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2 親心

 

 なだらかな弧を描いて飛んでいったボールは、ゴールのリングにあたって小さくバウンドし、外側にぽとりと落ちた。

 固唾をのんでボールの軌跡を見守っていた希子の膝から、力が抜けた。

「惜しい」

 ななめ後ろにいた部長も、悔しげなため息をもらした。

「次、がんばろう」

 声をかけられて、はい、と希子は力なく答えた。

 しゃがみこんでしまいそうになるのをこらえ、軽く跳ねて気合を入れ直す。落ちこんでいるひまはない。試合時間は、あと五分も残っていない。

 今回、希子はハーフタイム明けに三年生と交代して、第三クオーターからコートに入っている。

 十点以上もの差をつけられた前半に比べれば、まずまず善戦しているものの、こっちが得点を入れるとあっちもすぐさま入れ返してくる。なかなか追いつけなくて、あせりばかりが募っている。このままだと逆転は難しいかもしれない。

 

 その後も巻き返しはかなわず、五十三対四十八で希子たちは敗れた。

 着替えて解散した後、応援に来ていた家族と体育館の外で落ちあった。両親と、泉水も来てくれている。

「おつかれさま」

 お母さんが言い、

「惜しかったな」

 と、お父さんが後をひきとった。残念そうに眉を下げている。

 お父さんも中学ではバスケ部に入っていたという。もう自分でプレイすることはないけれど、観るのは今でも大好きで、国内外の試合を放映するスポーツチャンネルにも加入している。希子の部活の応援も、毎回熱が入っている。

 希子が小学生のときにミニバスに通いはじめたのも、お父さんの影響だった。一緒にNBAやBリーグの配信を観たり、高校のバスケ部を舞台とした少年漫画を貸してもらったりしているうちに、自分でもやってみたくなってきた。

「希子ちゃんのシュート、入りそうだったのにね」

 泉水も口をとがらせている。

「だけど、動きはすごくよかったよ。速くて、キレもあって」

 お父さんがとりなすように言った。心のこもった口ぶりに、沈んでいた気分がわずかに持ち直す。

「運動神経が抜群なんだよなあ、希子ちゃんは」

 運動神経も、背丈と同じで、遺伝するのだろうか。

 お母さんは、スポーツをまったくやらない。オリンピックにもワールドカップにも、みじんも興味を示さない。今日みたいに大きな試合のときは、娘の応援に駆けつけてくれるが、バスケットボールそのものに関心はなさそうだ。

 翔ちゃんも、運動はそんなに得意ではない。中学ではサッカー部に入ったけれど、半年も経たずに退部してしまった。練習がきつすぎて嫌気がさしたという。もともと飽きっぽい性格でもある。高校では軽音楽部に入ってみたらしいけれど、長続きするかはあやしい。

 綾乃ちゃんに至っては、「体育会系の価値観を否定するつもりはないけど、わざわざ体を動かす意味がどうしてもわからない」と真顔で言う。小さい頃は父親の意向でバレエを習わされていたが、いやでたまらなかったという。手足がすんなりと長い綾乃ちゃんならきっと舞台映えするだろうに、ちょっともったいない。

 そして泉水もまた、ボールよりも石を追いかけたい性分である。希子が誘い、お父さんにもすすめられて、ミニバスの体験練習に参加したこともあったけれど、正式な入会は本人が固辞した。

 自分で言うのもなんだけれど、運動神経に関しては、四人の姉弟のうち希子が飛び抜けている。

「今日の相手チーム、全員でかかったしな。あれはきついよなあ」

 お父さんが言い、希子はため息まじりにうなずいた。

 大きくなりたい。それは、希子に限らず全部員にとって──もっといえば、バスケをやっている全中学生にとっても──あまねく切実な願いである。

 終盤に希子の放ったシュートが入りそうで入らなかったのも、投げようとした瞬間に、長身の選手がさっと腕を伸ばしてきたせいだった。飛びあがってディフェンスしようとねらっているのが視界に入ってしまい、手もとがわずかに狂った。

「希子ちゃんと一緒に出てた一番もよかったな、安定感があって。あれが部長さんなんだっけ?」

「うん。三年生だよ」

 バスケットボールのチームは五人編成で、それぞれに役割がある。

 近年、NBAをはじめとするプロバスケットボールの世界では、ひとりひとりのポジションを厳密に限定せず、各選手が状況に応じて柔軟にいろいろな役目をこなすようになりつつある。とはいえ、希子たちのような普通の中学生は、よほどの強豪校でもない限り、従来の基本的な役割分担に則ってプレイしている。

 ポジションによって、コート内での持ち場はだいたい決まっている。一番と二番と三番は、ゴールから遠いアウトサイド、つまり3ポイントラインより外側で主に戦う。一方、四番と五番はもっぱらインサイドに陣どっている。

 ポイントガードと呼ばれる一番は、ボール運びやパス出し、攻守でのフォーメーションの指示などを担う。チームの司令塔役と位置づけられ、コート上の監督とたとえられることもある。

 敵と直接ぶつかりあうような局面が比較的少ないので、そこまで背が高くなくても活躍しやすいといわれ、その点に関しては、希子にとってねらいめのポジションではある。ボールのハンドリングやパスも、苦手ではない。ただ、ポイントガードには、試合の流れを読む力や、チーム全員をまとめるリーダーシップも求められる。試合中、相手チームは常に、こちらの想定している戦術の裏をかこうとしてくる。次から次へと予想外の展開が起きる中で、今この瞬間にどうすべきかを即座に判断し、チーム全体に伝えていかなければならない。コート全体を俯瞰する視野の広さや、お父さんの言う精神的な「安定感」には、希子はまだ自信がない。なにがあってもあわてず騒がず泰然と構え、メンバーを鼓舞し、意思統一をはかっていくのがポイントガードのつとめだ。

 希子は一年生のときから、もっぱら二番を担当している。

 シューティングガードという名前のとおり、アウトサイドからのシュートを積極的にしかけていくポジションだ。攻撃役として、得点能力が必要となる。大局的な視点から試合を組み立てていく一番に比べると、どちらかといえば個人技をより得意としている選手が多い。

 一般に、一番から五番にかけて、番号が大きくなるほど、体格がものを言う。三番以降は、残念ながら希子の背丈ではつとまらない。一五〇センチそこそこでは、どんなに努力しても、五番のセンターは無理だ。

 身長がすべてではない、と顧問の先生はよく言っている。スキルとセンスでじゅうぶん挽回できるよ、とお父さんも励ましてくれる。小柄な名プレイヤーだっている。背が低いからといって、必ずしもやっていけないわけではない。別に、なにがなんでも五番をやりたいわけでもない。

 しかしながら、背が高いに越したことがないのもまた事実だ。

 能力が同じくらいであれば、身長の高いほうが断然有利になる。背の高い相手とマンツーマンでやりあうたびに、それは痛感させられる。

「それより希子、足は大丈夫?」

 お母さんにたずねられて、希子はぎくりとした。

「うん、たぶん」

 試合の終了間際、相手チームの選手にボールを奪われそうになってかわした拍子に、左の足首が変な角度にねじれてしまったのだった。

 しまった、と一瞬ひやっとしたけれど、幸い、動けなくなるようなことはなかった。体重をかけると鈍い痛みを感じるが、足をひきずるほどではなく、残り時間を乗りきれた。部のみんなや顧問の先生にも、特段指摘はされなかった。

 が、お母さんには見抜かれてしまっていたらしい。

 体の不調に関して、お母さんは人並み以上に鋭い。鍼灸師という職業柄だろう。患者さんばかりでなく、希子たち家族に対しても、つねづね目配りを欠かさない。少しでも異変があれば見逃さず、こうして目ざとく言いあててみせる。

「え? 足、どうかしたの?」

 お父さんが心配そうに言う。他の皆と同じく、気づいていなかったのだろう。

「ちょっとひねっちゃったかも。でも、全然たいしたことない」

 希子は軽く返したが、お父さんは眉根を寄せている。

「無理は禁物だよ。バスはやめて、タクシーで帰ろうか」

 怪我にはくれぐれも気をつけるように、とお父さんは日頃からくどいほど念を押す。お父さん自身が中三のときに膝を痛めてしまい、引退試合に出られなかったのが今でも心残りだという。

「平気だって。見た感じも普通でしょ?」

 希子が片足立ちでくるりと回ってみせると、お父さんの表情がやっと和らいだ。

「全然わからなかったな。さすがだね、美佐さんは」

「まあね」

 お母さんが胸を張ってみせ、希子の足もとにもう一度視線を注いだ。

「大丈夫そうだけど、念のため、帰ったらちゃんと見せてね」

 

 家に帰り、着替えてひと休みしてから、お母さんの鍼灸院に行った。

 といっても、歩いて十秒もかからない。植田鍼灸院は、家族の暮らす母屋と同じ敷地内に、背中あわせに建っている。キッチンの奥にある勝手口でサンダルをつっかけて、ほんの数歩で鍼灸院の裏口に着く。

 一般の入口は、建物の反対側にある。来院した患者さんは、靴を脱いでスリッパにはき替える。

 入ってすぐのところにある待合室は、現在はほとんど使われていない。かつては受付係を雇っていた時期もあったらしいけれど、今は院長であり施術師でもあるお母さんが自ら患者さんを出迎えている。一人三役というと大変そうだが、完全予約制なので特に支障はないようだ。

 ここはもともと、眼科の個人医院だったという。

 元院長が引退し、高齢者向けの集合住宅に引っ越すにあたって、診療所と住居を同時に引き払うことに決めたのだった。独立開業するための物件を探すと同時に、住まいも職場のそばでみつくろいたいと考えていたお母さんは、またとない好条件に飛びついた。そのとき二歳だった希子には、引っ越しの記憶は残っていない。

 サンダルを脱ぎ、薄暗い廊下を進む。診察時間中は電気をつけるけれど、今日は休診日だ。希子の足音だけがひたひた響く。

 診察室のドアをノックすると、どうぞ、と返事があった。

 室内は、うってかわって明るい。壁も天井も真っ白なので、よけいにそう感じるのかもしれない。奥の大きな窓から、陽ざしがさしこんでいる。

 窓の正面に置いてあるデスクで書きものをしていたお母さんが、肩越しにこっちを振り向いた。

「ぐあいはどう?」

「やっぱり、ちょっと痛いかも。あと、微妙に腫れてきたっぽい」

 心配性のお父さんの前では、大丈夫だとおおげさに強調しておいたけれど、お母さんとふたりきりなので素直に答えた。無理に強がっても、お母さんにはどのみち見透かされてしまう。

「座って、足を見せてくれる?」

 希子はデスクの傍らに置かれた丸椅子に腰を下ろして、左足のジャージの裾をたくしあげた。

 いつもの診察でも、患者さんはまずここに座ることになる。気になる症状や痛む箇所など、ひととおりの問診を経て、横のベッドで施術を受ける。

 お母さんがキャスターつきの椅子ごと寄ってきた。

「そうね、少し赤くなってるね」

 希子の左足を自分の膝の上にのせ、足首に手のひらをあてる。

「痛む?」

「ううん、今は痛くない」

 お母さんの手はあたたかくて、ふれられると痛いどころか気持ちいい。しばらく足首の周りをまんべんなくなでさすった後、お母さんは顔を上げた。

「大丈夫そうね。この感じだと、明日にはおさまってると思う。一応、湿布だけ貼っておこうか」

「よかった。ありがとう」

 希子はほっと安堵の息をついた。連休明けからはまた部活がある。練習に出られないと困る。

「ほんとにまじめだね、希子は」

 お母さんが感心したように言った。希子はちょっと照れくさくなって、ふざけて切り返した。

「翔ちゃんとは違うからね」

 中学のサッカー部時代に、翔ちゃんが一度足を軽く捻挫してしまったことがあった。一週間ほど安静にしたほうがいいというお母さんの診断を受けて、やったあ、ドクターストップいただきました、とガッツポーズで快哉を叫んでいた。

「希子と翔は、足して二で割るといいくらいかもね」

 お母さんが苦笑する。

「わたしもそんな、まじめっていうんじゃないよ。ただ、うまくなりたいだけ」

 特に勤勉な性格というわけでもない。実際、バスケ以外のことに関しては、そんなにがんばっていない。朝は眠くて起きられないし、部屋はだいたいいつも散らかっているし、テスト勉強は直前までやる気が出ない。直前になってもやらない翔ちゃんに比べたら、少しはましだけれど。

「ほんとにまじめなのって、綾乃ちゃんじゃない?」

 大学入試のときは、早朝から深夜まで猛勉強していた。みごと志望校に合格し、せっかく入学した後も、楽しい大学生活を満喫するのかと思いきや、遊び歩くそぶりはない。家にいるときも、難しそうなぶあつい本を読みふけっている。この間なにげなくのぞいてみたら、アルファベットが並んでいたのでびっくりした。

「綾乃は自分に厳しいのよね。それに、負けずぎらいだし」

 確かに、入試前の綾乃ちゃんは、揺るぎない闘志を全身にみなぎらせていた。負けるわけにはいかない。他の受験生に、自分自身に、そして父親──綾乃ちゃんは「あのひと」と呼ぶ──にも。

「あのひとのことだから、わたしが落ちたらお母さんのせいにしそう」

 それだけは避けたい、と綾乃ちゃんは決然と言った。

 綾乃ちゃんがうちに引っ越してくるときも、父娘の間でそうとうもめたようだ。せめて大学受験を無事に終えてからにすべきだとお父さんは説得しようとしたらしいが、その反対を綾乃ちゃんは断固として押し切り、家を出た。

「進路を決めるときも、めんどくさかったんだよ」

 綾乃ちゃんのお父さんは、お医者さんだ。当然ながら医学部を出ていて、わが子にもゆくゆくは医学の道をめざしてほしいと願っていた。

「自信があるってことよね、自分の人生に。だから娘にもすすめるのね」

 お母さんは言っていた。

「親心だねえ」

 もうひとりの「親」のくせに、他人ごとみたいな口ぶりだった。

 そう言うお母さんも、同じく医学部を出ている。綾乃ちゃんのお父さんとは、大学の同期なのだ。

 ふたりとも同じ年に国家試験を突破して、医師免許をとった。綾乃ちゃんのお父さんは実家の経営する総合病院で、お母さんは出身大学の附属病院で、それぞれ働きはじめ、ほどなく結婚した。その後、紆余曲折を経てお母さんは西洋医学から東洋医学の世界へと転向することになるのだが、それはもう少し先の話だ。

 さておき、綾乃ちゃんは両親ともに医学部出身なのだ。医師としての資質が子どもにどのくらい遺伝するものかはわからないけれども、お父さんから期待されてしまうのも無理はないかもしれない。

「あのひとは、いっつもそう。天上天下唯我独尊」

 綾乃ちゃんが言い放った呪文じみた文句を、希子は聞きとれなかった。

「テンジョーテン……? 今、なんて言ったの?」

「自分が一番正しくて、世界の中心にいるって思いこんでるひとのこと。要するに、うぬぼれ屋」

 本来の意味は違うんだけどね、と綾乃ちゃんは補足した。

 もともとは仏教の用語らしい。お釈迦様の発言で、唯我の「我」は自分ひとりではなく、「われわれ人間」を広く指しているという。「独尊」とは、ただひとつの尊い目的を意味する。

「わたしたち人間だけが、他の生きものとは違って、尊い目的を持ってこの世界に存在してる、ってことみたい。つまり、人間はみんな尊いんだ、ってお釈迦様は言いたかったんだね」

「へえ、そうなの? 知らなかった」

 希子だけでなく、お母さんにとっても初耳だったらしい。

「みんな、俺様だけが偉いってほうで理解してるもんね。辞書にもそう載ってるし、もはや誤用ともいえない」

 綾乃ちゃんは細かく解説し、話を戻した。

「それこそお釈迦様ならいいんだよ、唯我独尊でも。レベルが違うもん。だけど、そこらの凡人にはおこがましいでしょ。何様だよって」

「まあ、医者は多かれ少なかれ、自信がなくちゃやっていけないし」

 お母さんが口を挟んだ。

「患者さんの前で迷ったり悩んだりしたら、不安にさせちゃうもの」

「それはそうかもしれないけど、わたしはあのひとの患者じゃない」

 綾乃ちゃんはため息をついた。

「医者がどうしてもいやだっていうなら、せめて法学部とか工学部とかにしろ、だって。なんでもいいから役に立つ学問をやれ、って言って」

 が、綾乃ちゃんはここでも父親の意見には頑として耳を貸さず、第一志望を変えなかった。

 そんなものを勉強してどうするんだ、と父親を嘆かせたという進学先は、都内の私立大学の文学部哲学科だ。

 日本屈指の哲学者として名の知れた大家が、教授として講義を担当しているのだ。念願かなって彼の下で学ぶことになった綾乃ちゃんは、いよいよ哲学の世界にのめりこんだ。来年には大学院に進み、その教授の研究室に入って勉強を続けると聞いている。

「ちなみに、希子ちゃんは文系? 理系?」

「まだわかんないよ」

 あの話をしたとき、希子はまだ小学生だった。将来の進路を考えるにはちょっと早い。もっとも、中学生になった今だって、相変わらずわかってはいないけれど。

 ただ、医学部は無理だろうなと思う。春から同じクラスになった友達に、医学部に行きたいという子がいる。大学受験はまだまだ先なのに、中一のときから塾に通って備えているそうだ。そのくらいがんばって勉強しなければまにあわないということだろう。確かあの子も、両親がお医者さんだった。

 綾乃ちゃんのお父さんもそうだけれど、親は子どもに自分と同じ道を歩んでほしがるものなのだろうか。

 お母さんの言ったとおり、これまでの人生が成功だったと自負しているなら、そう考えるのも自然なことなのかもしれない。あとは、個人差も大きいだろう。お母さん自身は、娘や息子に医学部をめざしてほしいとは言わない。鍼灸院を継いでほしいとも。胸の中にとどめているというのでもなく、はなからそういう発想がなさそうだ。

 わたしのお父さんがもし生きていたら、どうだったんだろう。

 ふと思ったものの、想像はそれ以上ふくらまなかった。死んだ父がそもそも何学部だったのかも、希子は知らない。どこの大学の出身なのかもわからない。公務員だったと昔お母さんから聞いた覚えがあるけれど、どんな職種に就いていたのかまでは教えてもらっていない。

 まあ、別にかまわない。たとえ今さら知ったとしても、なにがどうなるわけでもない。どのみち、死人の意思を確かめることはできない。

 

 足首に湿布を貼ってもらった後、お母さんの施術を受けた。

 昔から、希子や翔ちゃんが体調をくずしたときには、お母さんが診てくれた。中学生になってからは、小児鍼ではなく、おとな用の鍼を使ってもらっている。やはりこっちのほうが効く。

 硬めのベッドに、うつぶせに横たわった。呼吸がしやすいように、顔のところにまるい穴が開いている。ベッドの下の床という、日常的にはまず視界に入らない場所を見下ろすのが、なんだか不思議な感じでおもしろい。幼い頃、子ども部屋にもこのベッドがほしいとねだって、お母さんを困らせたこともあった。

 お母さんが優しい手つきで、体のあちこちにふれていく。

「ちょっとひさしぶりだね、希子のこと診るの」

 希子もお母さんも、日頃はそれぞれに忙しい。しかも六人家族となると、母娘ふたりきりになる機会はめったにない。不満があるわけではないが、たまにこうしてふたりだけで過ごすのもいいものだ。他愛のない話をするだけでも、不思議に落ち着く。

「だいぶ疲れてるね。足もだけど、肩と腰もこわばってる」

 今日の試合そのものだけでなく、本番に向けて日々練習に打ちこんできた分の疲労もたまっているのだろうか。

「試合も終わったし、ちょっとは息抜きしたら? がんばりすぎても体に毒だよ」

「だって、がんばらないと、うまくならないもん」

 身長で不利になっている分を、技術で埋めあわせないといけない。

「もうちょい背が伸びてくれたらいいんだけどなあ」

 つい愚痴っぽくなってしまう。

 新学期の身体測定では、中一のときからたったの二センチしか伸びていなかった。愕然とした。念願だった一五〇センチをようやく突破できたのは喜ばしいけれど、今後を考えたら不安しかない。

「人間はみんな、与えられたもので勝負するしかないからね」

 お母さんはこういうとき、役に立たない気休めを言わない。

 希子も理解している。与えられたものは、ひとそれぞれだ。与えられなかったもののことを、くよくよと思い悩んでもしかたない。与えられたものを、がんばって伸ばしていけばいい。

 希子だって、ちゃんと理解しているのだ。頭では。

 でも、頭の中でちゃんと考えがまとまらないうちに、口から言葉がこぼれ出てしまうこともある。

「お父さんって、背が低かったの?」

 ゆっくりと、けれど休みなく動いていたお母さんの手が、一瞬とまった。

 

(つづく)