今月のベスト・ブック

装幀=坂野公一(welle design)
写真=©Shutterstock.com

『捜索者』
タナ・フレンチ 著/北野寿美枝 訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
定価 1,782円(税込)

 

 クワイ・クァーティ『ガーナに消えた男』(渡辺義久訳/早川書房)の冒頭に出てくるガーナの大統領官邸は、次のように書かれている。

「その官邸は、アシャンティ族の支配者が坐る黄金のストゥールを模して造られたものだった」

 ようするに立派な建物だということなのだが、アシャンティ族の威厳はいまでもこうやってガーナに伝えられているのかと感慨深い。というのは、1979年に翻訳されたA・ヴァスケス・フィゲロア『アシャンティ』を先日再読したばかりだったのである。もう覚えている人は少ないと思うけれど、フィゲロアはあの傑作『自由への逃亡』(こちらは1978年に翻訳)の作者だ。

 訳者あとがきには、ガーナというとカカオを思い浮かべるとあるが、私はこの『アシャンティ』を条件反射的に思い浮かべるのだ。『ガーナに消えた男』の著者はガーナ系のアメリカ人作家で、彼の作品はどれもガーナを舞台にしているという。この作品以降も翻訳が続くかどうかはわからないけど、出来ればこの作家の作品をもっと読んでみたい。

 本書はインターネットによる国際的な詐欺を描いた長編で(これは実際にあるという)、背景に呪術があるというのが興味深い。インターネットと呪術、という組み合わせが妙に現代っぽい。被害にあった男がガーナにやってきてそのまま失踪。それを追ってきた息子に頼まれて、ガーナの女性探偵が調査するという話なのだが、ミステリーとしてはややシンプルではあるものの、警察が汚職まみれで信用できず、ぐちゃぐちゃになっている街の様子が興味深い。

 今月の2冊目は、ベルナール・ミニエ『姉妹殺し』(坂田雪子訳/ハーパーBOOKS)。マルタン・セルヴァズ警部を主人公とするシリーズの最新作だ。これまでに『氷結』『死者の雨』『魔女の組曲』『夜』と4作翻訳されていて、今回が第5作。これまでの作品を読んでいるのかどうか、記憶が定かでない。第一作は読んでいるような気もするが、その後は未読なのではないか。しかしかまわず、この『姉妹殺し』を読む。

 なぜなら以前、当欄にも書いたことがあるが、「シリーズものは最新作を読め」というのが最近の主張だからだ。シリーズものは第一作から順に読まなければならない、という考え方を変革したいのである。そりゃあ、第一作から順に読むほうがいいだろうが、すべてのシリーズものを第一作から読むのは現実的には不可能だ。となると、シリーズものの途中の巻で、面白そうだなと気がついても最初の巻から読むのは大変だな、と読むのをためらってしまう。そのときがまだ2巻目なら遡るのも楽だからいいけれど、既刊本が5巻や6巻になったら、遡るのは現実的に難しいのだ。他にも読まなければならない本がたくさんあるのだ。そうすると、読者の数がどんどん先細りになって出版界にとっては大きな痛手といっていい。だから「シリーズものは最新作を読め」という運動(?)を昨年から始め、機会あるたびにこうして書いている。それに、すぐれた小説は途中から読んでもわかるようになっている。考えてみれば、あのカリン・スローターだって私が読み始めたのは第3作の『ハンティング』からだった。それでも面白さは十分に伝わったのである。

 たとえば、この『姉妹殺し』でも、途中で何度も、そういうことが過去にあったんだなと思う箇所が幾つか出てくる。詳しいことはわからなくても、シリーズの大枠はぼんやりと見えてくるのだ。なんだか激しい物語があったようだ。今回はセルヴァズの新米刑事時代が描かれるので、訳者あとがきにもあるように、本書から読んでも十分に楽しめる作りになっている。

 その回想シーンで描かれるのは、美しい姉妹が異様な姿で殺される事件だ。その25年後に、以前の事件を彷彿するような殺人事件が起きて、いまやベテラン刑事となったセルヴァズの捜査が始まっていく。きわめてオーソドックスな警察小説で、気がつくと物語の中に引き込まれているからなかなかにうまい。セルヴァズの私生活のさまざまな面が物語の味つけになっていて、これも読ませる。遡るかどうするか、ただいま思案中。

 過去の作品に遡ることが決定したのが、タナ・フレンチ『捜索者』(北野寿美枝訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)。とはいっても、これがシリーズものの途中の巻というわけではない。単発作品だ。訳者あとがきによるとこれが8作目。日本ではそのうち過去に3作が翻訳されていて、これが4作目。それ以前の3作を私、未読なのである。これは急いで読まなければならない。

 主人公はシカゴ警察をやめてアイルランド北部の小さな村にやってきたカル。廃屋の修繕をしながら暮らしていたが、行方不明の兄を捜してほしいと地元の子供に頼まれて調査していく話である。悠然とした筆致がまずいい。細かなことはいっさい省くけれど、なによりも素晴らしいのは、謎を解くだけで事態は解決しないという構成だ。大切な人を失った心の痛みを克服しなければ前に進むことは出来ない。では、どうするか。

 遠く離れたアメリカに住む娘と電話するラストシーンで、愛しさが一気に噴出して熱いものがこみ上げる。今月の◎だ。