15:13
天童は、ロビーで待機していた。
下園慧を呼び出すため、受付の女性に名乗り名刺も渡した。部署名は“警察庁公安課ローンオフェンダー対策室”、住所は神奈川県相模原市。何者か伝わらなくても無理はない。警察官だと補足した。
ロビーは明るく、広い。二階までの吹き抜けとなっている。社屋自体は新しくなく、いかめしいブロンズ像が数体立っていた。
セキュリティは最新だった。受付右側には機械の関所があり、地下鉄の改札口を思わせる。社員か、許可された人間しか通過できない仕組みだ。天井には、数メートルおきに防犯カメラが設置されている。
証券会社なら、顧客から恨みを買うことも多いのだろう。セキュリティ強化は最優先事項のはずだ。
セキュリティの向こうから、男が現れた。ベージュのビジネスコートを着て、手には営業用のブリーフケースを提げている。
長身というほどではない。痩せて面長、目の下には隈が見えた。受付の女性が、天童を手で示した。
「下園慧ですが」
近づいてきた下園は、怪訝な表情で自己紹介した。天童も名乗り、名刺を交換した。
「警察手帳、最近はバッジなのかな。それは提示されないんですね」
「持ってはいるんですが」LO室でも、警察官と同じ身分証は作成及び携行している。「ちょっと特殊な部署でして。単独テロを未然に防ぐよう活動しています。ご協力をお願いできますか」
「そうですか」下園は、あっさりと納得した。「まあ、こちらへどうぞ」
ロビーには椅子とテーブルが数脚用意されている。ソファのような応接セットとは違い、ビジネスライクな代物だ。勧められるまま、天童は腰を下ろした。
「いきなり恐縮ですが、下園さん。小説を書いていらっしゃいますよね」
天童は、『バッドアップル』のプリントアウトをテーブルに置いた。
「驚きだな。読んでくださったんですか。ありがとうございます」
下園の顔が、少しだけ明るくなった。あまり驚いているようには見えない。
「よく作者が私だと分かりましたね。ペンネームを使っているのに」
「必要に迫られまして、調べさせていただきました。ご存じないですか。この小説に酷似した犯行が今朝、新宿区役所で行なわれたんです。ネットニュースにも出ていましたが」
LO室はオブザーバーであり、各都道府県警察の捜査を支援する立場だ。今回の件をテロ予測情報として流すのは、時期尚早に思われた。裏付けを取るため、作者の下園を訪ねた。
「朝から忙しくて」下園は苦笑した。「酷似ってことは、入口にワックス撒き散らした奴がいたんですか」
「そうです。何かお心当たりは」
「ないですよ。誰がやったんですかね、そんなこと」下園は苦笑いを大きくした。「“サカメザ”のサイトを利用し始めて、もう一年以上になりますけど。こんなことは初めてですよ。でも、そんなに似ているなら、犯人は読者の誰かかもしれませんね。作者にも責任があるのかな」
「下園さんは、小説家を目指してらっしゃるんですか」
相手の得意分野に関する話題で、口を滑らかにしてみよう。
「ええ、恥ずかしながら。以前は新人賞などに応募していたんですが、どうも上手くいかなくて。小説投稿サイトを活用する方向に切り替えたんです」
「かえって大変ではありませんか。出版社を通さず、いきなり一般読者の目にさらされるわけですから。好意的な意見ばかりではなく、酷評されることもあるでしょうし」
「確かに、メンタルには来ますよね。辛辣なコメントを見たりしたら、正直落ちこみます。ですが、読者の率直な意見ですから。少数の人間だけで決められる新人賞より、一般の手応えが分かりやすい分、デビューのチャンスは多いと思っているんですよ」
「今日初めて小説投稿サイトというものを拝見したのですが、読者数はかなりの数に上るようですね」
「はい、書いている人間が、ほかの人間の作品も読んでいるという面はあるのですが。ですから、新宿区役所の件も、そうした連中が真似したのではないかと思います。私にも、ある程度まとまった数の読者はいますので。なぜ私の足を引っ張ろうとしたのか、その辺は分かりかねますが」
「競争は激しいのですか。嫉妬とか」
「そうですね。賞という形ではないですが、人気が出れば書籍化もあります。互いに酷評し合って、トラブルに発展することもあるようです。話に聞くだけで、私は経験ありませんけどね。ですから、作品の真似をされて貶められるような覚えはありません」
「なるほど。これは、お会いした方には必ずする質問なので、気を悪くしないでいただきたいのですが。昨夜の深夜から早朝にかけて、どちらにいらっしゃいましたか」
「アリバイですか!」下園は顔を輝かせた。「ドラマみたいだなあ。さすが本職の刑事さん。質問が堂に入っていらっしゃる」
「僕は刑事じゃないんです。警察庁の役人ではありますが」
「それで、手帳をお出しにならなかったんですね。確か、お名刺に警視とありましたが。お若いし、ドラマとかに出てくるキャリアの方ですか」
そうですと答え、うなずいた。下園の笑みが大きくなる。
「すごいなあ。初めてお会いしましたよ。今度、お話を聞かせてください。小説のネタにしたいので」
「お話しできる範囲で良ければ。それで、昨夜は」
「それがですね。アリバイないんですよ」下園は後頭部を掻いてみせた。「深夜に帰宅して、小説書いてから寝ただけなんで。証人なんていません。困ったなあ、容疑者にされたらどうしよう」
下園は悪戯小僧のような冗談口調で言い、また笑った。
12月11日 木曜日 1:09
今日も、下園は深夜に帰宅した。食事と入浴を済ませ、執筆に励んでいる。
気分が昂っていた。珍しいことだった。証券会社に勤務し始めてからでは、初めてかもしれなかった。
結局、営業の成果は上がらなかった。
「お散歩、お疲れ様でした。油だけはたっぷり売れたようで、何よりです」
課長一流の嫌味は、今日も年季が入っている。それでも、簡単に耳を素通りさせることができた。外回り中も、株のことなどまったく考えていなかった。
頭を占めていたのは、天童怜央という役人のことだけだった。
あの男は、何が目的で下園のもとを訪れたのか。ローンオフェンダー対策室の室長と名乗り、単独テロを未然に防ぐと言っていた。
正直、最初はぎょっとした。頭の中を見透かされているのではないか。そんな恐れさえ抱いた。
だが、杞憂だった。簡単に追い返せた。警察庁のキャリアなどというから、どんな人物かと警戒させられたが。天童だけが、特別に無能な部類だったと祈りたい。でないと、日本の治安が心配になる。
下園は自室で一人、声に出して嗤う。成功体験は人を強くする。残りの半日を、下園は高揚感に包まれて過ごした。ここまで幸せな気分になったのは、いつ以来だろう。
そのためだろうか。いつもより筆も進む気がする。キーパンチングが自動書記のように軽やかだ。
内側から湧き起こる喜びを、抑えることができなかった。すべてが順調に進んでいる。自身が執筆している小説から力を感じる。何も臆することはない。
気分の浮き立ちとともに、執筆への集中力も高まっていく。自身の鬱屈を、バッドアップルの言葉としてキーボードへ叩きつけてゆく。
横柄な上司、冷たい同僚、息子の金を当てにするだけの両親──すべてに辟易していた。現在、下園に恋人はいない。それを言うなら、学生時代からいなかったのだが。孤独な生活を強いられ、冷酷な社会に翻弄され続けている。世の中は、すべてが歪んで感じられた。
TVでは、衆議院議員──今野礼司による裏金疑惑が報じられていた。
音は落としてあるが、現代のTVは字幕まみれだ。何があったかは分かる。
政治資金パーティについて、券の売り上げを政治資金報告書に記載していなかったそうだ。政党から課されたノルマをクリアした余剰分らしい。パーティの参加企業には関東証券も含まれていた。社長の坂巻は、今野と懇意にしているという。二世議員に、入り婿社長。似合いの取り合わせだ。
この国は、無能とクズばかりがのさばっている。本当に有能な人間は、隅に追いやられている状態だ。このままでは日本、いや世界が滅びてしまう。誰かが立ち上がらなければ──
世界はもうすぐ、自分たちの過ちを思い知ることとなるだろう。
12月17日 水曜日 10:26
天童は、警察庁の官房長室に呼ばれた。下園慧を訪問してから、一週間が経過していた。
正源寺光彦の前に、天童は立っていた。官房長席の向こうには、冬色の霞が関が見える。
「衆議院議員の今野先生は知っているな」
「噂の裏金議員ですね」官房長の質問に、天童は鼻を鳴らした。「大変バズっていらしたようで」
「そんなこと言うなよ」正源寺が眉を寄せる。「気持ちは分かるがな」
今野礼司は三十代半ばの長身、すっとした印象で人当たりも良い。人気の代議士だったが、裏金疑惑で地に堕ちた感がある。一週間前には、汗まみれでマスコミ対応する様子がよく放送されていた。
裏金疑惑の議員は次々に現れ、一人の話題が長続きしない。熱しやすく冷めやすい国民性がよく表れている。そのうちに問題自体が忘れ去られるだろう。
「足立区にある議員の事務所前で、小規模な火災があってな」正源寺が椅子を左右に回す。「灯油を染み込ませたタオル数枚が事務所前に置かれて、火を点けられた。幸い、ちょっとしたボヤで済んだがな。裏金への抗議か知らんけど、手間を増やしてくれる。“ほんまゴメンやで”」
「若者言葉で好感度上げようとすると、火傷しますよ」
“ほんま~”はあるタレントが使用し、高校生などの間で全国的に流行っているらしい。
正源寺の話では、今野議員の父親が警察庁長官に圧力をかけたという。元々、警察族の代議士だった。そうなれば、官房長も腰を上げざるを得なくなる。
「政治屋ガチャも、国民にはハズレが多いですから」天童は薄く嗤った。「この国の場合、そもそも当たりがあるかどうかも怪しいですが」
「で、今回の騒ぎについて、何かネタはつかんでんのか」
天童は、小説投稿サイトの『バッドアップル』について説明した。
今週アップされた第二回は、裏金議員の事務所前が放火される内容だった。議員名は匿名だったが、タイミング的に見て今野を指しているのは間違いないだろう。
「なるほどな。日本語で言うと“腐ったミカン”か」正源寺は呟いた。「その言葉はだな。昔、『3年B組金八先生』ってドラマがあって──」
正源寺は“加藤くん”云々と懐かしげに語っているが、天童にはピンとこない。
「まあ、いい」天童が乗ってこないので、正源寺は話題を変えた。「もう二件も続いてるんなら、さっさと相模原へ戻って対策を考えろ。いいな」
13:06
天童がLO室前へ到着するのと、葛城亜樹子からの呼び出しはほぼ同時だった。そのまま、隣接する東京拘置所相模原女性支所へ向かった。
「おやまあ。お早いお越しで。今お呼びしたばかりなのに。感心だわ」
いつもの面会室で、天童はアクリル板越しの向かい側に腰を落とした。
冬の気配が強まり、葛城はいつものスウェットにカーディガンを羽織っている。面会室に暖房は入っているものの、コンクリートに囲まれているため底冷えがする。
「何か面白いお話はない? ずっと退屈してるのよ」
「絵本が欲しければ、サンタにでもお願いするんだな。いい子にして、靴下も忘れるなよ」
天童は、バッドアップルの件について説明した。
「簡単な事案よね。ずっと待ってたのに、そんなのしかないわけ?」
一二月に入ってから、葛城の意見を聞くような事案は発生していなかった。
「まさか、下園に“小説を書くな”とも言えないしな」
「その下園が犯人でも、下園に共犯者がいても、小説を読んだだけの関係ない人間による犯行でも、それはあまり関係がないわ。誰であれ、追いつめるのは簡単」
「単に小説を真似ているだけなら、対象者数は膨大になる。絞りこむ前に、小説の内容がエスカレートしていったら面倒だ」
「それこそ狙い目よ」葛城が嗤う。「小説が盛り上がって、犯行内容がエスカレートしていけば、それだけ阻止しやすくなるわ。ターゲットの対象が限定されて、犯行が可能な人間も限られてくるでしょ。様子を見ていればいいわよ。はあ。もうちょっと、面白い話持ってきてくれない?」