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  15:28


「筒井、ちょっといいか」
 LO室には、筒井史帆と石塚祐一がいた。官房長にも話したとおり、今は取り組んでいる案件もない。双方とも手持ち無沙汰な様子だった。
 天童は、政治家のゴシップに興味はない。補選での騒動も、ときどきニュース等で観ていただけだ。系統立てて整理はしていなかった。一から調べ直すのも面倒なので、筒井から聞くことにした。
「ここの選挙区で、先月あった衆院の補選。当選した瀧脇の騒動について教えてくれ」
「人に物を頼むのに、手ぶらで上等なんて方じゃありませんよね、室長は」
「もちろん」ケーキの小箱を差し出した。「おい。これは石塚の分」
 一人だけに買ってくると揉める。別の小箱を石塚にも渡すと、不愛想に受け取った。
「あいつにも買ってきたんですかあ」筒井がぶうたれる。
「実は、お前の分だけ少しお高めなんだ」
 小声で耳打ちした。嘘も方便だ。
 ともあれ、機嫌を直した筒井と“取調室”へ入った。
「雄大っち初出馬の騒動は、ある週刊誌の記事が原因です」
 スクープが“○○砲”とか呼ばれる、日本では知らぬ者のない週刊誌だ。筒井は、早速ケーキを頬張り始めている。
「あのマザコンオヤジ、元妻にDVやモラハラをしてたとか。選挙運動員へのセクハラ疑惑も報じられてましたよ。母親の権力を笠に着て、やりたい放題ですよね。絶対お婿さんにしたくないタイプです。室長、コーヒーはないんですか」
「自分で淹れろ」
「サービス悪いなあ」
 膨れっ面をして、筒井はLO室備えつけのコーヒーメーカーへ歩いていった。戻ってきたその手には当然、天童分のコーヒーはなかった。
「TVとかも巻きこむ形で、雄大っちのスキャンダル報道は過熱していったんですけどね。マスコミ嫌いなのかな、ネット民は。報道関係者が期待していたのとは違う反応を見せたんですよ」
 始まりは、SNSへ送られた数件の投稿だった。
「雄大っちは大変な子煩悩で、家庭を大事にしていたとか。離婚の原因は妻側にあって、彼女が不倫していたせいだなんて噂もありました」
 ケーキを食べ終えた筒井は、満足げに一人でコーヒーを飲んだ。
「セクハラを訴えた選挙運動員は、芸能界デビューを考えてたなんて話も流されてました。で、売名目的で嘘ついてるんだって。ほかにも、雄大っちは大変親孝行な男とか。最初は考えてなかった政界入りも、躰を壊した母のため、その想いを継ぐべく決意したなんて美談に仕立て上げられたりなどなど」
 こうした書きこみは、急速な広がりを見せた。瀧脇雄大は、卑劣なマスコミの誤報道による被害者とされていく。
「で、ネット民が中心となって、急速に人気が上がり始めたというわけです」
 その反響はインターネットを飛び出し、選挙区中に拡がっていった。
「マスコミ報道と、ネットの反応。どっちが正しかったんだ」
「マスコミだと思いますよ。証拠はないですけど。当選の裏では、PRコンサルティング会社の選挙プランナーが一枚噛んでる、なあんて噂も一部には流れてましたから」
 元々、母の富美恵は選挙に強い代議士との評判だった。それは、この選挙プランナーの力量によるところが大きいという。
「その選挙プランナーとやらは、瀧脇雄大のスキャンダルを一種の陰謀論化させたってわけか。奴の足を引っぱろうとマスコミが画策している。ネット民を中心に、そう思いこませた」
「でしょうね。その陰謀論を信じた瀧脇支持者は、一部がめっちゃ過熱しちゃって。暴徒化した連中も出てきたりしました。雄大っちの反対派と街角でいざこざを起こしたり、対立候補の選挙運動を妨害したり。ひどいのになると、別れた奥さんの家にまで押しかけた輩もいたとか。もう犯罪ですよね」
「なるほど。よく分かったよ」
“取調室”を出た天童は、石塚に声をかけた。
「衆議院議員、瀧脇雄大の別れた妻について調べろ」
 眉を寄せる石塚の口元には、生クリームがついていた。
「食べてすぐの労働は、消化に悪いんですけど」
 石塚は口元を拭った。


  19:31


「お待たせしました」
 狩野はデリバリーのピザを受け取った。紙容器の熱さに満足する。出来たてだ。料金を支払い、台所へ持っていった。
 母の調子が悪いときは、狩野が夕食の準備をする。調理のスキルは大したレベルではない。どうしてもデリバリーなどに頼ってしまう。
 日本は、もう少し男子の家庭科教育にも力を注ぐべきだ。心の底から、そう思う。今はピザ代ぐらいの金には不自由していないが、いざ節約が必要になったらどうするのか。困っている男は多いはずだ。
 母を食卓へ呼び、Mサイズを二人でシェアした。
 と言っても、母は六切れ中の一切れしか食べなかった。
「ごめん」母は立ち上がった。「少し横になるから。ゆっくり食べて」
 狩野は、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。まだ二〇歳未満だが、普段指揮している強盗や特殊詐欺の罪に較べればなんということもない。
 母は、先月から心療内科に通っていた。大手一〇〇円ショップのチェーン店でパートをしているが、それも休みがちだ。
 元々、航大の顎辺りまでしかない身長の上、背中をさらに丸めている。昔は美人だったそうだ、自称だが。今は苦労を重ねたためか、やつれ、見る影もない。四一歳には到底見えない老けこみ方だった。
「お母さんは、都内にある私立の短大でデザインを学んだの」以前、話していた。「そのころに、お父さんと知り合ったの。合コンよ」
 卒業後、すぐに結婚した。結婚に関して、祖母の反対はなかった。父が駄々をこねれば、祖母は何でも言うことを聞く。母など顎で使える。そんな自信もあったはずだ。
 離婚後は、ずっと苦しい生活だった。ただし、母がここまで衰弱したのには、ほかの原因がある。瀧脇雄大の衆院補選立候補だ。
 父のスキャンダルに関する週刊誌の記事が出てからは、取材攻勢を受ける羽目になった。母本人は取材を拒否したが。
「離婚は妻が不倫したせいなのに、瀧脇候補のDVやモラハラが原因だと、虚偽の申し立てをしている」
 瀧脇陣営の陰謀論を真に受けたネット民から、誹謗中傷されることもあった。
 おかしな奴になると、自宅にまで押しかけてきた。アパートの前で、拡声器まで使って暴言を吐き散らし続けた。母は心身ともに衰弱していった。
 父のスキャンダルについて、狩野は静観の姿勢を貫いた。自宅アパートに押しかけてくるイカれた輩など、“アーノルド”や“シルベスター”またはその配下の半グレを使えば簡単に排除できた。ネット世論も狩野が手を下せば、父に不利な方へ操作することも容易だった。
 狩野には、以前から胸に秘めた“計画”があった。“トクリュウ”の犯行は、その資金集めも目的だ。
 あえて行動することを控えてきた。すべては“計画”を成功させるためだった。母の衰弱は心苦しく、見ていて胸を掻きむしられる思いだった。狩野は歯を食いしばり、必死に耐えた。
 離婚する前の両親に関しては、幼かったがよく覚えていた。父は母を虐待し、モラハラやDVを繰り返していた。
 加えて、祖母からのいわゆる“嫁いびり”もあった。
「お母さんをいじめるな」
 小学生だった狩野は、父や祖母に食ってかかった。可愛くない息子、孫と双方から不興を買った。幼いころから、あまり可愛がられた記憶はなかった。
 瀧脇家で起こっていたことについて、当時は細かい点までは理解できずにいた。
 父は、祖母に甘やかされて育った。それが原因で、独善的な性格となっていた。極度のマザコンで、祖母の言いなりだった。
 祖母は独占欲が強く、父を思うがままにしたかった。母への対抗心から、つらく当たった。
 そして、母は逃げるように瀧脇家から出奔した。
 離婚後、父は慰謝料や養育費は支払ってこなかった。それも、祖母の指示だ。
 金銭的な余裕がなかったはずはない。祖父は建設会社の社長、祖母も国会議員だ。父は大手商社に勤務していた。
 すべては母への嫌がらせだった。瀧脇家に恥をかかせたと、祖母は激怒した。慰謝料や養育費の支払いを拒否するため、顧問弁護士を送りこんできた。
「これ以上騒ぎ立てると、あなた方母子はどこにも住めなくなりますよ。瀧脇家の力を、甘く見ない方がいいと思いますがね」
 顧問弁護士とやらは、冷酷に母を言いくるめにかかった。
 Mサイズのピザ五切れくらいなど、簡単に平らげてしまった。ビールも呑み干し、空き缶を握りつぶした。
 狩野は、父と祖母に激しい憎悪と敵意を抱いてきた。今回の騒動を契機として、それらはさらに強固なものとなっている。
“トクリュウ”グループの犯行において、狩野が狙うのは瀧脇母子の後援会員か、同じ派閥や後ろ盾となっている政治家の関係者のみとしてきた。
 当初は、標的を探すのに苦労した。ネットを駆使して支援者や関係者を探していたが、数は限られてくる。現在は瀧脇の後援会名簿も入手し、広くターゲットを物色できるようになっていた。
 狩野は、複数のダミー会社を法人登記している。すべて、狩野が偽名で代表となっていた。そのうちの一つ──ブルース・デリバリー株式会社の名義で、瀧脇の後援会に入会してある。その関係で、後援会名簿も入手できた。
“トクリュウ”グループの間で、ブルース・デリバリーはBDCの略称で呼んでいる。同社は、ウーバーイーツのような出前メインの宅配業者を装っていた。闇バイトの募集や、強盗や特殊詐欺の下見にも活用している。ほかのダミー会社も同様だ。
「急いだ方がいいな」
 独りごち、冷蔵庫から次のビールを取り出した。
 瀧脇の後援会から、BDC宛てにメールが送られてきた。今後のスケジュール表が添付されていた。
“計画”の決行まで、あと数日に迫っていた。

(第15回につづく)