今月のベスト・ブック

装幀=早川書房デザイン室
装画=agoera

われら闇より天を見る
クリス・ウィタカー 著/鈴木 恵 訳
早川書房
定価 2,530円(税込)

 

 すごいなあ、クリス・ウィタカー『われら闇より天を見る(鈴木恵訳/早川書房)。これは、30年前に幼子をひき殺して収監された男ヴィンセント・キングの、懺悔の人生の記録であり、その幼なじみでいまは郷里で警察署長になっているウォークとの友情の物語であり、さらにこの2人が付き合っていた女性たち、スターとマーサ、十五歳の彼らのたった一度の夏がまぶしく語られていく小説でもある。

 それから30年たって、スターは飲んだくれ、キングは刑務所にいて、マーサは弁護士、ウォークは警察署長と、みんな別々の人生を送っている。キングが出所してきて、新たな事件が起きて、その犯人捜しにウォークが奔走するというかたちで進行していくから、もちろんミステリーである。英国推理作家協会賞を受賞しているからといって、すべてが傑作というわけではないが、これはまぎれもなく傑作ミステリーだ。

 しかしここまで、あえて書いてこなかったことがある。この物語の重要人物を1人、意識して省いてしまった。それがダッチェス・デイ・ラドリーだ。スターの娘、13歳の少女である。いろいろ読み方の出来る小説だが、このダッチェスが圧倒的な存在感を放っている。母親は飲んだくれていて、弟はまだ幼いので、この13歳の少女がひとりで家庭崩壊を防いでいるのだ。

 たとえば冒頭近く、母親が救急車で運ばれるシーン。「死んだの」と声をかけてきた地元の人間に、「おまえこそ死ね」とダッチェスは言う。おお、もっと書きたいがキリがないのでやめておく。ダッチェスはたった1人で世界と戦っているのだ。

 クリス・ウィタカーの『消えた子供』(峯村利哉訳/集英社文庫)を急いで読んだ。『われら闇より天を見る』がこの著者の初紹介ではなく、デビュー長編が2018年に翻訳されていたのである。『われら闇より天を見る』のようなすごい作品がいきなり生まれるわけがない。もっと以前からその萌芽があったのではないか。だったらそれを確かめたい、と思ったわけだが、どうやらそれは必要なかったか。英国推理作家協会賞新人賞を受賞したその『消えた子供』は、3歳の子供がある日消えた事件を描くミステリーで、たしかに読ませはするものの、『われら闇より天を見る』のような、ぐんぐんと読者を引きずり込む力はやや欠けている、と言わざるを得ない。いや、それは『われら闇より天を見る』がすごすぎるからで、『消えた子供』が退屈というわけではない。今月は、年間ベスト級の傑作『われら闇より天を見る』に自信の◎をつけたい。

 というわけで、あとはおまけ。たぶんこれを超えるものは今月他にないとは思うものの、とりあえずあと2冊だけ読んでみる。まず最初は、ケイト・クインローズ・コード(加藤洋子訳/ハーパーBOOKS)だ。ケイト・クインといえば、あの『戦場のアリス』の作者である。今度の『ローズ・コード』は、第二次大戦下の英国に政府の暗号学校があり、そこを舞台にした長編で、この設定だけでも興味が尽きない。主役となるのは、ドイツの暗号を解読するために集められた3人の女性たち。社交界の令嬢オスラ、下町育ちのマブ、さらに内気な娘ながらパズルの名手ベス。この3人の数奇な運命を描いていく。

 その第二次大戦下の英国と、戦後の英国が交互に描かれていくのも特色で、戦後編のほうではベスが何者かに捕らわれている。暗号学校には裏切り者がいて、どうやらその謎の人物に捕らわれているようだ。で、オスラとマブに助けを求めるのだが、この3人には何か仲違いするわけがあったようで――となっていくのだが、なかなか読ませる小説ではあっても、問題は長いこと。全体が750ページもある物語なのだ。通常の小説の2冊分といっていい。これではいくらなんでも長すぎる。最後の150ページになって激しく動き始めるが、もっと早く動き始めてほしかったと思う。

 今月の最後は、デイヴィッド・ヘスカ・ワンブリ・ワイデン『喪失の冬を刻む(吉野弘人訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)。こちらは異色のハードホイルドだ。何が異色かというと、先住民族の居留地を舞台にした長編で、主人公も恋人も犯人も、登場人物の大半が居留地内に住む人間なのである。

 主人公のヴァージル・ウシンデッドホースはラコタ族の処罰屋だが、この処罰屋という職業そのものが居留地の特殊性なしでは語れない。というのは、居留地内には部族警察があるが、この部族警察は万引きや迷惑行為などの軽犯罪しか起訴できないというのだ。白人は、先住民が先住民を裁く権利を取り上げたのである。重犯罪はすべてFBIが担当するが、問題はそのFBIが目立つ事件は取り扱うものの、性犯罪や暴力的な犯罪などは野放しなこと。つまりレイプ事件が起きてもレイプ犯は捕まらないのだ。そこで居留地内では報酬をもらって犯罪者を痛めつける処罰屋が求められる、というわけだ。

 そのヴァージルが、居留地内でヘロインを売る勢力を相手に獅子奮迅の活躍をするのが本書で、この主人公がもう少し個性的であったらもっとよかったと思う。

 というわけで今月は、クリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』に断然の◎だ。