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 バスケ部の一年生の様子がおかしいと思いはじめたのは、夏休みの部活動に、民が三度目の参加をした日だった。ぜんぶ参加していたら、おそらく六度目になる。二回は生理で、一回は気分が乗らずに休んだ。

 最初は少しだけ二年生の七人がよそよそしい気がしていた。けれど、すぐにいつも通りに打ち解けた。問題は一年生たちだった。誰も民の指示を聞かないのだ。ミチャポンや他の二年生の言うことは聞くけど、民の声は無視。

「やだなあ、みんな反抗期? 今の時代はそういうの流行はやらないよ。仲良くやろう」

 一年生九人に向かって民は声をかけた。民のこういう物言いを、一年生たちが好んでいるのを知っている。古い因習にメスを入れる的な、自分の意見をきちんと発信する的な。

「わたしたち、高永先輩の指示には従いません」

 一年生のエース、木下きのしたが言った。

「そうなんだ? 了解」

 と、民は敬礼をして答えた。

「今日は一年生たちが、かわいくない」

 菜穂に愚痴ると、菜穂はふうっ、と鼻から息を吐き出して口を結んだ。それだけだった。

 パスの練習をしていても、民のボールを受ける一年生は誰もおらず、民が放ったボールはボムボムと転がって壁に当たり、力なく戻ってきた。

「ほら、一年生! ちゃんとやって」

 ミチャポンが大きく手を打っても、返事だけで、民の声と民が触ったボールはスルーされた。

 次の日も部活があった。民は元気よく出かけた。テレビでは、最高気温が三十七度になると気象予報士が伝えていた。ペットボトル禁止という謎の校則のせいで、スポーツドリンクをわざわざ特大ステンレスボトルに移し替えて持参した。ステンレスボトルが重くて、持っているだけで疲れる。ほんと、校則ってアホらしい。

 気温と湿度が高すぎて、青空までもがモヤッて見える。学校に着くまでに、すでに汗だくだった。

 体育館の巨大扇風機は、今日も生ぬるい風を運んでいる。もあもあと空気が動くだけで、まったく涼しくない。

「温暖化ヤバいね。地球に氷枕してあげないといけないね。冷えピタ貼ったりさ。って、何億枚必要なんだっての」

 民の一人ボケ一人ツッコミに、菜穂がふうっ、と笑う。

「やっぱり夏休みの部活動は禁止にするべきだよね。死人が出たらそれこそ問題だもん」

 菜穂だけに言ったつもりだったのに、民の声はやけに大きく響いた。

「はい、まずはウォーミングアップね。体育館十周から」

 きりりと締まったミチャポンの声。今朝、むさ兄が編み込みをしてくれたから、走っていてもサイドの髪が落ちてこないで助かる。走ったあとは、体幹トレーニングやストレッチなどのウォーミングアップ。

「ガリガリ君食べたいー!」

 水分補給というより、もっと芯から冷えたい。

「かき氷食べながら、海に飛び込みたーい!」

 嘆かずにはいられない暑さだ。

「高永先輩、いいかげんにしてくださいっ」

 一年の木下にぴしゃりと言われる。

「やる気ないことばかり言うなら、黙っててほしいです。士気が下がります」

「ごめん。あんまり暑いから」

「ミチャポン先輩が一生懸命やってるのに、ひどいです。いじめですか?」

「えっ、いじめ? わたしがミチャポンに? どうしてそうなるの? 斬新な思考回路でびっくり」

 民は目を大きく見開いておどけてみせた。木下は民を見ることなく、スッと背を向けた。他の一年生も一斉に右ならえした。

 その日、一年生は民のことをすっかり無視した。民も面倒になって、一年生のことは放っておいた。とにかく暑くてだるかった。

「ミチャポン、なんかごめん。一年生が機嫌悪いの、わたしのせいかも」

 帰り際、民はミチャポンに謝った。

「みんなでがんばろ」

 ミチャポンは、答えになっていない返事をよこした。

 翌日も部活はあったけれど、一年生たちは最初から最後まで、民のことを完全無視した。

「後輩から無視されるって、前代未聞じゃない? こんな部活聞いたことないよ。一年生たち強すぎ。ってか、わたしがなめられすぎってこと?」

 民は菜穂に愚痴った。菜穂は、ああ、と小さく声に出しただけだった。

 次の日、隣町の中学校との練習試合があった。民は集合時間の五分前に、待ち合わせ場所である学校近くのコンビニに行った。誰もいなかった。連絡を入れたが、誰からも返信はなかった。みんなを待っていては間に合わないので、民はしかたなく一人で練習試合先の隣町の中学校へ向かった。

 到着すると、すでに練習試合ははじまっていた。顧問に遅刻したことを叱られ、今日の試合には出さないと言われた。民はベンチで応援に徹した。二回試合をして、二回とも民の中学が勝った。

「待ち合わせ場所、違ったよね?」

 民は菜穂にたずねた。菜穂は、ごめんね、と小さい声で謝った。主犯は菜穂じゃないと思い、民はミチャポンに同じことを聞いた。

「ちゃんと伝えたはずだけど。グループLINE見てないの?」

「来てないよ。わたしのところには届いてない」

「おかしいなあ」

 ミチャポンはそう言って、首を傾げた。その首の傾げ具合で、ああ、ミチャポンか、と思った。民抜きの、新しい女バスのグループLINEを作ったのだろう。

「見損なったよ、ミチャポンのこと。こういうことを部長がやるの、どうかと思う」

 民はそう口にした。ミチャポンがそんな人だとは思わなかった。その瞬間、わっ、と泣き出したのは、どういうわけかミチャポンのほうだった。

「ミチャポン先輩!」

 一年の木下が飛んできた。その声で他の部員たちもかけつけた。

「ミチャポン、どうしたの?」

 二年生の理央りおがミチャポンの肩を抱くと、なにがあったの? どうしたの? 泣くなんてよっぽどのことだよ、と大勢がミチャポンに寄り添った。

「高永先輩が、ミチャポン先輩になにか言ってました」

 木下が怒鳴るように言って、民を指さす。

「そうなの? 民。説明して」

 みんなに詰め寄られ、民はとっさに菜穂をさがした。菜穂は、絶妙なタイミングで目をそらした。

「……ごめん、いいのいいの……わたしが悪いから……」

 顔を覆いながら、ミチャポンが絞り出すように声を出す。バスケ部全員がミチャポンを取り囲み、なぐさめはじめた。全員がミチャポンの味方だった。

「高永先輩、ひどいです!」

 木下が声を荒らげる。

「なんで泣かすまで追いつめるかねえ。やりすぎだよ、高永」

「これまで言わなかったけど、民は言い方に問題があると思うよ。口に出す前に、ひと呼吸置いたほうがいいと思う」

「うん、わたしもそう思う。言われたほうは傷つくよ」

 二年生たちがそれぞれに言い出した。

 民はうろたえた。うろたえるということが、人生はじめての経験だったから、その感覚に恐怖を覚えた。心臓がどきどきして、挙動がおかしくなった。民はどうしていいかわからず、逃げるように家に帰った。

 

 翌日、民は部活に行かなかった。いや、行かなかった、のではなく、行けなかった。

「へえ、そんなことがあったんだ」

 萌香が呑気な顔で民を見る。

他人ひとごとだと思って……」

「民のそんなシュンとした姿、はじめて見た。笑える」

 いつもの萌香のもの言いも、今日の民には少々こたえた。

「バスケ部、どうするの?」

「……わかんない」

「菜穂とは話したの?」

 菜穂は、萌香とも仲がいい。

「……話してないけど、菜穂もミチャポン寄りだと思う」

 バスケ部全員が自分のことを疎ましく思っていて、菜穂一人だけが民と仲良くすることはできないだろう。

「ふうん。今度、菜穂に聞いてみよっと」

「そういうのやめてよ」

 思いがけず、悲痛な声が出た。

「民、たった一日で人が変わったみたいね」

 萌香が民に向かってあごをしゃくる。

「それじゃ、まるでふつうの女子中学生じゃん」

「元から、ふつうの女子中学生ですけど」

 民が答えると、

「はあああ!?」

 と、耳をつんざくような声が返ってきた。

「あんた、自分がふつうの女子中学生だと思ってたの? 信じられない」

「は?」

「民みたいに図々しい奴って、まずいないから」

 驚いて萌香を見る。

「民ってさ、いつだって自分は正しいって思ってるでしょ? 自分だけは、なにを言っても許されると思ってるでしょ? みんなより、自分のほうが上だと思ってるでしょ? 自分が言った言葉に、みんなが心を動かされてると思ってるでしょ?」

「なによ、急に」

 半笑いで民は返した。

「そういうのを、巧妙な天然ぶりで隠してるもんね」

「はあ? どういう……」

「心当たりないって言いたいわけ?」

 萌香に真顔で問われ、民は口ごもった。

「心当たりあるでしょ。図星でしょ。グループLINEだって、一人だけわざと既読スルーして、後出しジャンケンみたいに最後に送ってくるもんね。みんなのLINEを見てから、どう返せば上に立てるかって考えてるんでしょ。それって、マウントだよね」

 すぐには声が出ない。

「ほら、やっぱりおかしい。いつもだったら、ソッコーで正論かましてくるもん」

「……いやいや、そんなこと……」

 なにか言いたかったけれど、なんて言えばいいのかわからない。

「ちょっと、民。かなりやられちゃってるじゃん。ハハ、笑える」

 いつもの萌香の笑い声が、今日はどこか遠くから聞こえてくるようだ。

「まさか気付いてなかったわけじゃないよね? 計画的でしょ」

 民は、萌香に言われたことを頭のなかで反芻した。確かに、半分以上は当たっているかもしれないと、正直思った。

 でも、それが悪いこと? 民はいつだって、自分は正しいことを言ってると信じているし、民が口にしたことを、みんながおもしろがってくれているのも知っている。そのためには、道化になったっていいと思ってる。

 でも、それを巧妙な天然ぶりで隠しているとは思わない。天然なんて気取ってないし、マウントなんてした覚えはない。民は、みんながたのしんでくれるといいなと思って、斜めの方向から意見を言っていただけだ。

「民みたいに、自分勝手に自由に生きてる中二女子なんて、そうそういないから」

「どういう意味?」

「またまたあ」

「自分勝手ってなに? わたしは自分にうそをつかないで生きてるだけだけど」

 民はただ自分が心地よく生きたいと、それを実践してきただけだ。自分が良しとすることを、胸を張ってしてきたつもりだ。

「なんでも言いたい放題だもんね」

「萌香だって、いつも言いたいこと言ってるじゃん」

 萌香なんて、毒舌の女王ってくらいはっきりものを言う。わたしどころじゃないと、民は思っている。

「それ、マジで言ってる?」

 萌香が、さも驚いたとばかりに目を丸くする。

「わたしがこんな言い方するのは、民に対してだけだよ。他の子と話すときは、ちゃんとオブラートに包んで話してる。まさかそれにも気付いてなかったわけ? 菜穂と話すときなんて、ぜんぜん違うでしょ」

「え? まじで? ぜんぜん気が付かなかった」

 民は、萌香が他の友達と話す様子を思い浮かべようとしたけれど、ひとつも浮かんでこなかった。

「民って、基本、人のこと関係ないもんね。わたしのことなんて知ろうとしないし、どうでもいいんだよね」

 萌香がため息をつく。

「ねえ、じゃあ、どうして、わたしにだけはずけずけしゃべるの?」

「民に対抗してるだけ。だって、民ってムカつくんだもん。いつも上から目線で物事を批判するし、強気だし、嫌み言っても適当にかわして、最終的にこっちを悪者にするし、言いたいことをなんでもかんでもぜんぶ言うし。そういうのって、めっちゃ鼻につくよ。だからわたしも民に対抗して、民にだけは思ったことをそのまま言うことにしてただけ」

「……ええっと、それって、もしかしてほめてる?」

 萌香は顔を紅潮させて、はあっ!? とわめくように言った。

「なんでそうなるのよ! どんだけあつかましいの? そういう感じだから、民だけには、思いやりフィルターを外してしゃべってたんだよ」

「だってそれって、わたしと話すときだけは、素の萌香でいてくれるってことでしょ。本当の萌香ってこと」

 素の萌香でいてくれたほうがいい、なんでもずけずけ言ってくれたほうがありがたいと、民は思った。だって、それが本当の萌香だ。それが本当の友達だ。

「素ってなに? どれが本当の自分かなんてわかんない。でもわたしは、民と話している自分より、菜穂や他の友達と話してる自分のほうが好きだよ。相手の気持ちをちゃんと考えてしゃべってるもん」

「でもそれって、自分を偽ってるってことでしょ?」

「思いやりだよ。民みたいに、思ったことをぜんぶ口に出すのが正解だなんて、ぜんぜん思わないし、正論を言うのが正しいとも思わない」

「でもわたしは、人を傷つけるようなことは言ってないよ」

「ハッ、そんなの当たり前だし、知らないうちに人を傷つける人こそ、そう言いがち」

「ひっどーい。今わたし、傷ついたよ」

「へえ、傷ついたんだ? そうなんだ。でもさ、バスケ部のことだって、誰かが傷ついたから、今の状況になってるんじゃないの?」

「えっ?」

 そうなんだろうか。誰か傷ついたのだろうか。「言われたほうは傷つくよ」と、こないだの部活のとき言われたけれど、ミチャポンが傷ついたようには見えなかった。むしろ、違った待ち合わせ場所を教えられた自分のほうが傷ついた。

「そもそも民は、なんで自分だけは特別だって思えるの? すごい選民意識だよね」

「ちょっ、選民意識ってすごい言葉だよ。ヤバくない? 言いすぎでしょ」

「そうやって、すぐわたしのせいにする」

 不穏な空気が二人を取り巻いているのがわかった。

「バスケ部のこと、もしかしていい試練かもね。みんな少なからず、民の態度にムカついてたってことだと思うから。仕方ないことかもよ。反省するいい機会かも」

 カチンときた。

「あーあ、萌香もそっち側の人かー。なんか残念だー。萌香だけは違うと思ってたのにー。めっちゃ意地悪じゃーん」

 黙っていようと思ったのに、勢いで返してしまった。それでも、頭のどこかではブレーキをかけようとする意識が働いたのか、言葉尻を冗談っぽく伸ばしていた。

 萌香は今度こそ大きなため息をついて、頭を振った。

「民が落ちこんでると思って話を聞いてあげたけど、なんか気分悪いよ。今日はもう解散しよ」

 民は、わかったと言って、萌香の家をあとにした。

 

 家に帰って、民は夏休みの課題に取り組んだ。普段とは違うことをしようと思ったのだ。スマホで、集中力を高めるというキーボードのタイピング音を流しながら、数学と漢字のワークをやった。頭のなかが全部、数字と漢字になって、余計なことを考えずに済んだ。

 肩が凝ってきたところで、腕を回した。ふと、自由研究はどうなるのかなと思った。萌香はどうするつもりだろう。もう一緒にはできないかもしれない。

「なんだか、急展開になっちゃった」

 民は明るい調子で言ってみた。

「急展開っていうより、急転直下か。ハハ」

「これからどうなるのかなあ」

「ってかさ、わたしってもしかして嫌われてたってこと?」

「みんな、わたしのことがウザかったんだねえ」

「十四年生きてきて、はじめて知った。アハハ」

 声に出すと、少しだけ深刻さが減るような気がした。

「あーーーー」

 息が続くまで、声を出すことを繰り返す。

「わたしってばかみたい」

 つぶやいたら、なにかがこみ上げてきて喉が詰まった。

 

 

 

(つづく)