今月のベスト・ブック
『嵐の地平』
C・J・ボックス 著/野口百合子 訳
創元推理文庫
定価 1,386円(税込)
いやあ、快調な幕開けだ。最初から息つく間もなく怒濤の展開が始まるのだ。まず、猟区管理官ジョー・ピケットが21羽の死んだキジオライチョウを発見する。キジオライチョウはかつては多く生息していたが、最近はその数が減っているので、魚類野生生物局は絶滅危惧種に指定すると脅しをかけている。もしそうなったら、何十万エイカーの土地がどのようにも使用できなくなり、牧場主、開発業者、ほかのあらゆる人々に大きな影響が出る。そうならないために、なんとしても犯人を即刻見つけたい――というところに、郡の保安官リードから電話がかかってくる。ジョーの次女エイプリルに似た女性が意識不明で発見されたという。何者かに激しく殴られたらしい。エイプリルはロデオ・カウボーイのダラスと駆け落ちしていたので、まっさきに疑うのはそのダラスだ。ところがダラスは大怪我をしてしばらく前から家にいると両親が証言。何だか怪しい一家だが、とりあえずは引き返さなければならない。その間、キジオライチョウの殺害現場でジョーが発見した数々の証拠を送ってくれと魚類野生生物局員ウェントワースから催促されるものの、エイプリルの容体も心配だし、そんなことをしている暇がなく、ウェントワースは怒りだしてしまう。そのうちに、エイプリルを自分の車につれこむところを目撃されたカドモアという男が容疑者としてクローズアップされてくる。で、そのカドモアのところに急行すると、せっかく警察に同行することを説得したのに土壇場で、ものすごい轟音とともに20トンの軍用MRAPがやってくる。これはイラク戦争のために製造されたもので、50万ドルの国家予算を費やしたというのに、戦争後は郡のほかの警察同様に、この地の警察にも1台無料で与えられたもの。警察署長はこれを使いたくて仕方がないのだが、リード保安官はその使用を断っている。それが連絡ミスなのか、ウィリアム署長の抜け駆けか、カドモア逮捕(いや、まだ逮捕じゃないな)の現場に現れるのである。おかげで現場は大混乱――というのが100ページちょい。全部で460ページもある長編なので、まだ物語は始まったばかりだが、紹介はここまでにしておこう。この直後にネイトが登場して、とんでもない危機に直面するのだが、それもここでは書かないでおく。
ここまで書名も書かずに内容を紹介してきたが、C・J・ボックス『嵐の地平』(野口百合子訳/創元推理文庫)だ。猟区管理官ジョー・ピケットを主人公とするシリーズの第15作である。ここで書いておきたいのは、これまでのシリーズ作品を未読でも、十分に楽しめるということだ。ジョーの次女エイプリルがどういう事情でジョーの養女となったのかも、本文の中で紹介されるので、ご安心。説明されないことは特に知らなくてもいいことなのだ。初めて読む方にこそ、この長編をおすすめしたい。特に、アクション小説愛好者には絶対のおすすめ。
最後に1つだけ。謎がシンプルだとの指摘があるかもしれないので書いておく。アクション小説は、その活劇のディテールこそが問われてほしい。誤解をおそれずに書くならば、誰がエイプリルを殴ったのか、ということはさして重要なことではないのだ。そういう事態に直面したとき、ジョーや家族やネイトがどういう行動を取るのか、そちらのほうが重要なのである。ラストの緊迫したアクションを読まれたい。うまいぞホントに。これが、C・J・ボックスだ。
今月の2冊目は、シャルロッテ・リンク『裏切り』(浅井晶子訳/創元推理文庫)。父親の惨殺死体が発見され、娘のケイト(ロンドン警視庁の刑事)が帰郷して調べはじめるという話である。地元の警察官の、1人ではなく複数が問題を抱えているとの設定に、おやっと思いながら読み進む。このケイト自身にも問題があり、なんだか落ちつかない。さらに、養子縁組で親子となり幸せに暮らしていた家族の前に、実の母が現れて、しかも不気味な男を連れているから(何が目的なのかわからないところがイヤだ)途端に雲行きが怪しくなる一家がいる。つまり、父親殺しの犯人を捜すケイトの話と、幸せな一家を襲う不幸の連鎖。この2つの話を中心に置いて、捜査官たちのさまざまな私的生活が描かれていくのだ。
それが退屈だとは言わないが、詳しく書くとネタばれになるのでここには書かないものの、余分な挿話が少なくない。物語の味付けという範囲を大幅に逸脱しているように思う。だから長くなるのだ。もっと刈り込めば、すっきりしただろうに、という気がして仕方がない。
今月の3冊目は、デイヴィッド・ブランズ&J・R・オルソン『極東動乱』(黒木章人訳/ハヤカワ文庫)。「新時代のトム・クランシー」という帯の惹句を見ずに読み始めたのが失敗。この帯コピーは正しい。したがって、クランシー的小説をお好きな方なら楽しめるかもしれない。しかし私は、クランシーは張りぼてスリラーの大家だと思っているので、そう考えている人には無縁の小説だ。読み始める前に帯コピーを見ること――改めてそう思うのである。というわけで、今月の推薦作は文句なしに『嵐の地平』。ところでシリーズ第2作が電子書籍だけで翻訳されているのだが、これを読む方法はないのだろうか。