現在 14:33
「ああ。“ヤーさん”だあ」筒井史帆が黄色い声を上げた。「久しぶりィ。今日の差し入れ、なあに?」
「じゃーん」金村靖は小さな白い紙箱を掲げた。「プティ……何て読むんだ、この店?」
横浜でも有数の洋菓子店と評判の店だ。箱の雰囲気に店名、どちらもいかつい風貌には似つかわしくない。
「シュークリーム?」
筒井の問いに、金村は四角い顔を上下させた。身長は一七〇センチ台後半。恰幅が良く、腹が出ている。顔立ちは、彫刻刀で目鼻を細く切りこんだように見える。ごま塩状態の頭は、ごく短い丸刈りにしていた。
立ち上がった筒井が、紙箱を受け取る。同時に、石塚祐一も顔を上げた。
「ヤーさん、ご無沙汰っす」
金村は右手を上げて応えた。五二歳。元は、警視庁の組織犯罪対策部に所属していた警部補だった。
LO室では、銃器や薬物など主に暴力団関係の情報を担当している。普段は遊軍扱いで、室にもめったに顔を見せない。情報を入手した際か、天童が呼びだしたときだけに限られる。名前だけでなく経歴、現在の業務内容から“ヤーさん”と呼ばれていた。
いかつい顔の人情家。LO室のムードメーカーで、人気者でもある。現在は独身だが、離婚歴あり。元妻との間に一男一女がいる。
「ヤーさん」天童の呼びかけに、金村はふり向いた。「ちょっと、こっちにいいですか」
LO室の右手には小部屋がある。取調室と呼んでいるが、そういった用途に使用された実績はなかった。天童と金村は、連れ立って中へ入った。石塚や筒井には聞かせないためだ。
室内にはプラスティック製のテーブルと、椅子が向かい合って二脚置かれていた。ドラマの取調室よりは、部屋も若干明るい。
「で、今日は何ですか」口火は金村が切った。「直で会って、話したいとのことでしたが」
「江戸銀行の暴力団融資事件について教えてください」天童は返した。「確か、武張組が絡んでいたかと思うのですが」
武張組は、関東地方でもっとも勢いのある反社会的勢力だ。
「そうですね」金村はうなずいた。「連中の仕業です。私は関わっていませんが。武張組との関係を、石塚や筒井に聞かせないよう気を遣っていただいたのですね。ありがとうございます」
「いえ。あいつらに余計な情報を渡したくないだけで。ヤーさんだって、あの二人を心の底から信用してはいないでしょう」
「まあ。個性的な若者たちではありますからなあ」
揃って笑った。石塚と筒井がくしゃみでもしてくれれば、多少は溜飲も下がる。
金村は組対部が長く、優秀と評判だった。だが、捜査対象の指定暴力団──中でも武張組と接近し過ぎた。金品と引き換えに、捜査情報を漏洩したとの疑いが出た。
武張組から罠に嵌められたとの見方もあった。そのため監察対象とするか、揉み消すか。警視庁上層部でも意見が割れていた。そのタイミングで、官房長──正源寺満彦の目に留まりピックアップされた。
正源寺は警視庁と協議、というか一方的に丸めこんだ。金村を警察庁で預かるとし、天童へ渡されることとなった。
「どうして、またあの事件を?」金村から問い返された。
「アジ子が口にしたものですから。調べてみろ、と」
「あの娘が言ったってことは、例の“地雷ゲーム”ですかね」
天童はうなずいて見せた。“地雷ゲーム”とは葛城が天童にヒントを与え、テロ決行前に阻止するというものだった。名称含めルールも葛城から提唱された。勾留以前に葛城が見つけた、または自身が埋めた「テロの地雷」を発見する。未然に防げば天童の勝ち、地雷が爆発すれば葛城の勝利となる。
以前の事例では、金村にも協力を願った。ある盗撮犯を追えという内容だった。被疑者つまり“地雷”は改造したスマートフォンを駆使し、東京二三区内で盗撮を行なおうとしていた。被害者は一〇代少女に限定。捕らえた男は、大手出版社に勤めるエリート編集者だった。犯行直前、盗撮態勢に入ったところを現行犯で逮捕した。
葛城からのヒントで、被疑者は訳なく逮捕できた形だった。盗撮犯とローンオフェンダーに何の関係があるのか。天童が問うと、葛城は目を丸くした。
「あらまあ」鼻で嗤う。「日本の治安を預かる者が、その程度の認識では困るわねえ。性犯罪も立派なテロよ、被害者からすれば。今回、私は唆してないわよ。ここへ勾留される前に、ネットでその変態を見かけてただけ。いい機会だから、あなたにパクッてもらおうと思って。人物の特定も簡単だったでしょ。だって、許せないじゃない。女の敵だもの」
*
「江戸銀行が武張組へ融資したのは二〇〇九年ですから、もう一五年以上前になりますね」
金村は言う。天童も概略は把握しているが、詳しい人間と情報のすり合わせをしておきたかった。
二〇〇九年、江戸銀行新宿支店による指定暴力団武張組への融資が発覚する。
金融機関から暴力団への融資を、直接に罰する法律は存在しない。だが、道義的には別だ。
不祥事は大々的に報道され、金融庁から業務改善命令が出された。
その後、武張組への融資は、同行の新宿支店長が独断で行なったものと断定される。支店長は、責任を取る形で依願退職した。
「その支店長は、確か──」
確認する口調の天童に、金村は回答を被せてきた。反射的に返したと言ってもいい。
「福留浩司という男です」
現在 16:00
最近、日記を書いている。
福留雄基は、今年四九歳となった。
いまだに独身で無職。自宅に引きこもって、一九年になる。父親と二人暮らしだった。
身長は一七〇センチ前後。部活のバスケットボールは熱心に取り組んだが、少し上背が足りなかった。中学高校と続けても、レギュラーには届かずじまいだった。
今も太ってはいないが、運動不足の躰は弛んでいる。若いころは、多少は筋肉質だったけれど。
服装は万年、上下ともに汚れたスウェットだ。洗濯は年に何度するだろう。散髪にも行かず、髪は伸び放題だった。ときどき思い出したように、自分で切っている。髭も邪魔になったら鋏で切り、剃ったりはしない。
幼少のころから、大人しい性格だ。勉強はまあまあ、スポーツもそこそこ。子どものころから優秀と評判で、大手銀行に勤務していた父親の才能は引き継げなかったらしい。友人も多い方ではないだろう。
都立高校から、あまり有名ではない私立大学へ進学した。卒業は容易かったが、就職活動は上手くいかなかった。星の数ほど入社試験を受けたものの、どこも内定までには至らなかった。就職氷河期時代とは、よく言ったものだと思う。
卒業後は、アルバイトや派遣社員を転々としながら正社員を目指した。企業が雇用を控えていたことに加え、新卒神話が根強く残っていた。誇れる職歴もない雄基は、齢を重ねるごとに就職も難しくなっていった。典型的なロスジェネ世代だった。
雄基は、三○歳を超えた段階で完全に挫折した。就職その他自分の未来すべてを諦めてしまった。
福留家の自宅は、江東区内に立つ八○年代初頭建築の古びた一軒家だ。母親は、五年前に癌で亡くなっていた。
先行きの不安はあるものの、それなりに平穏な日々。それを破る事件があった。日記を書き始めたのも、そのことがきっかけだった。
江東区では一年前、帰宅を急ぐ学生や会社員がナイフで襲撃されていた。通り魔事件と言うのだろうか。女性会社員一名が死亡、男子中学生二名が重傷を負った。
犯人は、雄基と同い年の男性。福留宅から少し離れたマンションで、引きこもって暮らしてきた。歩んできた経歴も大差なかった。就職氷河期によって、心折られたロスジェネ世代の一人だった。
“死刑になりたかった。自殺する勇気がなくて事件を起こそうと考えた”──犯人の動機だ。身勝手極まりないと思った。世論は、さらに雄弁だった。引きこもり当事者は犯罪者予備軍。そう言わんばかりの空気になっていった。
「死にたければ一人で死ね。他人に迷惑をかけるな」
インターネットやマスコミは、こうした論調一色になった。自死に他人を巻きこむな。一見正論だが、見方を変えれば他人に自殺を勧めているとも言える。一人で死ねと言っているのだから。
一部の引きこもり支援者などからは批判も出たが、世論を変えるまでには至らなかった。
「犯罪を起こしかねない引きこもりは、親や家族が責任を持つべきだ」
こんな意見まで出た。ネット民だけでなく、評論家など専門的な地位の人間まで同調した。
どう責任を取ればいい。引きこもり当事者は事件を起こす前に、親や兄弟が殺せとでも言うのか。殺人教唆紛いの暴論が、ネット上ではまるで美談か正義のごとく語られていた。
「日本中が、自分に死ねと言っているように感じる」
世間が自分を殺そうとしている。ならば、殺される前に──
雄基は、久々に外出したホームセンターで包丁を購入した。
二年前 二三:五一
木曜日は一日、決裁業務が中心となった。役所の書類は、急ぐ場合は職員が持ち回って決裁することもある。午後は、そんな“持ち回り”が集中していた。
天童はほとんどの決裁文を、わずかに目を通しただけで押印していった。信頼しているわけではなく、手を空けるためだった。それでもかなりの量に上った。
課長の手抜き処理が、部下の不興を買うことはなかった。むしろ歓迎された。管理職など口うるさいより、黙って判子だけつく方が喜ばれる。天童も警察庁に戻れば決裁を受ける立場だから、身に沁みて分かっていた。
決裁業務の合間を縫い、天童は過去の事案検索を行なっていた。パソコンを駆使して、データベースを検索するだけの単純作業だ。課長席に座ったままでもできた。
犯罪、特に単独テロを教唆されたという自供案件はないか。調査範囲は神奈川県内から開始し、続けて全国に手を広げていく予定だった。
開始早々に、神奈川県内で興味を引かれる事案を見つけることができた。
「課長、お疲れ様です。お先に失礼します」
夜が更け始め、最後の課員が退室していった。天童は、室内灯を自席の周囲だけに限定した。勝手な行動に対するせめてもの節電、経費節約だった。
天童はデータベース検索を打ち切り、日中にヒットした事案の精査へ戻った。
発生時期は古いが、今でも非常に有名な事案だ。
二○年以上逃亡していた極左過激派が、二年前に神奈川県内で逮捕された。
被疑者は一九九一年、神奈川県警の警察寮にピース缶爆弾を仕掛けて爆発させた。警察官二名が死亡、警察事務員一名が重傷を負った。
昭和から平成への転換期には、よく発生したタイプの事案だ。当時は昭和天皇崩御及び平成の天皇即位に伴う第二次過激派ブームだった。全国で類似した事案が続発していた時期でもあった。
被疑者の名は、水田市郎という。現在五六歳、結婚はしていない。元は埼玉県上尾市の小学校教師、逮捕時は自動車修理工場に勤務していた。天童は水田の写真を見た。顔のアップと全身写真がある。長身で瘦身。顔の半分ほどを占める大きな眼鏡をかけ、表情は暗く、時代遅れな印象を受けた。
東京都内の私立大学出身。学生時代はバブル経済真っ盛りだった。浮かれた空気に馴染めなかった水田は、キャンパス内の極左セクトに関心を抱いた。だが、彼らの活動に参加することはなかった。
そのまま大学を卒業し、出身地の埼玉県上尾市で小学校の教員となった。一九八九年のことだ。
水田は教師生活五年目にして突如、極左セクトへ参加した。犯行の前月には、勤めていた小学校を依願退職している。突然に姿を消し、郵送で一方的に辞表を送りつけたらしい。
そして、警察寮を爆破し二○年近い逃亡生活へと入っていく。二年前に逮捕されるまで、誰からも気づかれることなく姿を隠し続けてきた。
令和の世でインターネットやマスコミに取りざたされたのも、逃亡期間がやたらと長かったからに過ぎない。被疑者逮捕によって、話題が再燃した形だった。
天童が着目したのは、別の点だった。水田は逮捕後の取調べで、こう供述していた。
「担任をしていた小学校の女子児童から、極左セクトへの参加を唆された」
女子児童の名は、葛城亜樹子。当時は一一歳だ。彼女は、こうも続けたという。
「好きでしょ、そういう団体。前から感じてたんだ。でもね、ただ参加しただけじゃダメだよ。行動で示さないと。先生、前に言ってたでしょ。私ね感動しちゃったんだ、あの言葉」
参加し、かつ行動で示せ。水田はクラブ活動等への参加に関して、葛城やクラスの児童にそうした指導をしていたらしい。ただ、それと過激派がどう結びつくのかは天童も疑問だ。
小学五年生の女子児童から過激派入りを勧められた。まさか小学生が──神奈川県警の誰一人として真に受けなかった。水田の自供は曖昧かつ証拠や整合性もない。そう判断した捜査本部は、葛城という児童がいたという事実確認のみに留めた。被疑者の取り調べが録音されていたから、テープ起こししただけ。そんな担当捜査員の意向が伝わってくる供述調書だった。
水田がそれでも同じ趣旨の供述を繰り返すため、捜査本部は不信感を抱いた。長期間の逃亡生活によるストレスで、メンタル面に不調を来しているのではないか。そう判断され、被疑者は現在も精神鑑定に回されている状態だ。公判にまでは至らず、供述内容も公開されないままとなっている。
通常であれば、天童もスルーしていたことだろう。だが、県知事毒殺未遂事案には犯行を扇動した者が存在する。そうした疑いの視点から見れば、調べておく必要性は感じた。
天童は、葛城亜樹子の身辺調査を開始することにした。