「先輩はいつから気が付いてたんですか? 氷室が事前に白票を入れるように呼び掛けてたって」
「そうだなあ。まずひっかかったのは白票の数かなあ」
「白票の数、ですか?」
「あれ、キミは違うの? ならなんで、氷室君が犯人って気がついたの?」
「消去法ですよ。鴻巣先輩があれだけ必死に一つ一つ考えていって分からないんだから、きっと投票後の不正は無理だったんだろうって思っただけです。票の操作ができる奴なんて、実際に立候補してる氷室くらいだろうと思いました」
「なるほど。でもそれって、証拠なんてなくない?」
「可能性を排除していった結果、ですよ」
「ま、確かにね。証拠なんてなくても、氷室君なら聞けば話してくれそうだしね」
 なるほどなるほど、と佐竹先輩は納得したようだった。キミらしいね、と頷く。
「ところで話は戻るけど、白票の数ってさ、何票だったか覚えてる?」
 あれを覚えられるものなのか。
「いえ、覚えてないです」
「うん、あたしも」
 うっかり本気で尊敬しそうになってしまった。実際、佐竹先輩はとても勉強できることは知っているのだけれど。
「でも、一番多かったのと、一番少なかったのは覚えてるんだ。一番多かったのは二年三組、一番少なかったのは一年一組。各学年で見ると、二組も少なかったけど、一組が圧倒的に少ない傾向がわりと顕著にあったと思う」
 黒板に書かれた数字を思い返してみるが、佐竹先輩の文字が右肩上がりだったことしか思い出せない。
「白票の数を見てまず分かったのは、愉快犯が投票後に入れ替えたわけじゃないってこと。だってもしそうだったら、各組ばらばらの票数を白票にする意味って無いし、そんな作業時間もないし」
 簡単に言うが、この時点で昨日の議論の大半が無駄だったことになる。一体何を思って昨日あの時間を過ごしていたのだろう。
「なら、誰かが意図を持って白票を入れるように、事前に働きかけてたんじゃないかなあって。次に、さっき言った白票の傾向のことだけど」
 いたずらっぽい笑みを湛えて、僕を見上げる。「清瀬、分かる?」
 一番多かったのは二年三組、一番少なかったのは一年一組だったと佐竹先輩は言った。各学年で見ると、一組が少ない傾向があった、とも。
 一組と他クラスの差は何か? 一組の担任は全員ベテランとか、生徒に眼鏡が多いとか、それから……。
「一組は運動部が少ない」
 僕の言葉に、佐竹先輩は膝を打った。
「そう。あたしも一組が白票が少なかったのは、それと相関してるって考えたんだ。二組も少なかったけど、それも運動部が少ないせいだってね。そう考えるとこうも言える。『白票を促したのは運動部に発言力のある人の可能性が高い』。しかも白票が多いのは二年だから、犯人は二年生じゃないかって。それってもう、氷室君くらいしかいないよね」
 確かに、と唸らされる反面、気になったことがあった。僕の言葉にはわずかな反骨心も見え隠れしていたかもしれない。
「確かにそうですけど、それもあくまで傾向の話ですよね。先輩にも、確たる証拠って無いんじゃないですか」
「無いに決まってるじゃん」
 一笑に付された。
「だったら……」
「あたしが気づいたのはキミのことだよ」
 佐竹先輩の口調はいつだって弾むように爽やかだ。その嫌みのなさが、今は妙に五月蠅い。きっと足早な夏の気配のせいだ、と思う。
「まず気が付いたのは、キミのことだよ、清瀬。会議の時のキミの意図に気が付いたのが最初」
 グラウンドでは中距離ブロックの部員がトラックを駆け抜けている。まだ今日のメニューも序盤だ。足取りも軽い。早く追いつかないと、と思う。追いついても、全てのメニューをこなすのは間に合わないかもしれない。
 けれど追いかけないと、置いて行かれてしまうだけだ。
「僕の意図、ですか。そんな仰々しい言い方されると、なんだか、責められてるみたいですね」
「ごめんごめん。いや責めてるとかじゃなくて、やっぱり清瀬らしいなあと思ってさ。……さっきの話では、キミが犯人が氷室くんだって気が付いたの、結構後になってからなんだよね。それなのに、昨日の会議では珍しく最初から発言してた」
 僕が一瞬、佐竹先輩に視線を戻した隙を逃さずに、彼女は言葉を差し込んだ。
「本当は犯人なんてどうでもよかったんでしょ?」
 彼女はゆっくりとのびをする。目を逸らしたのは、そのシャツの隙間の肌色が一瞬目に入ったからだ。それ以上の理由はない。
「キミは最初から、いかにして『不正投票があった』として会議を収めるか、それだけを考えてたんじゃない?」
 もう何度、この声色に論破され、感化され、窘められてきただろう。
 口を開くと、乾いた喉が痛んだ。蝉の声にかき消されてもいいな、と思いつつ、
「そんなことしても、僕に何のメリットもないですよ」
「ユウ君を守ろうとしたんだよね」
 と、彼女は優しく言った。
「氷室君の応援演説をした、キミの幼なじみのユウ君を」
 本当に五月蠅い。
 蝉の話だ。
「最初に氷室君がいじめられているかって話が議題になった時、キミは真っ先に否定した。だって、もしそれが肯定されてしまえば、あるいは議論がうやむやになって選挙は成立するって結論になったら――、そうすると、一番傷つくのはユウ君だもん」