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  2月7日 土曜日 9:36


 天童は、狩野航大の自宅を訪問した。
 狩野の素性は、住所も含めて調べ上げてある。簡単な作業で、石塚に頼むまでもないほどだった。実際、数分ですべてのデータが揃った。
「大学の後輩に当たるのか」
 OBが言うのもなんだが、面倒な相手に違いない。世間一般と同じ偏見だなと内心嗤った。
 狩野のアパートは木造二階建て、かなり古びた物件だった。離婚後、狩野母子の住民票はここに移ってから変更されていない。
 二階中央付近の部屋へ向かい、インターフォンを押した。すぐに返事があった。
「警察庁ローンオフェンダー対策室の天童と申します」
「お待ちください」
 大して待たされることはなかった。出てきた狩野航大はかなり長身で、一八〇センチ台半ばの天童と同じくらいある。細身で筋肉質だ。ハーフのような濃い顔立ちだった。大きく鋭い目が、渡した名刺を確認している。
「すみません。母が奥で伏せっているもので。上がっていただくわけには」
「いえ、突然お訪ねしまして申し訳ございません。ここを開け放したままにしますのも、お母様のお躰に障るでしょう。外でお話ししませんか。まだ寒いですが、すぐ終わりますので」
 連れ立って、階段を降りた。昨日に引き続き薄い曇天だが、春めいてきたとはいい難い。歩きながら、最近大学の様子はどうかなどと訊いてみた。
「そんなに変わっていないと思いますよ、先輩」
 朗らかな返事だった。場を和ませることに成功したか、元々明るい性格なのか。
「少し調べさせていただきました」アパート一階の隅に立った。「狩野さんは衆議院議員、瀧脇雄大氏の息子さんということでよろしいですね」
「はい。もう一〇年近く会っていませんけどね。そんな人間でも親父と呼べるならば、ですが」
 狩野の声は明瞭で、程よい大きさだった。自虐めいた言葉にも嫌味がない。
「この度の選挙では、大変な思いをなさったそうですね。お母様のご不調も、それが原因でしょうか。心からお見舞い申し上げます」
 礼を言って、狩野は頭を下げた。所作にも含むところは感じられなかった。
「大変なところ申し訳ございませんが、少しお考えなどをお聞かせください。お父様やお祖母様を後援会などで支援なさっている方々に、特殊詐欺や強盗の被害が広がっているとの情報があるのです。ご存じでしょうか」
「いいえ」狩野は、首をわずかに傾げた。「初めて聞きました。瀧脇の家とは、まったく交流などがありませんので、当たり前のことではありますが」
「そうですか。では、普段の生活で、不審に思われたことなどはありませんでしたか。おかしな動きをしている人間を見かけたとか」
「特にありません」力強い返答だった。「まあ、選挙中はおかしな連中が押しかけてきましたけど」
「お父様とは、ずっとお会いになっていないとのことでしたが。ご連絡なども一切?」
「まったくないですね」口元を歪め、短く嗤った。「まあ、話したいとも思いませんが。両親は僕が小学生のころに離婚していますが、面会はもちろん電話連絡さえ皆無でした。養育費の支払いもないんですよ。正直、あの男のことは思い出したくもありません」
「それは、大変な思いをなさいましたね」
「被害に遭われた方には同情します。父のスキャンダルはマスコミによる辛辣な報道と、ネット民からの反発であれほど大きな騒ぎになりましたからね。父を支持した人がいるように、逆に不信感や不快感を抱いた人もいるかもしれません。そうした方々の犯行ではないでしょうか」
「なるほど。おっしゃることはよく分かります」
「“血税”から──」狩野は一呼吸置いた。「給与を受け取り、政策を進めていく以上、父には今まで以上の自覚と責任を持ってほしいですね。もう代議士となったわけですから」
「同意見です。自宅周辺で変わった動きなど気づいたことがありましたら、何でも結構ですので名刺の連絡先にご一報をお願いします」
「了解しました」狩野は微笑んで見せた。


  10:18


「お客さん、どなただったの」
「警察の人」嘘ではない。「この前、家に押しかけてきたおかしな連中いたじゃん。あいつらのこと調べてるんだって」
 これも、さほど嘘ではない。自室で横たわる母に声をかけながら、狩野は一安心していた。
 大学の先輩で、キャリアの警視と聞いたときはひやりとした。だが、東京大学は元々官僚養成機関だ。国公立、私立問わず大学には設立経緯などによって、本来それぞれの役割があった。偏差値の高低のみを重視する、学歴偏重社会によって均一化されているだけだった。
 だから、東京大学出身の警察官僚など珍しい存在ではない。狩野は法学部志望のため、同級生にも多く出てくるはずだ。とはいえ、目の当たりにすると、多少の緊張感は必要だった。
 瀧脇支援者などを狙った“トクリュウ”グループを、狩野が率いているとは感づかれていない。そう確信していた。
 ましてや、これからの“計画”など、まったく思い至ってもいないはずだ。
「自分の部屋にいるから、何かあったら呼んで」
 狩野はパソコンを起ち上げた。“シグナル”を使って、“辛子”こと森田法男に連絡を取った。
 森田は、非常に有名な人物だ。ネットで検索すれば年齢や当時の顔写真まで見られる。指名手配犯として。五八歳となった現在も、逃走中の身だった。
 九〇年代半ばに、あるカルト教団が首都圏で毒ガスを使用したテロに及んだ。首謀者の教祖はじめ、犯行に加担した多くの信者が逮捕された。すでに判決が出て、死刑を執行された者もいる。
 ただし、数名が逃亡中のままだった。森田は、その一人だ。
 森田は、そのカルト教団において毒ガスの製造に携わっていた。日本で有数の理科系大学で化学を学んでいたが、入信後に中退している。教団内でも、その方面では優秀と評判だったそうだ。
 ダークウェブ上でのやりとりのみで、狩野も顔を合わせたことはない。現在の住所や、職業等は不明のままだった。そもそも働いているのかどうかも怪しい。
「“辛子”さま。お世話になっております。“クリント”です。“粒マスタード”のご準備はいかがでしょうか」
“粒マスタード”は森田と狩野だけに通じる符丁で、マスタードガスを意味していた。
 マスタードガスは、イペリットガスとも呼ばれる。毒ガス史上もっとも多くの犠牲者を出したことから、“化学兵器の王様”との異名も持っていた。
 硫化ジクロロジエチルを主成分とし、皮膚をただれさせるびらん剤に分類される。吸入すると、肺や気管支の粘膜が侵され窒息死する。
 原料はチオジグリコールで、インクジェットプリンターやボールペンなどに使用されているインクの溶媒だ。これを塩素化すると、マスタードガスになる。
 このくらいまでなら、ネットで簡単に分かる。だが、実際に製造するとなると話は別だった。原材料からして入手困難だ。化学兵器禁止条約の第一種指定物質、消防法に定める第4類危険物第3石油類でもある。
 森田は、マスタードガスの製造に成功していた。現物が手元にあるという。
 九〇年代のテロでは、違う毒ガスが使用されている。森田本人にとって、マスタードガス製造は悲願だった。狩野には理解不能だが。
 狩野は“計画”に使える武器を探していた。当初は爆弾かマシンガンのような火器を想定していた。
「おれ、いいヤツ持ってるよ。“粒マスタード”って呼んでるんだけど」
 森田と知り合い、マスタードガスに決定した。森田の素性も調べ、本人と確認した。
 マスタードガスの品質については、森田を信用するしかない。一応、動物実験の動画は送らせたが、合成でないと一〇〇パーセントは言い切れなかった。
 このために、“トクリュウ”のアガリを一部貯めてきた。毒ガスの購入資金に充てる予定だ。犯行を始めたときから、そうする予定だった。
「“粒マスタード”、K奥で」
 数カ月前に送られてきた森田のメールだ。マスタードガス一キロを一億円で売却する。
 狩野は、森田からの返信を待っていた。届くのに十数分かかった。
「“クリント”さま。お疲れ様です。“粒マスタード”発送準備完了しております。別途口座を指定いたしますので、全額の入金が確認でき次第送付いたします」
 森田は、添付ファイルに複数の口座を指定してきた。口座ごとに金額も割りふられている。分割して振りこめという指示だ。足がつかないようにするためだった。
 急がなければならない。狩野は、即座に返信した。
「了解しました。ただちに送金いたします」


  14:07


「節分のお豆は齢の数だけ食べないと、調子が出ないわ」
 葛城亜樹子は、櫛の入った黒髪を手で梳いた。いつもどおりグレーのスウェットに、朱鷺色のカーディガンを羽織っている。
「拘置所のご飯は美味しいけれど、そういうきめ細やかな心配りに欠けるのよねえ」
「お前の齢ほど食ったら、腹を壊すぞ」
「おやまあ。そんな台詞はセクハラだって、警察庁では指導していないのかしら」
 毒づく天童に、葛城は薄く嗤ってみせた。
「それはそうと、瀧脇雄大って議員さんご存じ? 確か、この建物も選挙区の中よね」
 葛城も、瀧脇母子に着目している。先月や先々月の事案でポイントは貯まっている。ネットは見放題ではあったはずだ。
「元奥さんへのDVにモラハラ、選挙運動員への性加害。でも、そのスキャンダル報道は、マスコミの悪意ある選挙妨害だってネット民は反発。瀧脇サイドの支援者は、対立候補や元奥さんまで攻撃して大暴れ。で、当の瀧脇氏はライバルに大差をつけて当選。これで合ってるかしら」
「ああ。つけ加えるなら、瀧脇の周辺で強盗や詐欺被害が頻発しているそうだ」
 狩野航大宅からLO室へ戻った天童は、最近の詐欺や強盗事案について調べてみた。瀧脇の後援会名簿は、官房長から送信されている。
 確かに、神奈川20区内では後援会員が被害者となった事案が多い。
 もう少し、さかのぼって調べてみた。関東一円を見ただけでも、瀧脇と同じ派閥や後ろ盾などの関係者が被害に遭っている。全国に調査範囲を広げれば、さらに件数は増えていくと推量される。
 そこまで調べたところで、天童は葛城から呼び出された。土曜でも、お構いなしに連絡してくる。
「瀧脇の息子に会ってきたよ。父親に似ず、なかなかイケメンだったな。まだ、大学一年生だ」
「あらまあ。ぜひともお会いしたいわ」
「“おつとめ”が終わったら、好きなだけ会いに行けよ。何十年後か知らないが。それはともかく。父親への憎しみという観点から考えるなら、被疑者の一人ではある。だが、そこまでの力を持っているかどうかは疑問だ。これだけの強盗や詐欺を、はたして一人でやってのけられるものか。そんなに金を貯めこんで、何を企んでいるのかも分からないしな」
「駄目ねえ、天童警視。やっぱりきちんと齢の数いただかないと。伝統文化を軽んじる者に、いい仕事はできないわよ」
 葛城は、顔をアクリル板に寄せてきた。ルージュの薄い唇が、空気穴に寄る。
「父親の支援者に強盗や詐欺を仕掛けたって、当の父親には握りっ屁みたいなもの。あら、お下品でごめんなさい。どうして父親の周辺だけ狙うのか、なぜ金が必要か。しっかり考えてみたのかしら」
「何が言いたい」
「簡単なことよ」葛城は嗤う。「あなた自身に置きかえろってこと。あなたなら、何を望むの。誰を憎み、何を仕掛ける? 今までだって、なさってきたことでしょう」


  2月11日 水曜日 10:38


 祝日──“建国記念の日”の朝は快晴となった。
 放射冷却の影響か、ここ最近では少し寒い日となっていた。狩野航大は、地味なビジネスコートの襟を合わせた。
 狩野は相模原市慰霊塔を訪問していた。南区東大沼一丁目に建立され、地元では“忠霊塔”とも呼ばれている。市のホームページには「市内戦没者を永遠に合祀して、御霊のご冥福と郷土の繁栄、世界平和を祈る聖域としています」とある。
 確かに、慰霊塔の周囲は木々に囲まれ、厳粛な空気が流れていた。
 慰霊塔の前に設けられた広場には、サイドに運動会で使用するようなテントが張られていた。塔の前には、折り畳み式の長椅子が並んでいる。
 場内には多くの人々が集まっている。和洋の正装に身を包んでいる者も多く、カジュアルな服装は皆無だった。狩野も、コートの下はそれなりにフォーマルなスーツだ。この日のために、購入しておいた。
 本日、祖母と父──瀧脇母子は政治資金パーティを開催する運びとなっている。
 招待されているのは、後援会委員をはじめとする父や祖母の支援者たちだ。建国記念の日に合わせた私的な慰霊祭と兼ねて、瀧脇雄大の誕生パーティ兼当選祝賀会と銘打っていた。
 瀧脇家は座間市在住だが、相模原市南区は瀧脇の地盤でもある。市民が大切にしている厳粛な地での開催だった。
 建国記念の日だ。慰霊祭だけなら分からなくもないが、本当の目的はお誕生会と祝賀パーティによる資金集めだ。祖母と父の所業とはいえ、センスのなさに顔が赤くなる。
「市民に謝罪させないとな」狩野は一人嗤った。
 一一時から慰霊祭を開催し、そのあとは貸し切りバスで地元の集会所へ向かう。そこで打ち上げを兼ねてパーティの予定だ。
 父の誕生日は、正確には二日後の一三日だ。だが、誰もそんなことは気にしていなかった。選挙戦の勝ち名乗りを上げ、勝利の美酒に酔う。皆、期待しているのはそれだけだった。
「ブルース・デリバリー株式会社の田村様ですね」
 狩野は受付を済ませた。“田村”は、ダークウェブ上で入手した戸籍の名だ。ダミー会社における代表取締役の名義として使っている。
「慰霊祭のあとは貸し切りバスで移動かい? 何とも仰々しいねえ」招待客の会話が聞こえる。
「その割には、さ。パーティ会場はホテルとかじゃなくて、地元の集会所だろ」
「見栄を張りつつ、節約も怠らない。政治家の鑑さ。開催経費が浮けばその分実入り、自身の懐が温かくなるって寸法だからね。後援会の事務局長が言ってたよ──“裏金が問題化して助かった。今の時期に、堂々と裏金作る奴はいない。世間はそう考えるだろう”って」
「景気がいいのは政治家だけだねえ。こちとら不況に喘いでるっていうのにさ」
 招待客は揃って笑った。いささか自嘲的に響いた。自分たちも政治家のおこぼれに与ろうと、この寒空にわざわざ参列している。笑うしかないというのが正直な心情だ。
 会話を立ち聞きして、狩野は少し納得した。吝嗇なくせに見栄っ張りな瀧脇富美恵と雄大母子、奴らが考えそうなイベントだった。
 父や祖母はじめ、小学生までの狩野を知る関係者とは一〇年近く会っていない。素性が見破られることはないと考えたが、一応眼鏡とつけ髭で変装してきた。
「これって、私的な慰霊祭だろ」
 タキシード姿の男が、隣の紋付き袴に話しかける。ともに、まだ若い。
「市は普段からこうしたイベントに会場を貸し出してるのかな」
「さあな。ベテラン議員だった母親が圧力かけたんじゃね。でなきゃ、飛ぶ鳥を落とす勢いの息子に、市職員が恐れをなしたか。何にせよ、市にとっては迷惑な話だと思うよ」
 狩野は、マスタードガスを水筒に入れている。医療器具にも使用される特殊な樹脂製だ。マスタードガスは浸透性が高く、ゴムにも通る。
「この水筒なら大丈夫さ」
 取り扱いの説明は、森田法男から送信されている。
「“粒マスタード”はさ、常温では無色で無臭だから。粘着性の液体なんだよね。不純物を含むと、マスタードやニンニクみてえな臭いを放つけど」
 今のところ、そうした兆候はなかった。漏れ出したりはしていない。
 背負っているバックパックに、狩野は視線を向けた。3ウェイのブリーフケースにもなるタイプだ。中には、マスタードガス入りの水筒が入っている。
 祖母の姿が見えた。マスコミの事前インタビューに答えている。
「戦没者慰霊の機会は多ければ多いほどいいと思います。今の平和な日本国は、多大な犠牲の上に成り立っているのです。それを忘れず、この国を守り続けていくためにも開催し続けるべきでしょう」
 週刊誌やTVは、まだ父に対する糾弾を諦めてはいない。ただし、選挙での圧勝を受けて、追及の手はかなり鈍ってきている。
 話題が、法務大臣に対する投石事件に移った。父の応援演説に来たときに発生したのだから、自然な話の流れではあった。
「民主主義が暴力に屈することは、決してあってはなりません」
 こうした事件が起こると、必ず祖母のような意見が出る。ただ、あれは単なる夫婦げんかの腹いせだと聞いているけれど。
 そもそも“民主主義が暴力に屈してはならない”とはよくある言説だが、はたしてそうだろうか。ならば、民主主義が暴力と化した場合はどうなるのか。
 民主主義は元来、それ自体が単なる暴力装置だ。数を絶対的な正義とし、衆愚によって、暴走する恐れを常に孕んでいる。使い方には細心の注意を要する。銃器や刃物と同じように。
 愚かな大衆が、愚かな議員を選んで、間違った悪しき連中が君臨する。それは、数の暴力に過ぎない。民主主義の暴力化だ。
“一夜にしてなれる職業は、政治家と売春婦だけだそうだ”と作家の原尞は書いた。売春婦に失礼だと思う。彼女たちには、スキルと相応の覚悟が必要だ。政治家には、そんなものは微塵も要らない。
 なぜなら、政治家など馬鹿でもなれるからだ。馬鹿が馬鹿に投票すれば、それで済む。
 言いかえれば、この国にはまともな選挙民が存在しないということでもある。既得権益にしがみつき、思考停止で世襲候補に投票するか。面白半分にノリで、自称政治家の色物を選択するか。父は両方から恩恵を受けていた。
 世襲や色物に投票するだけでよいなら、選挙などない方がましだ。議員は、試験で選出すればいい。そうすれば、無能な人間は事前に排除できる。そのうえで選挙なり、リコール制度の拡充なりを行なえばいい。
 この国にまだまともな選挙民がいたとしても、彼らは日本の政治に絶望している。ゆえに、選挙権を放棄する。第一、良民が選ぶべき候補自体存在しない。
 今、必要なのは選ばない勇気だ。こいつでさえなければ、誰でもいい。腹を括って、そいつ以外の候補に投票する。そうした覚悟こそが、この国を変えていく。常々そう考えているが、一人でどう主張すればいいかが狩野には分からない。
 ならば、行動で示そう──
 選挙権は権利であると同時に、義務だ。そして、責任を伴う。悪しき指導者を選んだ者には、それ相応のペナルティが与えられなければならない。もちろん、選ばれた人間も含めて。
 背中のバックパックを下ろし、開いた。入れた手に、水筒が触れる。中には、液体状のマスタードガスが充填されていた。
「お取りこみ中のところ申し訳ございません」背後から声がした。「あなたは、実にお優しい方ですね」
 狩野は手を止め、ふり返った。
 土曜日に会った天童怜央が立っていた。

(第17回につづく)