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12 助けあい

 

 甘味処を出て、タクシーを拾った。病院までは、ここから十分もかからないという。お母さんは運転手さんに行き先を告げた後で、駅前のホテルを予約し、お父さんにも連絡を入れた。

「着替えとか、必要なものは後で買い出ししよう」

 お母さんも旅支度はしてこなかったらしい。家を出るときにはあせっていて、そこまで気が回っていなかったという。希子とふたりで長野に泊まるという計画は、とるものもとりあえず新幹線に乗ってしまってからひらめいたそうだ。

「うん」

 希子が答えると、しばらく会話はとだえた。

 お母さんは無言で窓の外に目をやっている。昔のことを思い出しているのだろうか。希子も少し緊張してきて、黙って見知らぬ街を眺めた。あたりはまだ明るいけれど、空気にはそこはかとなく夕方の気配がまじりはじめている。

 病院は思っていたよりも大きかった。車寄せにタクシーが何台も並んでいる。車から降りて、お母さんがつぶやいた。

「変わってないな」

 迷いのない足どりで、入口の自動ドアをくぐる。

 半歩遅れて、希子もついていく。受付の前を過ぎ、廊下を奥へ進む。薬なのか消毒液なのか、独特の匂いが漂っている。いろんなひととすれ違う。白衣を着た看護師さん、松葉杖をついた若者、神妙な顔つきの家族連れはお見舞いだろうか。

 しばらく歩いていくと、こぢんまりとした中庭に出た。花壇と植木が配され、木陰にベンチがいくつか置かれていて、公園のような風情だ。パジャマ姿のおじいさんがふたり、手前のベンチに座ってお喋りしている。入院している患者だろう、ひとりは腕に点滴をつけている。

「ここにどのくらい入院してたの?」

 希子はお母さんに聞いてみた。

「五日かな」

「え、五日だけ?」

 春くんは、お母さんが出産前からしばらく入院していたと言っていた。

「それくらいが一般的じゃないかな。帝王切開とかでもなかったし」

「でも春くんが」

「春くん?」

 いぶかしげに聞き返されて、しまったと思う。春くんと昔の話をしたことは、内緒にしておく約束だった。

 それにしても、ふたりの言い分はどうして食い違っているのだろう。春くんが勘違いしていただけだろうか。でも、お母さんが東京を離れている間、まだ幼かった翔ちゃんを預かって世話をしていたとも聞いた。

「ああ」

 お母さんがなにか察したかのように、小さく息を吐いた。

「ちょっと座ろうか」

 

 会話に興じているおじいさんたちから一番遠い、奥のベンチに、お母さんと希子は並んで座った。

 頭上に張り出した梢で西日がさえぎられ、風もあるので、そんなに暑くない。どこかに蝉がいるようで、規則正しい鳴き声が降ってくる。

「春くんにどこまで聞いたのかな」

 質問というよりひとりごとのような口ぶりで、お母さんは口火を切った。

「入院することになった、って春くんに言ったのは事実。その間、翔の面倒を見てほしいって頼んだ」

「うん、そう聞いてる」

 希子はおそるおそる言い足した。

「違うの?」

「入院は、してない。でも、希子が生まれる前後には長野にいたっていうのは本当。翔は連れていけないから、春くんに預かってもらうことにした」

「長野にいたって、住んでたってこと? なんで?」

「目立たないように」

「目立たないように?」

 繰り返したそばから、はっとした。お母さんは独身のまま、既婚男性の子どもを産もうとしていたのだ。

「長野だったら、知りあいとかがいないから?」

「うん」

 お母さんが小さな声で認めた。

「春くんには、うそついて申し訳なかったと思ってる。翔にも」

 言葉のとおり、すまなそうに肩をすぼめている。

「だけど、それしか方法がなかった。ただ単に、長野の病院で出産することにしたっていうだけじゃ、春くんだって不審がるだろうなと思って。しっかり納得して翔を預かってもらえるように、もっともらしい理由がほしかった」

 当時のことを思い返しているのか、視線を宙にさまよわせている。

「いろいろ考えて、よく話しあって、そうしようって決めた」

「お母さんがひとりで決めたことじゃないんだ?」

 希子は思わず口を挟んだ。

「話しあったって、誰と? あ、わたしの実のお父さん?」

「違う」

 お母さんは即答した。

「そのときには、彼はもう亡くなってたし」

「じゃあ、他の誰かに相談したの?」

 今度は、お母さんはすぐには答えようとしなかった。

「ひょっとして、小笠原さん?」

 希子が言うと、お母さんは再び首を横に振った。

「相談っていうか」

 言葉を探すように口ごもり、おもむろにつけ足した。

「計画、かな。わたしと、わたしの友達の、ふたりで……ああでも、小笠原さんっていえば小笠原さんなのか」

 お母さんが小さく笑った。

「同じ小笠原でも、慶太郎じゃなくて華子のほう。慶太郎さんの妹で、わたしの親友」

「華ちゃん?」

「ああ、綾乃に聞いた?」

「ちょっとだけ」

 希子は少し考えて、言い添えた。

「すごく仲がよさそうだった、って」

 ただし現在はなぜか疎遠になっている、らしい。

 実の兄とお母さんのつきあいに華ちゃんが反対したのではないか、というのが綾乃ちゃんの説だった。溝ができてしまったのは、この後なのだろうか。いや、それでは順番が合わない。お母さんが小笠原さんと個人的に親しくなったのは、希子を妊娠するより前のことだったはずだ。

「中学時代からのつきあいでね。それも、綾乃から聞いてる?」

 お母さんにたずねられ、うん、と希子はうなずいた。

「同じ学校だったんだよね?」

「そうそう。中高一貫だから、六年間ずっと一緒で。まあ、中一のときは別に仲よくなかったんだけど」

 そんなに仲がいいということは、入学当初から意気投合していたのかと思いきや、お母さんの華ちゃんに対する第一印象はそこまでよくなかったそうだ。

「正直、ちょっと敬遠してたくらい。やけに目立つ子がいるな、って遠目に見てた」

 お母さんは苦笑する。

 大物政治家の娘だけあって、華ちゃんは同級生の中でも飛び抜けて社交的で、常に大勢の友達に囲まれていたらしい。教師が相手でもまったくひるまず、冗談も文句も遠慮なくぶつける。

「リーダー格、っていうのかな。声も態度も大きくて、存在感があって。そういう子、希子の学校にもいない?」

「ああ、いるかも」

 クラスにひとりいると、なにかと仕切ってくれるので助かる。ふたりいると若干ややこしいことになる。部活の仲間では、ユッキーがそのタイプだ。

「とにかく華があってね。名は体を表す、を地でいってるというか。わたしは当時おとなしかったから、違う世界の住人って感じだった。仲よくなれるとも、なりたいとも、思ってなかった」

 お母さんが考えをあらためることになったのは、中二──奇遇にも、現在の希子とちょうど同じ年頃のときだった。

 新学期のクラス替えで、ふたりは同じ組になったのだ。急速に距離が縮まったきっかけは、出席番号だった。苗字のあいうえお順で割り振られるので、植田と小笠原は連番どうしになった。

「それで自然に、お互い、いろいろ喋るようになって」

 押しの強い自信家という先入観があったけれど、一対一で話してみたらそうでもなかった。むしろ、周囲への目配りを欠かさず、こまやかに気を遣っている。その配慮があくまでさりげないので、相手にそうと気づかれにくいだけだった。

「だから人望があるんだな、って感心したよ。今思うと、上から目線でちょっと恥ずかしいんだけど」

 華ちゃんとそれなりに親しくなってきた頃に、お母さんは本人にもそう言った。褒めたつもりだったけれど、華ちゃんは眉をひそめた。

「わたし、そんなふうに見える?」

「ごめん」

 お母さんはとっさに謝った。的はずれな指摘をされて、華ちゃんが気分を害したのかとあわてた。

「ううん、謝ることない。植田さんには、そう見えてるってことだね」

 華ちゃんの深刻な顔つきにお母さんはまごつき、重ねて詫びた。

「ごめんね、変なこと言って」

 いや、と華ちゃんは首を横に振った。

「実際、気は遣ってる。相手とその場の状況に合わせて、最善の対応をするように心がけてる」

 思いがけない返事に、お母さんはあっけにとられた。

「だけど、そういうのが表に出ちゃだめなんだよなあ。余裕綽々かつ天真爛漫にわが道をゆく、って路線でいきたいのに」

 華ちゃんはぶつぶつ言っていた。

 わが道をゆくというのは、「空気を読まない」と言い換えられることもある。空気を読まない人間にも二種類いる、と華ちゃんは分析してみせた。ひとつは「読めない」、つまりその場の空気を本当に理解できていない場合。もうひとつは、空気を理解しつつも、あえてそれを「読まない」場合。華ちゃんがめざしているのは後者で、うまくやれば自分のめざす方向に空気を変えていける、らしかった。

「あーあ、同い年の子に見破られるってはじめて。植田さんの洞察力、おそるべし」

 華ちゃんはため息をつくと、だしぬけに右手を差し出した。

「ね、わたしと友達になってくれない?」

「え」

 あらたまって言われて、お母さんは面食らった。

「だって、植田さんを敵に回したくないもんね」

 華ちゃんがにっと笑った。いたずらっぽい笑顔に、なんともいえない愛嬌がにじんでいた。

「美佐ちゃん、って呼んでいい?」

 華ちゃんの華奢な手を、お母さんは握り返した。

「じゃあわたしは、華ちゃん、って呼んでもいい?」

 そんなふうにして、ふたりの友情ははじまったのだった。

「おもしろいひとだね」

 希子が相槌を打つと、「でしょう?」とお母さんは自分が褒められたかのように相好をくずした。

「性格は似てないのに、案外気が合って。あと、わたしたちには、もうひとつ共通点があった」

 その「共通点」を意識したのは、中学の卒業文集で、将来の夢をテーマに作文を書いたときだった。

 政治家になりたい、と華ちゃんは書いていた。世の中を変えたい。お母さんのほうは、医者になりたいと書いた。病気で苦しんでいる人々を助けたい。

 ふたりとも、中学生にして、親と同じ仕事に就こうと考えていたのだ。

「親を尊敬してる、ってわけじゃないんだけど」

 華ちゃんはうそぶいた。

「むしろ、なにやってんのってうんざりすることも多いよ。でも、それを変えるには、自分が力を持つしかない。だから、わたしも政治家になる」

 作文にはそこまで書かなかったけどね、と飄々と言ってのけた。

「華ちゃんなら、ほんとに世の中変えちゃいそう」

 お母さんの感想は、あながち根拠がないわけでもなかった。華ちゃんにはすでに実績もあった。三年生の一年間、中等部の生徒会長として大活躍していたのだ。

「美佐ちゃんは、どうなの? 親を見てて影響された感じ? それとも、他にあこがれのお医者さんがいたりする?」

 お母さんは答えに詰まった。

 作文にはそれらしい理由を綴ったものの、必ずしも本音とはいえなかった。医者の両親に、将来は医者になるという前提で育てられてきただけのことで、華ちゃんのような強い志などなかった。病人を助けたいというのも、まるきりでまかせとはいわないが、医者とはそうあるべきだろうと一般論として考えただけのことだった。

 特に疑問も持たないで、親に言われるまま勉強していたことも含めて、なんだか恥ずかしくなってきた。お母さんがそう打ち明けると、そっか、と華ちゃんはしばし考えこんだ。

「どうしてもお医者さんになりたくない、ってことではないんだよね?」

「うん、まあ」

 他に特段やりたいことがあるわけではない。医師という仕事の意義ややりがいも、中学生なりに理解はしているつもりだった。ただ、確固とした目的意識のもとで政治家をめざそうとしている華ちゃんに比べると、どうにも中途半端に思えてくる。

「お医者さんの家に生まれて、お医者さんになれる能力を持ってるんだったら、素直に活かすのもありじゃない? そういうめぐりあわせっていうか」

 めぐりあわせ、というのは華ちゃんがしばしば口にする言葉だった。ご縁や運命と言い換えることもあった。

 最初、お母さんは内心戸惑った。抗いようのない大きな力が存在するという考えかたは、どこか受け身に感じられ、華ちゃんらしくない気がした。しかし華ちゃんは、個人の意思や努力を軽んじているわけではなかった。ただ、気持ちだけでやみくもに突っ走るばかりが能ではない。注意深く状況を見極め、ふさわしい時と場所を選んで、持てる力を発揮すべきだというのだった。

「もちろん、美佐ちゃんがどうしたいかが一番大事だよ。お医者さんって大変な仕事でしょ。自分で選んだんだって気持ちがないと、後々きついんじゃない?」

 華ちゃんは続けた。

「美佐ちゃんは、根が優等生だもんね。周りの期待に応えようとしちゃうとこがあるでしょ? うちのお兄ちゃんも、そのタイプなんだよね」

 うちのお兄ちゃん、というと、

「小笠原さんのこと?」

 話にひきこまれて聞き入っていた希子は、思わず口を挟んだ。

「うん」

 華ちゃんに兄がいることは、お母さんも前から知っていたものの、詳しい話を聞くのはそのときがはじめてだったそうだ。

 長男だからね、と華ちゃんは気の毒そうに言ったらしい。

「生まれたときから、政治家になるって決まってた。だけど、お兄ちゃんは政治の世界にはあんまり向いてない、っていうのが華ちゃんの意見だった」

「そうなの?」

 希子は小一時間しか話していないけれど、思慮深げでひとあたりもよく、政治家としても活躍しそうな印象だった。

「わたしも、意外に思った。華ちゃんをそのまま男にしたような感じのお兄さんを、なんとなく想像してたから」

 妹が言うのもなんだけど、と華ちゃんは解説したそうだ。

「ちょっと頭がよすぎるんだよね、お兄ちゃんは。周りで頭の悪いことを言ったりやったりされると、それだけでそうとうストレスだと思う」

 華ちゃんいわく、政治の世界では、必ずしも論理的に物事が進むわけではない。無理が通れば道理がひっこむ、と表現するほかないような事態が、日常的に起こっている。兄はなまじ頭がいいので、そつなく立ち回ることはできそうだが、数々の不条理や理不尽に巻きこまれ続けて、さぞかし消耗するだろうと同情してみせた。

「わたしがかわってあげられたらいいんだけどね」

「かわってあげられるんじゃないの? お兄ちゃんじゃなくて、華ちゃんがお父さんの後を継いだら?」

 お母さんが言うと、華ちゃんは即答した。

「それはない」

「なんで? 華ちゃんも政治家になるんでしょ?」

「なるつもりだけど、小笠原家の後継ぎとしては認めてもらえないよ。だって女だもの。しかも、立派な長男がいる。妹の出る幕なんかない」

 華ちゃんが肩をすくめた。両親も、また祖父母も、女の子が政治にかかわるなんてとんでもないと反対しているらしい。

「わたしは優等生じゃないから、反対されたって気にしないけど。逆に、燃えちゃう。ただ、小笠原家の後継ぎは、あくまでお兄ちゃんってこと」

 ごめん、話がずれちゃったね、と華ちゃんは頭を振った。

「向いてる向いてないってことでいえば、美佐ちゃんはお医者さんに向いてるよ。少なくともわたしはそう思う。鋭いし、冷静だし。責任感もある」

 いつになくまじめな顔で言われ、くすぐったい気分になった。

「そんなふうに言われるの、はじめてだったからね」

 少し照れくさそうに、お母さんは言う。両親も、また自分自身も、もっぱら気にしているのは、医師としての資質というより、入試を突破して医学部に合格できるだけの学力があるかどうかだった。

「でも華ちゃんの言うとおり、もし自分が医者に向いてるんだったら、その道でがんばってみたいって自然に思えた」

 高校に上がったお母さんは、医学部に志望を定めて勉強に励んだ。華ちゃんのほうは、高等部でも生徒会に入った。中学時代と同じく会長に選ばれて、一段と精力的に活動していたらしい。

「新しい行事を作ったり、校則を変えたりもしてね」

「え、生徒会長って、校則も変えられるの?」

 希子はびっくりしてたずねた。全校生徒の代表として、とりまとめ役を任されるイメージはあるけれど、そんな権限まで持っているのか。

「もちろん、ひとりでは決められないよ。最終的には全員で投票した。でも、先生にかけあって、案をまとめて、全校集会の議題として提案して、みたいなお膳立てのところは全部、生徒会の主導でね。まさかほんとに変えられるなんて、わたしもびっくりしたんだけど。そもそも、学校の規則を変えるって発想すらなかった」

 希子にもない。校内でスマホを使ってはいけないとか、学校帰りに寄り道してはいけないとか、なかったらいいのにと思う校則はいくつもあるけれど、決まりは決まりだからどうしようもない、従わなければいけないものだと思いこんでいた。実際、大半の生徒は文句を言いながらも守っている。

「校則が気に入らないってなったら、破るか、いやいや守るか、普通はそのどっちかじゃない? でも華ちゃんは、納得いかないなら変えちゃえばいい、って」

 ルールを無視するのではなく、ルールだからという理由だけでしぶしぶ従うのでもなく、まずはそのルールの本質をしっかり理解しなければいけない。どういう意図がこめられているのか、守り続けるにふさわしい内容なのか、自分自身の頭でじっくり考えるべきだという。

「今でこそ、校則の見直しってあちこちで議論になってるみたいだけど、三十年以上前だからね。かなり先進的だったと思う。うちの学校は私立だし、わりと自由な校風だったけど、今と比べたらやっぱり厳しくて」

 なにせ昭和生まれ世代だから、とお母さんは言う。

「そうだ、希子の学校でも、女子がスラックスの制服も選べるようになったよね? 翔のときと違って。ああでも、あれは学校側が決めたのかな」

 おそらくそうだろう。希子の中学にも生徒会はあるけれど、どうも影が薄いというか、スマホ禁止や寄り道禁止に率先して異議を唱えてくれそうではない。

「一番盛りあがったのは、髪型かな。パーマが認められたのは画期的だった」

 令和の時代になっても、髪型についてはいろいろとうるさい。希子の中学でもパーマは禁止だ。髪を染めるのも、男子の2ブロックも、認められていない。

 髪型は個人の自由だ、と華ちゃんは主張したらしい。あまりに派手すぎるのは問題かもしれないけれど、常識の範囲内であれば好きにする権利がある、と。

「でも本人は、校則が変わった後も、別にパーマをあてたりしないの。黒髪ストレートのまんま」

 自分とは関係ないのにあんなにがんばってたの、とお母さんが半分感心し、半分あきれていたら、みんなの声をすくいあげるのが会長の役目だからね、と華ちゃんはすまして答えた。私利私欲に走る政治家はきらわれちゃうよ。

「すごいね。かっこいい」

「ね。下級生の間でファンクラブまでできちゃって」

 ただね、とお母さんは言い足した。

「実は、華ちゃんもまったく欲がないわけじゃなかったんだよ。ほんとに変えたかったのは、髪じゃなくて靴なの。背が低いから、ヒールのある靴をはきたいって」

 その気持ちは希子にもよくわかる。

「だけど確か、転ぶと危ないみたいな理由で、先生たちに却下されちゃって。一理あるから論破できなかった、ってめちゃくちゃ悔しがってた」

 それにしても、とお母さんはなつかしげにしめくくる。

「あの頃から、華ちゃんは華ちゃんだったんだな。おかげで政治力が鍛えられた、って本人も言ってた」

 こうして、中学時代の文集に書いた「夢」に向かってそれぞれ進んでいたふたりだが、卒業してからも厚い友情は続いた。

「卒業するときに、これからもお互いに助けあおうねって約束したの」

「助けあう?」

「そう。どっちかが困ったり弱ったりしてるときは、もう片方が必ず力になる。ふたりで協力すれば絶対になんとかなる、って華ちゃんが」

 実際に、お母さんが医師として働き出してからも、よく励ましてもらったらしい。

「綾乃を産んだ後で、わたしが体調をくずしちゃったときにも、親身になっていろいろ考えてくれて」

 前に堤さんと会ったときにも、そんな話を聞いた覚えがある。

「行きつけの鍼灸院を紹介してもらったんだよね?」

 そこで治療を受けた経験が、お母さんが東洋医学に開眼するきっかけともなった。堤さんは不服そうだったけれど、仮にその機会がなかったとしたら、鍼灸医として自院を構え大勢の患者さんを抱える今はなかったかもしれない。

 さらに、お母さんが希子を妊娠したときにもまた、華ちゃんは十代でかわした約束を守ったことになる。窮地に陥っている親友のために、どう切り抜ければいいか知恵をしぼり、相談に乗ったのだろう。

「だから、あのとき、今度はわたしが華ちゃんを助ける番だと思った」

 お母さんがベンチに座ったまま、体を希子のほうに向けた。

「あのときって?」

「十四年前」

「お母さんが、華ちゃんを助けたの?」

 希子は混乱して聞き返した。

「逆じゃない? お母さんこそ、大変だったんじゃないの?」

「ううん。そのときは、大変だったのは華ちゃんのほう」

 お母さんはきっぱりと答え、中庭を見回した。

「それで、わたしたちはふたりで長野に来ることにしたんだよ」

「ふたりで? え、華ちゃんも一緒に来たんだ?」

 希子の頭はいよいよこんがらがってきた。

「厳密にいえば、三人」

 お母さんが希子と目を合わせた。

「希子もおなかの中にいたからね」

「つまり、華ちゃんが長野まで付き添ってくれたってこと?」

「付き添ってくれたっていうか」

 落ち着いた調子で話していたお母さんが、はじめて口ごもった。

「ていうか? そうじゃないの?」

 なぜか胸騒ぎがして、詰問じみた言いかたになってしまった。お母さんが希子を正面から見た。

「わたしが、ついてきた。華ちゃんのことが心配だったから」

 一拍おいて、言い添える。

「もちろん、赤ちゃんのことも」

「赤ちゃん……」

 意味がわからない。胸の鼓動がいっそう速くなる。

「華ちゃんのおなかの中には、赤ちゃんがいたの」

 お母さんは希子から目をそらさない。まばたきさえもしない。

「十四年前に、あなたはここで生まれた」

 希子は言葉を失ったまま、お母さんを見つめ返す。

「華ちゃんが、あなたを産んだ」

 お母さんは静かに言った。

 

(つづく)