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 善羽が学校に戻ってから間を置かずに、校長と須賀さんと庄司さんが戻ってきた。須賀さんと庄司さんは、泣いていた。真麻の遺体が自宅に戻ってきていて、手を合わせてきたとのことだった。

 校長からの指示があり、真麻の死を生徒たちと保護者に報せることになった。夏休み最終週ということで、新学期を待つことも考えたが、緊急事態なので早急に連絡したほうがいいと決まった。

「明日、八月二十八日に保護者への説明会、あさって二十九日の金曜に生徒たちへの説明会という流れにします。先に保護者へ話をして、その際に保護者の方たちに、お子さんたちへの適切な対応を依頼します。充分にご理解して頂いた上で、翌日、生徒たちへ伝えます」

 校長が指揮をとり、午後からはその準備に追われた。今日中に南松中学校からの正式な文書を作成し、学校指定の連絡網アプリを使って、保護者に送信することになった。

 保護者と生徒への緊急説明会で話す内容については、専門家から入念な指導があった。なによりも正確で一貫した情報提供が大事で、憶測や噂の拡散を防ぐことが肝要らしい。また、ショックや不安、疑問を感じている生徒や保護者には、スクールカウンセラーなどと連携して、個別の相談やサポートを提供する。

 保護者説明会は体育館で一斉に行うが、生徒たちにはまずは学年単位で、そのあとクラス単位での説明という流れになった。

 南松中の生徒が自死したことは、どういうわけか、まことしやかに噂されているようで、学校にも数件、問い合わせの電話があった。

 通夜はあさって、葬式はその翌日の予定で、生徒たちの参列も可能だそうだ。ということは、生徒たちは午前中に竹下真麻の死を知らされ、希望者のみだが、同じ日の夜に通夜に足を運ぶことになる。

 あまりにもめまぐるしいスケジュールに、子どもたちはついていけるだろうか。自分すらついていけそうにない。胃がしくしくと痛む。今回ばかりは間違いは許されない。自分の対応一つで子どもたちの傷の程度が変わってしまうのだ。

 

「もしもし、おれだけど」

「おう、どうした? 電話なんてめずらしいな」

 善羽は、航一に電話をした。遅くに悪いな、と言うと、ずいぶんしおらしいじゃん、と笑われた。

「あのさ、おれの中学校の生徒が、……自死したんだよ」

「じし?」

 と、頓狂な声が返ってくる。

「自殺したんだ」

 少しの間を置いて、ひゅっ、と息を飲む音が聞こえた。

「善羽の学年か?」

「いや、三年」

「理由は?」

「わからない。いじめはなかったという認識だけど」

「……そうか」

 それきり互いに押し黙った。

「つらいな」

「うん、つらい」

 素直に答えて、善羽はため息をついた。

「なあ、航一。中三の女の子が首をつって死ぬってなんなんだ? どういうことだ? おかしくないか? おかしいよな?」

「……ああ」

「人間ってさ、年とって死ぬべきだよな? 十四歳って、おかしくないか? おかしいだろ?」

 言いながら声が詰まる。

 たった十四年しか生きていないではないか。一体ぜんたい、死にたいと思うほどのなにがあったというのか。死ぬという、生きているなかでも究極の選択ができるなら、それこそなんでもできるじゃないか。この世に、命を差し出すほどの、命と引きかえにするほどの、なにがあるというのか。

「大丈夫か、善羽。顔を見に行こうか」

 航一はやさしいなあと思いながら、

「お前、そんな時間があるのか。やっぱ小学校のほうがヒマだな」

 と、善羽は泣きながら返した。一度泣いたら嗚咽が止まらず、咳込むようにして、泣きに泣いた。自分の嗚咽を聞いているだけの航一を思うと、なんだかおかしく、申し訳なく、ありがたく、さらに涙があふれた。

 こうして心を許せる友人が、真麻に一人でもいただろうか。そう考えるとますます涙は止まらず、スピーカーにしているスマホから、

「おう、泣け泣け。もっと泣け」

 と、航一の声が届くと、自分でも呆れるくらいに泣けた。こんなに泣くのは、おそらく赤ん坊のとき以来だろうと思った。

 

 平日だったが、十八時からの保護者説明会には多くの保護者が訪れた。両親ともに訪れる家庭も多く、急きょ椅子を足すことになった。

「本日はお忙しいなか、お集まりいただきましてありがとうございます」

 校長が深々と頭を下げる。

 窓を全開にして、大きな扇風機をいくつか回してはいるが、体育館は熱気でむんと暑い。多くの人が扇子を手にしている。

「八月二十五日に、本校の生徒が亡くなりました。三年生の女生徒です。ご家族のご意向により、詳細は控えさせていただきます。突然の訃報に接し、職員一同大変悲しんでおります。心からご冥福をお祈りするとともに、生徒たちの心のケアに努めてまいります」

 一瞬の静寂のあと、大きなざわめきが起こる。

 真麻のお父さんは、娘がいじめを苦に亡くなった可能性もあるとして、自死について公表し、全生徒から情報を集めたいという意見だったそうだが、お母さんのほうは自死については言わないでほしいとのことだった。氏名の発表についても同様で、お父さんは発表すべきだと言い、お母さんは伏せてほしいという意向だ。

 この件は非常に慎重に判断しなければいけない問題で、学校側としては詳細を明言しないほうがいいという見解になった。生徒への影響が計り知れないし、一年生には弟の祐介もいる。しかしながら、ご家族のご意向、という言葉で、おそらく自死ということは伝わったはずだ。

 その後、生徒たちのケアの話にうつり、相談窓口の設置について周知し、お子さんたちの様子を注意深く見守ってほしいと保護者に伝えた。変化があれば、学校や専門機関に相談し、SNSや噂話に惑わされないよう、冷静な対応を心がけてほしいと。

 スクールカウンセラーからも話があり、なにか変化に気付いたらすぐに連絡してくださいとお願いがあった。

 最後に質疑応答へうつった。すぐに何人かの手があがる。

「三年生は高校受験ですよね。同級生が亡くなったということで、影響がないわけないと思いますが、その点は考慮されるのでしょうか」

 父親とおぼしき人がマイク越しにたずねる。

「もちろん、特に三年生におきましては、少しの変化も見逃さず、担任だけではなく複数対応で見守っていきたいと思っています」

 三年の学年主任が答えた。

「いや、そういうことじゃなくて、具体的なことですよ。あきらかに、他校の生徒とは状況が異なるわけですよね。高校受験の際、その点を加味してくれるかどうかってことです。加点とかそういうことです」

 耳を疑った。この親は、同級生が亡くなったので、高校受験時に考慮してくれるかと聞いているのだった。

「申し訳ありません。高校受験は公平な審査ですので、そういうことはできかねます」

「すみません! ちょっといいですか」

 女性が手をあげる。

「加点はされないということはわかりましたが、逆に減点はないですよね? 同じ中学の同じ学年の生徒が自殺したということで、悪い噂が立って、受験に不利になることはないですよね?」

 低いどよめきが広がる。自殺、とはっきり言った。

「そんなことはありませんので、安心してください」

 善羽は大きく息を吐き出した。やりきれない。

 べつの女性にマイクが渡る。

「クラスや名前は公表しないということですが、新学期に登校すればわかることですよね? 同じクラスだった子は相当なショックを受けると思います。明日は、子どもたちへの説明会がありますが、どのように伝えるつもりですか?」

「おっしゃる通りです。南松中学校の全生徒がショックを受けると思いますが、特に同級生である三年生の衝撃は大きいと思いますし、同じクラスの生徒や同じ部活動等で、関わりのあった生徒は、さらに大きなショックを受けることと思われます。明日は、まず学年ごとの説明会を予定しています。その後、クラス単位で、担任から話すという流れです」

 だったら、今言えばいいじゃないか! と保護者席から誰かが大声で言った。

「申し訳ありません。ご遺族のご意向ですので、どうかご理解ください」

 善羽たちは頭を下げ続け、ざわめきのなか、説明会は終了となった。

 やるべきことを一つ終えた達成感はあったが、気持ちはずん、と重かった。結局みんな、自分のことだけなんだなと、善羽は思った。いちばん大事なのは自分の子どもで、亡くなった真麻や遺族のことは二の次なのだと。

 なんともいえない気持ちを抱えて帰宅すると、リビングにはお母さん以外の全員がいた。

「おかえり」

 と、みんなに声をかけられる。

「ここは明るいなあ」

 思わず声に出る。さっきまで説明会をしていた体育館とは、違う世界線にいるようだ。

「食べるでしょ」

 と玲子ちゃんに聞かれ、うなずく。焼き鮭と豚汁と、ブロッコリーとエビのオーロラソース和え。

「連日遅くまでご苦労さま」

 そんな言葉を添えて、目の前に皿を置いてくれる。

「いつもありがとうございます」

 善羽が言うと、

「なに急にしゃちほこばって」

 と、玲子ちゃんに笑われた。

「ん? なに?」

 父がじっと善羽の顔を見ているので、たずねた。

「……学校、大変だったな」

「え?」

 驚いた。もう広まっている。だからみんなそろってたのかと思う。

「あんまり根をつめるなよ」

 父の言葉に、豚汁を口に含みながら、ああ、うん、とうなずく。もっとなにか言いたそうな父の腕を、玲子ちゃんが取った。

「じゃあ、おやすみ。わたしたちは先に寝るね。善羽、食器よろしくね」

 玲子ちゃんと父は寝室へ引っ込んだ。

「ほら、お前らもさっさと寝ろ」

「また、お前ら、って言った。いいかげん学習してよ、よし兄」

「あー、悪い」

 ったく、とあきれたように、民が鼻から息を吐き出し、

「ねえ、南松中の三年女子が自殺したって、ほんとなの?」

 と続けた。

「今日、保護者説明会があったんでしょ」

「なんで知ってるんだ」

「萌香が教えてくれた。市内の中学生はみんな知ってるみたい。うちの中学でも、その子と同じ塾に通ってた子が何人かいたみたいだし」

 そうか、そういうつながりもあるのか。職員室だけにいると、わからないことばかりだ。

「民は、大丈夫か」

「うん。あんまり実感ない。知らない人だし」

「命は大せ……」

「命は大切だ、とかありきたりなこと言うなよ」

 かぶせるように智親に言われる。

「じゃあ、なんて言えばいいんだよ」

「なにも言わなくていいんじゃね? 民は自分の頭でちゃんと考えるよ。それよか、よし兄のほうが心配だな。めっちゃ疲れてるように見える」

「南松中の関係者は、全員めっちゃ疲れてるさ」

「よし兄、なんか怒ってない?」

 武蔵が口を開く。武蔵は髪を編み込みにして、スウェット地のスカートを穿いていた。いつまで経っても見慣れない。悟られないようにしているが、善羽は内心、見るのもいやだった。

「みんな他人事だなって思っただけだ」

「今日の保護者説明会?」

「みんな自分の子どものことしか考えてない。亡くなった生徒のことなんてどうでもいいんだ」

「なんで、よし兄にそんなことがわかるわけ?」

 武蔵がきょとんとした顔でたずねる。

「質疑応答で、南松中の生徒が亡くなったことで、高校受験に影響あるかどうかを聞かれた。加点されるのかとか、減点されないでしょうね、とか」

 自死した生徒のいる学校は同情票がもらえると考えるのか。反対に、評判が落ちると考えるのか。どちらにしても嫌になる。

「それって何人?」

「は? なんて」

「その質問した人は何人いたの?」

 自分が質問しているというのに、武蔵が相変わらずのきょとん顔で聞き返す。

「二人」

「保護者は何人来たの?」

「百五十人くらい」

 答えつつ、善羽は嫌な気持ちになった。百五十人のうちのたった二人じゃないかと返されるのではないかと思った。

「百五十人もいるなかで、手を挙げて質問できるってすごいな」

 と言ったのは、智親だった。

「うん。でもきっと、高校受験の影響なんてことを考えているのは、その声が大きい二人の保護者だけかもしれないよ。その他の大勢の人は胸を痛めてるかもしれない」

 武蔵が続ける。予想していたことだけど、そんなことを今さら言われたくなかった。

「そういうのいいから」

 シッシとやるように手を払って武蔵に返すと、瞬く間に不穏な空気が流れた。

「普段から声が大きい人間は、声が大きい人間に対して怒りがちだし、もっと大きな声を出せば制圧できると思ってる。同類なのに」

 ひょうひょうと武蔵が言う。

「同類って、おれのことか?」

「一般論だよ」

 ムッとした。

「どうでもいいけど、武蔵。お前、もう少しまともな恰好しろよ」

 ヤバいと思ったときには口を突いて出ていた。

「おいっ! このクソ長男! 武蔵に謝れっ!」

 智親が目の色を変える。

「先にケンカをふっかけてきたのは、そっちだろ」

「ケンカしたいのはよし兄だろうが。おれに突っかかるのはいいけど、武蔵のことは許さないからな」

「うるせえなあ」

 どうでもよくなって、伸びをした。

「よし兄。もう少し冷静になりなって。今、大変な状況なのはわかるけど、自分の気持ちを誰かにそのまま投げつけるのは暴力だよ」

 民が諭すように言う。

「……民、なんだかお前、雰囲気変わったな」

 武蔵と智親のことはそっちのけで、思わずつぶやいてしまう。民がいつのまにか大人になったと感じたのだ。昔から聡い妹だったけれど、ひと皮むけたというか、ずいぶんと落ち着いた雰囲気になった。

「なにそれ。それにまた、お前、って言ってるし」

 民があきれたようにため息をつく。

「おれは許さないからな、アホ長男。まず武蔵に謝れ」

 カッカしている智親を見ていたら、心が落ち着いてきた。どうやらおれは、智親に甘えているようだと、こんなときに思い至る。文句を言いたいのは武蔵なのに、結局は智親と言い合っている。

「智親、いいよ。ありがとう。よし兄とぼくは違いすぎるから」

 腿でもかゆいのか、スカートの上からぼりぼりとかきながら武蔵が言う。

「……悪かったな、武蔵」

「うん、いいよ」

 感情が読み取れない顔で、武蔵がうなずく。

「よし兄、豚汁冷めちゃったでしょ。あっためようか」

 そうたずねる民の顔はやさしかった。やっぱり変わった。大人になったと思う。善羽は礼を言って、自分でやるよと断った。

「……なあ、十四歳の女の子が死ぬって、どういうことだと思う?」

「いじめの可能性はないの?」

 民が聞く。

「いじめの事実は、今のところ見つかっていない」

「……でもまあ、いじめだけが原因じゃないし」

 依然としてムッとしたままだけれど、智親が答えてくれる。

「じゃあ、他にどんな理由があるんだ?」

「そんなの、その子にしかわからないよ」

 民がつぶやくように言う。

「いじめだったら、いいわけ?」

 武蔵だ。

「そんなわけないだろ」

「理由がいじめだったら、よし兄、納得しそうだから」

「おれはただ、生徒が自ら命を絶った理由を知りたいだけだ。理由がわからなきゃ、予防できないだろ」

 束の間、しんとする。口を開いたのは武蔵だった。

「じゃあさ、自殺すると、もっと苦しむってことを伝えたらいいんじゃない?」

「はあ?」

「たいていの人は楽になろうとして自殺すると思うけど、自殺したらさらに大変らしいよ。自殺したときの状態のまま、後悔の念にさいなまれて苦しみがずっと続くらしい。生きてるほうがよっぽど楽だって」

 思わず、智親と民と顔を見合わす。

「……武蔵、それってなんかの宗教か?」

「宗教とは違う。世のことわりだよ。自ら望んでこの世に生まれてくることを選んだのに、それを放棄したらダメでしょ。リスクは計り知れない」

「武蔵、お前、誰かにだまされてないか?」

 心配を通り越して不安になった。

「よし兄が自殺を予防したいって言うから、真理を伝えただけだよ。あとさ、また今、お前、って言ってたよ。民が嫌がるし、ぼくもあまり好きじゃない」

「ああ、ごめん」

「とにかくよし兄は、身体を壊さないようにね。ぼく、もう寝るから。おやすみなさい」

 武蔵はそう言って、二階へのぼっていった。

「……なんか、話が変な方向にいったな」

 すっかり気をそがれた。

「おれにはよくわかんないけど、武蔵が言うんだから、ひとつの真理なんだと思うよ。でもまあ、子どもたちにそのまま伝えるのは、いろいろと問題ありそうだけどね」

 智親が言う。

「ああ、そのまま伝えたら、保護者からクレームの嵐だな」

 けれど、武蔵は武蔵なりに自分のことを気にかけてくれているんだと思い、まともな恰好しろよ、なんて言ってしまったことがおおいに悔やまれた。いいかげん、この瞬間湯沸かし器をどうにかしたい。

「ねえ、よし兄もちか兄も、死にたいと思ったことないの?」

 民の言葉にぎょっとする。

「なに言っ……」

「おれはあるよ。やっぱ中学生の頃」

 善羽をさえぎるようにして、智親が言った。

「はあ!? なんでよ、なんで言わなかったんだよ!」

「いや、なんか突然、死にたくなったんだよね。塾の帰りで、今道路に飛び出したら、車にひかれて死ぬなあって思って。道路の途中まで出てみたけど、なんかちげえと思って戻った」

「なんだよ、それ……」

 善羽は膝に力が入らなくなるほど、びっくりした。智親にそんなときがあったなんて、まったく知らなかった。

「民はどうなんだ」

 民は、あるよ、と言って唇をきゅっと結んだ。

「……うそだろ」

「そういうことを考えたことない人のほうがめずらしいかもよ。よし兄みたいにさ」

 智親の言葉に絶句する。智親の言うように、善羽は死のうと思ったことなど、ただの一度もなかった。

「でも、むさ兄が言ったみたいに、生きてるより苦しむなら嫌だよね。大損って感じじゃん」

 民が薄く笑う。

「民、もしかして彼氏でもできたか?」

 やっぱりどこか大人びたと思い、恋愛でもしてるのかと思った。

「はあっ? なんなの、突然。よし兄ってほんとデリカシーゼロ人間だよね」

 智親と顔を見合わせて、二人してため息をつく。

「あの哲学の本読んだ?」

「いや、まだ」

「よし兄には、ああいう本を読んでもらって、じっくりと思考してもらいたいところ」

「そうか、わかった」

 実はすでに数ヶ所ページをめくっていたが、答えを出さないではぐらかすようなことばかり書いてあって、性に合わなかった。

「明日は生徒たちへの説明会があるんだろ」

 智親に聞かれ、善羽はうなずいた。夜にはお通夜もある。

「そうだ、よし兄が好きな筋トレだけどさ、あながち間違ってないかもって思った。悩んでるときとか、頭のなかがぐじゃぐじゃになってるときに身体を動かすと、身体のほうに集中できて気が紛れるよね」

 民が言う。

「そうだろ? 鍛えてるときって、効いてる筋肉のことで頭がいっぱいになるから、余計なことを考えずに済むんだよ。いつでもダンベル貸すから言ってくれ」

 はいはい、と二人はおざなりに返事をし、二階へあがっていった。

 善羽は残りの食事を済ませ、食器を片付けた。その後、スクワットとプランクをこなして、プロテインを飲んだ。

 死にたいと思ったことがあるという智親と民には驚かされたし、宗教観の強い武蔵の話には眉をひそめたけれど、弟妹たちと話せて頭が少しすっきりした。スタート地点に立ち戻れたような気がした。

 

 

(つづく)