページに出てきた。『私達は技能実習生を支援する優良監理団体です』と記されていた。
「十階はタイ古式マッサージ店。十一階は中国式整体店、十二階はフィリピンパブ」
「いっきに風俗ビルじみてきましたね」
 十三階から十五階は、和グループホールディングスの本社のようだ。
「どこに暴力団事務所が入っているって?」
 出井がバカにしたように笑った。
 ビル所有者の情報が連絡係の丸田から入ってきた。電話をしたまま、藪が説明する。
「ビル所有者は小林和也こばやしかずや、四十五歳。和グループホールディングスの会長であり、日本語学校ジャパン友&愛の理事長だった」
 現在、本人と連絡が取れない状況らしい。
 免許証写真のデータが送られてきた。よく日に焼けて、髪を茶色に染めてパーマをかけている。頬がこけているせいか四十五歳にしては老けてみえた。
「で、この小林和也。マルB登録は?」
 藪が電話の向こうを急かしたが、曖昧な返事しか返ってこないようだ。暴力団員として登録されているのか否かの二択しかないのに、なぜもたついているのだろう。