「では検討に移りましょう。
 まず分かりやすいのは『(1)演説終了』時と『(5)開票作業』時でしょう。(1)の検討としては、選挙管理委員が投票用紙を受け取った時点で、投票用紙あるいは投票箱に何らかの不正があったかどうか考えねばなりません」
「投票用紙に不正? どういう意味だ?」
 苦虫を噛み潰したような顔つきなのは、諏訪野教諭だ。鴻巣先輩は机に両肘をついて顎を支えた格好のまま、黒目だけをすっと横に動かす。
「例えば、文字を書いても時間が経つと消える特殊な紙が使われたとか」
「おいおい。常識的に、そんなことあり得るわけないだろ。そんな意見、職員会議で通用すると思うか?」
「可能性を潰す、と先ほどお話ししたばかりです、諏訪野先生。常識なんて言葉にとらわれた短絡的な思考は、真実から遠ざかる危険性を秘めていますよ」
 それと、と返す刀で付け加える。
「これは生徒会長選の選挙管理委員会です。教員に議決権はありません。あくまで生徒による自主的で開かれた会議体です。先生に聞きたいことがあれば、議長である私から意見を求めますので」
 ばっさり切られた諏訪野教諭は、黙って無精髭を撫でている。
「それで、諏訪野先生、どうでしょう? この投票用紙はどうやって作成し、保管したか、説明願えますか?」
「なんだ、発言してもいいのか?」
 中年にさしかかる教師が、女子高校生の前で不貞腐れて髭を抜いている。
「ええ。どうぞ」
「普通に職員室のプリンターで印刷しただけだ。以上」
「いつ?」
「演説の一時間前くらいだ。言っとくが、他の先生も沢山いて、みんな同じプリンターで出力するからな。事前にそんな特殊な紙をプリンターにセットしておくのは無理だ」
「投票用紙は毎年同じ様式ですか?」
「様式もくそも、見てみろ。立候補者の名前と、その上に○×を書く枠線が一つあるだけだろ。もちろん、印刷した後投票用紙はずっと俺が持ってたし、入れ換える時間なんてないぞ」
 なるほど、と鴻巣先輩は眼鏡を持ち上げる。
「投票用紙に特殊なものを仕込む時間はなさそうです。投票箱についても、受け取る時に空であることを私も確認しましたし、その後南京錠をかけていたため、投票箱に細工をして不正を行うのは難しいと考えた方がいいでしょう。諏訪野先生が犯人ではないとすれば、ですが」
「やってねえよ」
 と、諏訪野教諭は即答する。
「根拠のない言葉ではありますが、この事件で諏訪野先生のメリットはなさそうですし、一旦容疑者からはずして考えてみましょう」
「そりゃどうも」
「いえいえ」
 平然と返す鴻巣先輩が恐ろしい。諏訪野教諭は小さく舌打ちをして天井を仰いでいる。
「続いて『(5)開票作業』時です。先ほど私も入って開票作業をしていましたが、これといって、不審な点はありませんでした。仮に不正を行うといっても、全てのクラスの投票箱に白票を紛れ込ませることなどできないでしょう」
「できねえだろうな、『常識的に』考えて」
 諏訪野教諭は「常識的に」という言葉に力を込める。
「では『(1)演説終了』時と『(5)開票作業』時には不正は起こりえなかったということで。次の検討に移ります」
 今度は綺麗に諏訪野教諭を無視した。
「『(2)投票』時ですが、各クラスどのような状況だったでしょうか。確認のために、順番に指名するので説明をお願いします」
 その言葉に、生徒会室の空気が澱んだ。数名の生徒がちらりと時計を見上げる。そんなことをしていたら、いつまでたっても会議が終わらない。
 すかさず言葉を差しこんだのは、やはり佐竹先輩だった。
「それよりも、担任が立ち会ってない教室がないか確認したらいいんじゃないかな。担任が見てるところで不正は起こらなかった、ってひとまずは考えてみたらいいんじゃない?」
 時間を取るところではない、と暗に言いたいのだろう。しかし、鴻巣先輩は引かなかった。
「担任が不正に関わっている可能性もありますが?」
「不正があった可能性が低いところを省いて、残ったものが真実なんでしょ? 諏訪野先生もとりあえず容疑者から除いたわけだし、全クラスの担任が不正に関わる可能性が高いってことはないんじゃない?」
 鴻巣先輩は一秒ほど考え、
「いいでしょう。……では、投票時担任がいなかったクラスはありますか?」
 誰も手を上げない。「確かに、投票時に何かを仕込むのは状況的に難しそうです」
 佐竹先輩が黒板の「(2)」の文字に二重線を引く。「(1)」と「(5)」は既に線が引かれていて、残った選択肢はあと二つだった。
 グラウンドに目をやると、陸上部の部員たちは既にウォーミングアップを終えているようだった。日の光は丸みを帯び、影が伸び始めている。
 徐々に胸にわき上がってくるのは、焦燥感だろうか。
「『(3)選挙管理委員が生徒会室へ投票箱を移動』時ってさ、可能性ありそうだよね。だって一人で運んだわけだし」
「あり得ません」
 佐竹先輩の意見を、鴻巣先輩は待ってましたとばかりに否定した。
「え、そう? 誰にもアリバイがないし、あり得そうだけど」
「不可能です」
「どうして?」
「白票はどのクラスにも多少なりとも入っていました。移動中に不正があったとしたら、この選挙管理委員全員がいわゆるグルで、同時に不正を働いたことになります」
 なるほど。確かにそうだった。そしてみんなこう思っているはずだ。
「私が不正を働いていない以上、移動中の不正は起こり得ません」
「確かにそうだね」
 と、佐竹先輩はチョークを器用に回してみせてから、「(3)」の文字を二重線で消した。
「そうすると、あとはこれだけですね。投票箱回収後の『(4)HR』時。まあ、最初から不正があるとしたらこのタイミングしかないとは思っていましたが」
 鴻巣先輩は堂々とそう言うが、その最後の台詞は必要なのだろうか。諏訪野教諭がまた天井を仰ぐのが目の端に映った。もう噛みつく気力もないらしい。
「もちろん、これまで全ての可能性を検討してきたからこそ、ここでまっすぐ謎と向き合えるわけです」
 鴻巣先輩は弁明をしているのか、火に油を注いでいるのか分からない。
「では早速考えていきましょう。二年三組の、ええっと」
「秦です。秦ちなつ」
「秦さん。さっき、投票箱回収後のホームルームの後、諏訪野先生と一緒に生徒会室へ来たと言いましたよね。その時の様子をもう少し詳しくお願いします」
 基本的に勝ち気なちなつが、困った表情を見せるのは珍しい。
「詳しくって言ってもまあ普通のことなんですけど……。ホームルームが終わって一人で生徒会室に向かいました。途中で諏訪野先生と会って、期末テストのこととか話しながら生徒会室に向かって、着いたのはさっき言ったみたいに、十六時五十五分くらいだったと思います」
「その時生徒会室の鍵は?」
「ええっと……はい、かかってました、よね?」
「ああ。投票箱が全部揃ってることを確認した後、職員室に帰る時鍵をかけたからな。かかってたぞ。入るとき、ちゃんと開ける音もしたしな」
「なるほど。鍵がかかっていた、と」
 夕暮れ時、蝉の声、茜色が入り込みつつある生徒会室。
 名探偵は眼鏡を押し上げ、高らかに宣言した。
「つまり、密室事件、ということですね」