押さえつけるような不快な暑さ、煩い扇風機、生徒会室の前を通り過ぎる放課後の談笑。この状況で選挙管理委員会のことを真剣に考えている生徒がいたとすれば、すぐに陸上部へ勧誘する。きっとレースの後半に捲るような、我慢強いランナーになる。
「諏訪野先生が言った『こういうのが得意』って、どういう意味なんでしょう?」
 机の下で参考書を開く佐竹先輩に、僕は小声で尋ねる。佐竹先輩は目元に落ちた髪をかき上げて、短く答えた。
「鴻巣が犯人を見つけたのよ、退学者の出た例の盗難事件。さながら名探偵ってところだね」
「では早速、事件の概要を確認していきたいと思います」
 名探偵の声は清涼感のある凜とした響きだった。蒸し暑さで弛緩した空気を、一直線に切り裂くようだった。
「確かに、これは不正があったと見るのが妥当でしょう。が、そう結論づけるには、何が起こったのか、明白にしなければなりません。まずは、今日の投票の流れを時系列を追って確認していくことが必要だと考えます。佐竹さん?」
「……んん、なに」
 参考書を眺めていた佐竹先輩は、少し遅れて返事をする。
「申し訳ありませんが、今から諸処の事項を確認していきますので、板書をお願いします」
「え、あたし?」
「お願いします」
「……ま、いいけどさ」
 この場面だけで、鴻巣先輩の人となりが垣間見える。こっそり本を読んでいる佐竹先輩をあえて指名する、そういう人物なのだろう。
 うーん、面倒なことになりそうな気がする。
 さて、と人差し指で眼鏡を押し上げる鴻巣先輩の仕草は、感心するほど堂に入っていた。本人も名探偵であることを自負していて、そしてそうあろうとしている所作だった。
「体育館での演説が終了したのは十六時頃でした。その後、投票のために全生徒が教室に帰りました。選挙管理委員は体育館で、諏訪野先生から白紙の投票用紙と空の投票箱を受け取りましたね。そして……、その後はどんな感じでしたかね?」
 鴻巣先輩はチョークを弄んでいる佐竹先輩に話を振る。
 佐竹先輩はため息交じりに短く応じた。「教室で選挙管理委員が投票用紙を配布、投票用紙はその場で記入、そして鍵のかかった指定の投票箱に入れて回収」
 そうでしたね、と鴻巣先輩は鷹揚に頷く。
「投票にはおおよそ十五分程度かかったでしょう。そしてその後、選挙管理委員が投票箱をこの二階の生徒会室へ運んできた。ちなみに一番最初に来たのは、誰でしたか?」
「わたしです」
 手を挙げたのはちなつだった。
「何組ですか」
「二年三組です」
 この学校は、希望進路でクラスが分けられている。難関国立大学を目指すのは一組で、大抵の変人はこの一組だ。佐竹先輩も一組だが、難関大を目指す一組で運動部に入っている時点でわりと変人といえる。一組の生徒のほとんどは、文化部や帰宅部でやり過ごすのが通例だ。中堅国立大学進学を目指す二組の生徒も文化部や帰宅部はいるが、一組ほど顕著ではない。
「その時、生徒会室の鍵はかかっていましたか?」
 鴻巣先輩の指摘に、ちなつは頭を振った。
「いえ、開いていました。中には諏訪野先生がいました」
「ああ、そうだったな」
 鴻巣先輩の視線に、諏訪野教諭が応じる。
「いつ頃彼女は来ましたか」
 鴻巣さんは、教師に尋ねる際も落ち着き払っている。
「十六時二十分頃だった。ちなみに投票箱を全部回収したのは四十分くらいだったな」
「なるほど。その後、各クラスでホームルームをした後、再度開票のためにこの部屋に来たわけですが、この時はどなたが最初に来ましたか」
「それもわたしです」
 ちなつを見ていると、そこまではきはきと対応していて疲れないか、こちらが心配になる。
「諏訪野先生と途中で出会って、入った時は十七時の五分前くらいだったと思います。ですよね?」
「ああ、大体そうだったと思うぞ」
 少しの沈黙。
 ふと口を開いたのは佐竹先輩だった。軽い調子で、西日の射す生徒会室に言葉を投げる。
「とりあえず、今までのところ板書したからさ。それで確認してみようよ」
 黒板に目をやる。若干右上がりになってる癖が、どこか佐竹先輩らしい。佐竹先輩のまとめた板書の隣に、開票時にまとめた各クラスの白票数がある。

(1)十六時……演説終了。選挙管理委員が諏訪野先生から投票箱と投票用紙受け取り教室へ(於 体育館)
(2)十六時五分~十六時二十分頃……投票(於 各教室)
(3)十六時二十分頃~十六時四十分頃……投票が終了し、選挙管理委員が生徒会室へ投票箱を移動(最初に来たのは二年三組)
(4)十六時四十分頃~十六時五十五分頃……HR(於 各教室)
(5)十六時五十五分頃~……開票作業(最初に来たのは二年三組)(於 生徒会室)

白票の数
 一年一組……一/四十
 一年二組……三/四十
 一年三組……十五/四十
 一年四組……十八/四十
 一年五組……十三/四十
 一年六組……十六/四十
 二年一組……六/三十九
 二年二組……十五/四十
 二年三組……三十五/四十
 二年四組……三十一/四十
 二年五組……三十/四十
 二年六組……二十九/四十
 三年一組……二/三十八
 三年二組……十/四十
 三年三組……十三/三十九
 三年四組……二十三/三十九
 三年五組……二十一/三十九
 三年六組……十五/三十八

「ではこれを使って、不正があった可能性が低いところを省いていきましょう。残ったものが真実。それが推理の鉄則です」
 不思議だ。
 鴻巣先輩の言葉を聞いていると、ドラマの中にいるような気分になる。名探偵らしい気障な言い回しも、彼女の人形のように整った容貌から零れると、全く不自然ではない。むしろ、なるほどと納得させられてしまう。
 人形のように整然とした彼女は、果たして僕たちをどこへ連れて行ってくれるのだろう?