現在 11月11日 火曜日 11:01

「ちょっと聞いてよ、室長!」
 聞きたくない。天童怜央は正直思った。ここは警察庁ローンオフェンダー対策室の室内で、自分はその長だ。拒否する権利もあるだろうが、相手が悪い。検察官などという人種に、むやみに逆らうべきではない。
「アジ子の奴! 絶対、私のこと舐めてるよ」
 黒埼葵は怒り心頭に発している。身長は一七五センチ前後あるだろう。肩幅が広く、体格も良い。横浜地方検察庁特別刑事部所属の検察官、“葛城事案”の専任検事だ。
 葛城亜樹子を取り調べた帰りは、いつもこうなる。週に一度の恒例行事だった。先週よりは少し激しいだろうか。
「また、何かありましたか」
 訊くだけは訊いてみた。天童は黒埼に敬語を使う。年上の三三歳と聞いているからだった。独身との情報は、横浜地検から流れてきた噂だ。
 高校時代はバレーボール部だったと、これは本人から聞いた。その後は、都内の私立大学で法律を学んだという。
 化粧は薄く、整った顔立ちは生真面目な印象を与えている。髪型は首までのショートボブだが、ごく薄い朱鷺色のスーツに包まれているのは鍛え上げられた躰だ。
 そのスーツ、参観日で張りきる小学校の先生みたいですね——などとは言わなかった。思いつきをすぐ口にしないだけの分別は、天童にもある。特に、今は。
「あいつ、今さら新しい事案をぶつけてきたのよ」
 やはりな。天童は心の中だけで呟いた。珍しいことでもない。葛城は黒埼からの取調べ中、数カ月に一度は新しい事案を自白する。
 テロ行為自体ならともかく、扇動ともなれば立件にも慎重を要する。通常、犯罪の教唆事案は物的証拠が乏しく、言った言わないの水掛け論に陥りやすい。一件増えるだけでも労力は倍増する。相手が葛城なら苦労もなおさらだろう。
「なぜ今さらって訊いたの。そしたら、単に忘れてただけだって。ふざけんじゃないって言い返したら、何て言ったと思う?」
「さあ」まったく興味はないが、調子だけ合わせておいた。
「“チッ、ウッセーナ。反省してまーす”だって」
 それは素晴らしい。あるオリンピアン・アスリートが吐き捨てた格言だ。この一言があれば、ハラスメント塗れのブラックな世界も生き抜いていける。
「いつまで経っても、おばさん呼ばわりするし。ちゃんと“検事さん”と呼べって言ってるんだけどね。だいたい、自分の方が一〇歳も年上じゃない」
 ——おばさんが、おばさんに、おばさんと。
 LO室内では、石塚祐一と筒井史帆が作業をしている。小声過ぎて、どちらが呟いたかは分からない。こういうときは声を潜めねばならないという社会性が、彼らにあることは驚きだった。ただ、その声は天童には届いていた。幸い黒埼には聞こえなかったようだが。
 石塚と筒井は、パソコンに首っ引きで顔を上げようともしない。その危機管理能力にも感服するほかなかった。
「それは、けしからんですねえ」
 口先だけで、天童は返した。面倒な葛城事案の専任検事を任されたのは、同じ女性というのが最大の理由だったらしい。過去の罪状をすべて暴こうとしているのは立派だが、今日またさらに件数が増えたのは同情に値する。最初の公判では自供を全面否認されるなど、翻弄され続けてもきた。ゆえに、葛城をかなり恨んでいる様子だ。
「本当に、お疲れ様です」
 多少クールダウンさせる優しさも、天童は持ち合わせていた。
「これで八件になるんですかね。葛城のテロ扇動事案は」
 葛城の逮捕当初、検察の取り調べは横浜地検庁舎で行なわれていた。葛城に脱走の恐れありと判断され、東京拘置所相模原女性支所移管後は黒埼が出向くようになった。
 実際、脱走の可能性などないだろう。護送車の使用など、葛城を表に立たせたくないのが本音ではないかと天童は考えていた。LO室への捜査協力等の影響からか、検察による葛城の捉え方は微妙だ。テロを扇動してきたという点も、起訴できるか際どいところにある。何としても有罪にしたい検察庁上層部とは反対に、現場には白けた空気が漂い始めている。
 黒埼は気が進まないながらも、葛城へ喰らいついていた。たぶん、黒埼の性格的なものだろう。真面目で陰湿、友達にしたくないタイプとは葛城の意見だ。
「それなんだけどね」
 少し落ち着いたか、黒埼は業務用タブレットを取り出した。見せられたディスプレイには、葛城の扇動歴が几帳面にまとめられていた。スポーティな体格に似合わず、マメなところは彼女の長所だ。


   *

 葛城によるテロの扇動は一九九三年から始まる。彼女が一一歳、小学校五年生のときだ。小学校の担任をそそのかし、極左セクトに参加させたのが最初だった。
 当時は第二次過激派ブーム。多くの極左セクトが活動を活発化させた。当該担任教師もそうしたグループの一つに参加、警察独身寮にピース缶爆弾を仕掛けた。警察官二名が死亡、警察事務員一名が重傷を負う惨事となった。その教師は、そのまま三〇年近く逃走を続けることとなる。
しカルト教団へ入信させた。多くの教団がさまざまな事件を起こし、社会問題となっていた時期だった。その大学生講師は霞が関近くの地下鉄爆破事件に加わり、逮捕された。塾の生徒に教唆されたと供述したものの、まともに取り合われることはなかった。
 一九九九年、葛城一七歳。愛媛県から高知県に繋がるローカル線の予土よどせんで、立てこもり事案が発生した。犯人は一七歳の少年だった。鉈と複数の包丁を手に、運転手と通勤通学の客六名を人質に取った。日本全国の企業においてリストラが横行していた時期で、少年の父親も失職していた。通商産業大臣(当時。現在は経済産業大臣)に対して謝罪を要求。犯人は“インターネットで犯行のアイディアを提供された”と供述した。
「この事案の肝になるのは」天童はタブレットから顔を上げた。「一両編成のローカル線を占拠した点です。乗降者数が限られ、人質を制御しやすい。これが都市部や地方でも特急だったら、乗降者数が多すぎて狙いにくくなる。タクシーでは、人質が運転手のみに限られてしまいますから。バスはローカル線と似ていますが、立てこもるなら駐車場所の準備も必要でしょう。手堅く簡単で反響が大きい。犯人にとっては魅力的な提案だったと思いますね」
「そんな感想、求めてないんだけど」
 黒埼は仏頂面だ。
 インターネットの普及に伴い、葛城によるテロの扇動範囲は全国へ広がっていったようだ。予土線の事案は、その始まりと言えた。
 二〇〇六年。葛城二四歳。名古屋において、男が中学校の職員室を襲撃した。凶器には草刈り機が使用され、教職員三名が死亡する。男は、その中学校の卒業生だった。いじめを隠蔽されたことに対する恨みから、復讐に及んだという。“知らない女性が、おれの背中を押してくれた”と供述した。
 いわゆるゼロ年代と呼ばれた時期には、全国で多数の通り魔事件が発生している。警察庁及び検察庁の上層部は、そのいくつかにおいて葛城の関与を疑っているが詳細は不明なままだ。
 二〇一〇年。葛城二八歳。大阪の道頓堀で、初老の男が車で指定暴力団事務所へ突っこんだ。運転席から飛び出した男は散弾銃を乱射。構成員及び準構成員等含めて七名が死亡した。
 犯人は自身の動機に関して、社会正義を遂行しただけだと一貫して主張。教唆されたかについての自供はなし。葛城が一方的に、自分の扇動と主張しているだけだ。犯人には死刑判決が下り、執行済み。
 二〇一六年、葛城三四歳。東京の大手広告代理店本社ビルのロビーが、ダイナマイトにより爆破された。死者は出なかったが、社員はじめ数十名の負傷者が出た。その代理店は男性社員の自殺、汚職や談合の発覚が相次いでいた。犯人に同社との関係はなく、“葛城と話し、大義に目覚めた”と動機を説明している。
 二〇二三年。葛城四一歳。神奈川県知事がマラソン大会に参加中、給水所で毒を盛られた。当時の天童は神奈川県警に出向し、警備部外事課長の立場だった。
 知事は味の異変に気づき、すぐ吐き出したため一命は取り留めた。
 
 葛城のテロ扇動歴には、途中数年間の空白が何箇所かある。今回の新供述は二〇一六年から二三年、七年間の空白を一部だが埋めるものとなる。
 二〇一九年のことだ。広島県内で、国会議員の後援会事務所に火炎瓶が投げこまれた。選挙期間中でもあり、議員含め死者三名と一〇名の負傷者が出た。差別的な発言や政治資金等で、たびたび問題となっていた政治家だった。犯人は“死刑になりたかった。道連れにするなら社会の屑が最適と考えた”と自供。火炎瓶の炎は犯人にも重傷を負わせていたために裁判開始が遅れ、現在も公判が続いている。
 多くの人間は、放火犯に対して否定的だ。だが、中には悪徳政治家に正義の鉄槌を下した、そう言わんばかりの意見も散見される。
「“アジの開き”どもが大喜びでしょうね」
 黒埼は、これ見よがしに舌打ちした。葛城は扇動者アジテーターをもじって“アジ子”の愛称で親しまれ、一部から熱狂的な人気がある。整った容貌と特異な犯行形態のためらしい。それに対して、彼女を推す特殊なファンは“アジの開き”と呼ばれていた。
「報告したら、上からなんて言われるか」黒埼の嘆き節は続く。「でも、まさか握り潰すわけにもいかないし。ため息しか出ないわよ」
 宥めるのも飽き飽きし始めたころ、天童のスマートフォンが震えた。拘置支所の女性係員からだ。
 葛城からの呼び出しだった。
 
 黒埼から解放されても、葛城が待っている。どうせ、今日の獅子座は大した運勢ではない。朝に放送されていたTV番組の占いでは女難——年上の女性に注意すべしとあった。
「あら、いらっしゃい」面会室では、葛城が待っていた。「あのおばさん。帰りに、あなたのところへ寄った? 愚痴でも言いに」
「検事さんと呼んでやれよ」いつもの椅子に腰を下ろした。
「おやまあ」アクリル板の向こうで、葛城がわらう。いつもどおりグレーのスウェットだ。肩甲骨まで伸びた黒髪にはブラシが入れられている。「お優しいことで」
「お前の口調も、相変わらずおばさんだな」
 葛城が天童に協力していることに関して、黒埼は否定的だった。なぜ協力するのか。メリットは何か。真実を告げるはずはない。罠ではないか。いつも言われていた。
 それは天童も同意見だった。葛城の言動に対し、懐疑的な姿勢を崩さないようにしている。
「あの、しつこい性格には辟易よねえ。いつものこととはいえ」他人事のように葛城が呟く。「前も言ったけど、あのごついおばさん。小学校時代にいじめられた、クラスの女ボスそっくりなのよ」
「で、何の用だ?」
「あらまあ、単刀直入じゃない」
 広島の事件に関する新たな自白。その真偽は、黒埼に任せておけばよい。葛城に呼び出された理由とは無関係のはずだ。
「あのね」アクリル板に少しだけ顔を寄せる。表情は明るい。「十数年前に、江戸銀行がやらかした暴力団融資事件って知ってる?」
 天童は少しだけ眉を寄せた。そして息を吐き、天井を仰いだ。
「……“地雷ゲーム”か」
「ご名答!」
 天童の呟きに、葛城は満足気にうなずいて見せた。


二年前 一一月九日 木曜日 九:〇二

 天童は神奈川県警に出向を命じられ、警備部外事課長を拝命していた。警視昇任と同時のことだった。
 警察に限らず、霞が関のキャリア官僚は地方自治体へ頻繁に出向する。特に警察庁と各都道府県警察は、密接な縦社会をなしているため頻度も多い。
 外事課着任から半年強、仕事らしい仕事をした覚えがなかった。出向したキャリア官僚は例外なく“お客さん”扱いされる。天童もその状態に置かれていた。管理職席を“ひな壇”などと呼ぶが、まさに雛人形扱いもここに極まれりといった感じだった。
 日本では、外国人によるテロやスパイ事件が滅多に起きるわけではない。主な業務は、関係組織や人員等の視察に割かれている。外事課長は課員からその報告を受けることとなるが、本当に“報告を受けるだけ”だった。指示はすべて課長代理を経由され、天童の意志が正確に下達されているかも怪しい。加えて、警備部自体がそれどころの状態ではなくなっていた。
「おい、早くしろ!」
 係長の怒号が、外事課室に響いた。ここ二週間近く、ずっとこの調子だった。
 一〇月二九日の日曜日、神奈川県下で県民リレーマラソン大会が開催された。文字どおりリレー形式でマラソンを行なうため、一人分の走行距離は短い。秋空の下で爽やかに走ろう。そんな健康増進や県民交流を目的とした、のんびりとしたイベントだった。
 神奈川県知事も、県庁チームの一員として参加していた。その場で発生したのが、神奈川県知事毒殺未遂事件だった。
 県知事が走行中に、給水所の水に毒——青酸化合物を盛られた。即座に飲むのをやめ、口中の水も吐き捨てた。当該化合物に特有とされるアーモンドの香りが苦手だったこと。若干脱水気味で、水分の口腔摂取が困難になっていた点もあった。救急搬送されたが、命にまでは影響なかった。
 県警挙げての捜査態勢となった。真相究明のためではない。主な争点は、警備態勢の不備を巡る責任逃れにあった。警備を担当した警備部——公安も、上層部保身のため捜査員が総動員されていた。県警全体が、毒殺未遂事件の処理に追われている状態だった。
 そうした状況の中、キャリア出向組である天童は蚊帳の外に置かれていた。外事課長の立場としては、組織防衛と保身のために動く局面なのだろう。しかし、県警内の勢力争いなど天童には関心がなかった。
 ただし、別の意味で事案への興味は持っていた。
 被疑者は、片岡将大かたおかまさひろという二五歳の独身男性だった。天童は、捜査資料にあった被疑者の写真を見た。中肉で、大人しい顔立ちをしている。
 片岡は、給水所で紙コップの水を提供していた大会ボランティアだった。神奈川県庁の関係機関に勤める会計年度任用職員。雇用形態としては非常勤、つまり非正規雇用に当たる。
「官製ワーキングプアは容認できない」早朝から無人となっている外事課内で、天童は呟いた。「その生活の苦境を訴えたかった、か」
 公共団体でありながら不安定な雇用を推進し、低賃金で労働者を使い捨てるなど論外だ。片岡は、動機はじめ犯行について包み隠さず自供していた。彼は、こうも続けている。
 リレーマラソン大会は県主催のイベントだ。実質強制的に職場でボランティアを募り、休日の職員を無償でこき使うのはおかしい。正式な業務として扱い、超過勤務手当も支給すべきではないか。
「なるほど」天童はふたたび独りごちた。「いいことを言う」
 犯行後、片岡は周囲の人間に取り押さえられている。逃走を図る素振りは見せていなかったそうだ。水を手渡したあともその場に留まり、崩れ落ちる県知事を嗤いながら見物していたという。リアルタイムで、犯行の成果を確認したかったそうだ。
「どう訴えれば効果的か、方法を示唆してくれた人がいた」
 天童が引っかかったのは、この供述だった。取り調べその他、捜査は刑事部主導で行われている。調書などの資料は、情報共有としてほかの部にも流されていた。下手に刑事部だけで情報を囲いこむと、失敗時には単独で責任を負わされかねない。リスクを分散させる意味もあるようだった。
 犯行を示唆した人間がいる——片岡の供述を、刑事部は言い逃れとして真面目に取り合っていない様子だ。だが、天童にとっては充分フックとなっていた。独自に事案を洗い直そうと決めた。同様の教唆事案が過去にないか、データベースを検索し始めた。
 禁じ手の独断捜査だろう。お飾りキャリアにだけ許された特権と考えている。天童の動向は、誰の注目を集めることもなかった。

 

(第3回につづく)