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23:59

 下園は、今日も警察官から事情を聴かれた。
 警視庁と千住署の刑事が一名ずつ、勤務中の下園を訪ねてきた。今野議員事務所の放火を機に、捜査本部が設置されたとのことだった。
 先日の天童同様、軽くあしらってやった。何せ、自分はただ小説を書いたに過ぎない。笑顔を絶やさず、質問には丁寧に答え、紳士的な物腰を心がけた。刑事の方が、恐縮して帰っていく有り様だった。
 本当に、世界は無能な人間で溢れている。
 新宿区役所と今野議員事務所。二件続けば、警察だけでなくインターネットでも誰かが気づく。ネット民が騒ぎ始めているようだ。『バッドアップル』の閲覧者数がうなぎ上りとなっていた。
 コメント欄は荒れに荒れている。賛否両論の声が渦巻いていた。
 こんな小説をアップするから、犯罪が増えるんだ。そんな声が半分。面白い、もっとやれが残りの大半。どんなときでも表現の自由は守られるべきだ。そんな真面目な論調も散見される。
「ついに、やったな」
 暗くて狭い自室で、大きく息を吐いた。またしても心浮き立つ自分を感じて、震えが止まらない。
 下園を喜ばせているのは、絶賛コメントではなかった。真逆の否定的な意見だった。
 暴力的な小説が、犯罪を誘発させる。陳腐な常識を振りかざす批判コメントが嬉しい。
 正論は無力だ。小賢しい正義感など嘲笑の対象でしかない。頬が緩むのを抑えられなかった。
 今日の執筆も、一段と順調に進むだろう。指はキーボードを滑らかに叩くはずだ。まるで名ピアニストがショパンを演奏するように、超絶技巧を駆使しよう。早くも脳髄の奥が疼いている。
 アカウント名KAZUからコメントが届いていた。常連の読者だ。普段とは比較にならない数の書きこみがあるので、気づくのが遅れた。
 KAZUのコメントは、いつもどおりの大絶賛だった。いや、いつもより興奮気味か。感動は伝わってくるものの、誤字が多い。
『バッドアップル』はSATOSHIつまり下園にとって、四作目の投稿作品になる。一作目は、なかなかコメントがつかなかった。批判は辛いが、無視されるのはもっと厳しい。読まれてさえいないことに失望を感じた。自分の才能に対する自信も揺らぎ始めていた。
 そんな中、一番早くコメントをくれたのがKAZUこと唐田稼頭央だった。最初のファンと言える。
「SATOSHI先生の作品、サイコーっすよ!」
 下園は、唐田とやり取りを始めた。最初は、コメントに対する礼などがメインだった。ほどなくして、SNSのDMで個人情報まで交換した。直接会うようにもなり、急速に親しくなっていった。
 唐田は、下園と同じ二五歳でニート。中背で肥満気味だ。経歴や外見など、エリートかつ苦労人の自分とは対照的だった。何と哀れな男だろう。微かな優越感と同時に、同情心さえ抱いた。
「おれ、中学高校とめっちゃいじめられてて」
 壮絶な状況だったらしい。それが原因で不登校になった。かろうじて高校には進学したものの、いじめは続いた。同じ中学から進学した同級生によるものだった。
 人間関係の構築は、当時の唐田にとって恐怖でしかなかった。高校でも不登校となり、中退を余儀なくされた。そのあとは、バイトと引きこもりを繰り返してきた。
 同居している両親とも、折り合いが悪いそうだ。会話もない状態だという。父親は溶接工で、母親はホームセンターのパートだ。ともに収入は低い。就職もせず、部屋にこもる唐田と衝突し続けている。
「小説を読んでるときだけが落ち着くんす」
 唐田は、同い年の下園に敬語を使い、名前に先生までつける。正直、悪い気はしない。
「でも、金ないから投稿サイトを閲覧して。中でもSATOSHI、下園先生の作品が一番感動したんすよね。おれの気持ち代弁してくれてるっていうか」
 小説投稿サイトの閲覧が、唐田にとって唯一の趣味だった。自分も書きたいが、才能がないと諦めているそうだ。日々の鬱屈をあからさまに語る。そんなSATOSHIこと下園の作風に、唐田は共感した。心酔しているようにさえ見える。
 境遇は正反対だが、相通じるものを感じ意気投合した。今の社会に対するルサンチマンと、そこからの解放と反撃を試みる。いつしか、下園と唐田の道は重なり合っていった。
 唐田は理解者であると同時に、礼賛者でもあった。今はまだ一人だけだが、これから増え続けていく。ここで終わる自分ではない。世界は、下園の才能にひれ伏すことだろう。
 パソコンを起ち上げ、下園は第三話に取りかかった。


12月23日 火曜日 9:09

 LO室に出勤した天童は、『バッドアップル』の第三話を読んだ。昨日、例の小説投稿サイトにアップされていたものだ。
 内容は、荒唐無稽としか言いようがなかった。
 日本企業に白昼、二人組──一人はバッドアップル──が乱入し、拳銃を闇雲に発砲する。
「不平等で不寛容な社会に反撃する。これは、その狼煙だ!」
 小説は、その一文で締めくくられていた。
「これじゃあ、書籍化は無理だな」
 石塚が呟いた。彼と同じく、筒井も第三話を読んでいる。
「確かに、ちょっと陳腐すぎるよね」
 珍しく、筒井と石塚の感想が合った。続けて、天童とも目を合わせる。
「室長は、どう思います?」
「小説の出来はどうでもいい」天童は吐き捨てた。「問題は、真似をする奴が現れるかどうかだ」
「無理じゃないですか」石塚が鼻を鳴らす。「拳銃ですよ。しかも、ヨーロッパ製の最新型らしい。そんなの、日本で簡単に入手できないでしょ」
「でも、今までだってすべて同じだったわけじゃないじゃん。区役所や議員名も、小説では匿名だったわけだし。今度は、手口自体変えてくるかもしれないよ」
 筒井の意見は正しい。律義に、何もかも小説と同じにする必要はない。天童は二人を見た。
「インターネットを中心に、何か動きがないか注視しておいてくれ。何でもいい。気になることがあったら、即座に報告を」


9:47

「はい。今日の差し入れ」
 金村靖が差し出したのは、ほかほかの天津甘栗だった。
「室長、ちょっといいですか」
 金村の言葉に、天童は腰を上げた。甘栗に夢中な石塚と筒井は置いて、取調室へ。
「武張組の二次団体から、気になる話を聞かされましてな」座ると同時に、金村は息を吐いた。「ある組員が拳銃二挺を売りさばいたらしいんですわ。組には内緒で」
「おやまあ」
 葛城の口癖が伝染ってしまった。
「そんな馬鹿な暴力団員がいるんですね」
「私も聞いたときは、正直呆れました」
 暴力団への締めつけは、年々厳しくなっている。上からの指示もなく、組を潰しかねないシノギに乗り出すとは愚か極まる。どうしてそんな真似をしたのかと天童は訊いた。
「キャバ嬢に入れ揚げてのことらしいです」
 自分の息子が粗相をしたように、金村は苦笑した。
「で、散々貢がされた挙げ句、金に困ってしまったと。ヤクザが、水商売の女からカモにされるとは。ある意味、世も末ですなあ」
 今度は“あらまあ”と言いそうになったものの、かろうじて抑えた。
「犯罪に使用されることはもちろんですが、その組員の身も心配ですね」
「今どき、コンクリートで東京湾もないですがね」顔の前で手を振り、金村の苦笑が大きくなる。「ご存じのとおりヤクザというのは疑似血縁関係で結ばれていますが、最近は実際の血縁も複雑に絡んでまして。世襲というか、その点は政治家と同じですな」
 その無能な組員は、組長にとって兄貴分の息子に当たるらしい。
「そんなご子息をお預かりしているわけですからな。落とし前もつけられません。小指一本詰めさせられない体たらくだそうですよ」
「誰に売ったかぐらいは分かっているんでしょう?」
「それがですな。これは石塚の坊主が詳しいと思うんですが、ダークウェブとかいうんですか。それを使って売ったらしくて」
 ダークウェブは、天童も言葉として知っているだけだ。必要があれば、石塚に指示して済ませてきた。一般的なインターネット空間と違って、匿名性が高い。そのため、誰に売ったのか不明だという。
「そんなとこだけ知恵が回るんですなあ、最近の若いのは。それはともかく犯罪とか、組に影響が出るような使われ方をされたらやばい。で、犯行が行なわれる前に、私へ情報を流してきたようです」
「拳銃の種類は」
「グロック19とかいうヤツでして」金村の表情が真剣みを帯びた。「オーストリア製の最新型を二挺。九ミリ弾が一五発装顛できる弾倉も、満タンで四つつけたそうです。まったく困ったもので」

「石塚」取調室を出た天童は命じた。「下園慧が、ダークウェブで取引した形跡がないか調べろ」
「了解っす」
 天津甘栗を頬張りながら、石塚がパソコンへ向かう。
「任せてください。室長とヤーさんには荷が重いでしょうから」
「けっ。どうせ、お前さんと違ってさっぱり分からねえよ」
 金村の舌打ちが消えないうちに、答えは出た。特に形跡なし。


11:29

 今回の件について、正源寺は『金八先生』にご執心だ。電話があった。
「知ってるか。“加藤くん”は中学校を占拠するんだ。バッドアップルと“腐ったミカン”。共通してるのは偶然じゃないはずさ。ヒントになればいいんだが」
 ならないとは答えなかった。上司想いのいい部下だ。続けて、葛城から呼び出された。
「おれは、お前のメイドじゃないんだ」天童はこめかみをく。「気軽にベルを鳴らすんじゃない」
「あらまあ。ご機嫌斜めね」葛城が嗤う。「安心して。あなたみたいに可愛くないメイドは要らないから。あの小説の件。その後どうなったかなと思って」
 今日は、冷えこみが厳しい。暖房に負けじと、足元から冷気が這い上がってくる。
「特に進展なし。ガス欠の車に乗ってる気分さ。乗りこんだものの、まったく前へ進まない」
『バッドアップル』第三回の内容と、武張組二次団体の拳銃売買。下園には、ダークウェブ上で取引した形跡がないことも話した。
「早く給油した方がいいかもね」葛城は他人事みたいに嗤っている。
「何か気づいたのか」
「あなたは、下園の犯行とは考えていないのよね」
「自分がこれから行う犯行を、公表する理由が分からない。小説を読んだ何者かが、真似をしたと考える方が自然だ」
「ポイントはそこよ」葛城の笑みが大きくなる。「作者の犯行だとして、なぜ事前に自身の犯行計画を小説で公表する必要があるのか。その理由を、よく考えてみることね」


12月24日 水曜日 7:16

 下園は出勤準備を終えた。
 三着しかないスーツの中で、もっともお気に入りの濃紺にした。今日は特別な日になる。
 通路にあるキッチンの、古びたガスコンロに火を点けた。換気扇も回す。手には、唐田稼頭央からの手紙があった。宛名の字は汚く、大量のミミズが這いまわっているようだ。火傷しないよう、封筒の端を摘まんでガスコンロに近づけた。
 燃え出した封筒を持ったまま、コンロの火を消す。半分まで焼けたところで、シンクに捨てた。
 数センチ残して火は消えたが、内容は判読できないだろう。直筆で“本日、予定どおりに”と書かれているだけだ。
 燃えがらに水をかけ、ごみ袋に捨てた。万が一にも、事前に察知されるわけにはいかなかった。
 唐田と語り合った日々を思い出す。
「ホント、世の中バカばっかりだよな」
「マジで、この国はクソ溜めですよ。下園先生」
 出会った最初のころは、居酒屋やカフェといった店で話していた。計画を思いついてからは、下園のアパートを使った。周囲の人間に、聞かれないようにする必要ができたからだ。
 両親がいるため、唐田の家は使えなかった。下園の狭いアパートで、世の中への不満をぶちまけ合った。並行する形で、現在の計画を練り上げていった。
 計画が完成したときのことは、鮮明に覚えている。土曜の夜から徹夜で語り合い、日曜の早朝に合意へと至った。一睡もしていない痺れた脳で、抱き合わんばかりに喜んだ。感動的な朝だった。
 その日曜も、下園は休日出勤しなければならなかった。その点だけは水を差されたが、高揚感の方が勝っていた。くだらない日曜の勤務も乗り切ることができた。
 計画を書面化することは避けた。唐田と何度も話し合い、脳内だけで詳細を詰めていった。それほど複雑なプランではない。重要なのは、覚悟と勢いだけだった。
 パソコンやスマートフォンに残る連絡の痕跡は削除した。計画が実行段階に入ってからは、直接会うことも控えた。邪魔が入らないように警戒してのことだった。
「これからは郵便を使おう」下園は提案した。「手書きで」
「おれ、字汚いですよ。先生」
 痕跡を残さないため、パソコンなどは使わず直筆でのやりとりとした。今焼き捨てた手紙は、最後に届いたものだった。結局はアナログな手法が、もっとも秘密を保持できる。慎重すぎたかも知れないが、念を入れるほど気持ちが昂っていった。
 出勤する前に、下園は部屋の中を見返した。きれいに掃除しておいた。家具類はそのままだが、大学時代から暮らしたこのアパートに二度と戻ってくることはない。
 ビジネスコートを羽織り、下園は部屋を出ていった。
 下園は、中央線の快速電車で関東証券へ向かった。いつものルートだった。
 東京駅から丸の内へ。まだ早い時刻だが、すでに通勤者の波ができつつあった。
「下園先生!」
 関東証券本社ビルの前で、唐田が右手を振っていた。肥満気味の身体でジャンプしている。やはりスーツにビジネスコートという格好だった。オフィス街での計画なので、TPOに合わせた目立たない服装にしようと打ち合わせていた。
「スーツ着るの、成人式以来っすよ」
 以前、そう話していた。いじめに遭った唐田が、成人式に出席したのは意外だった。
「会場には行かなかったんですけど」顔に出たのか、唐田は照れ臭そうにつけ足した。「でも、スーツ作ってくれた親に何て言われるか。面倒だったんで行ったふりして、喫茶店で時間潰してたんすよ」
 社屋前で、唐田と合流した。関東証券エントランスへと歩いていく。
「先生、これ」
 唐田が、角型2号の茶封筒を差し出してきた。かなり膨らんでいる。黙って受け取った。中身は拳銃──グロック19だ。
 このまま本社ビル三階の営業課へ向かい、唐田と拳銃を乱射する。東京中心部の証券会社内で、銃撃事件が発生する。日本中が大騒ぎとなるだろう。
 無能な上司や同僚を、できる限り殺す。嫌味な課長の松本も、蜂の巣にしてやる。どいつもこいつも大小便を垂れ流しながら、命乞いをするはずだ。
 当然、皆から唾棄されるだろう。だが、沈没船のように閉塞した日本では、称賛の声が上回るのではないか。下園はそう考えていた。
 バッドアップルは一躍、時の人となる。この国で、鬱々とした日々を過ごす人間たち。彼らから救世主として崇められるだろう。
「おれたちは英雄になる」新時代のダークヒーロー誕生だ。「歴史に名を残すぞ」
 そう誘うと、唐田は嬉々として賛同してくれた。想いは同じだった。
 計画は完璧、進捗は順調だ。心残りがあるとすれば、射撃の訓練ができなかったことだろう。都内では、内密に練習するにも適した場所がない。山奥など、長距離の移動が必要だった。
 銃器の入手は唐田に任せたが、使用方法はインターネットで調べてある。グロックはトリガーセイフティを採用している。スライドを引き、初弾を薬室へ。あとは、引き金を引くだけで弾が出る。扱いがシンプルだ。ぶっつけ本番でも、失敗の可能性は低い。
 エントランスの自動ドアを抜け、ロビーへ入った。外部の人間でも社員が許可証を渡せば、セキュリティを通過できる。
「お待ちしていました」
 声が響いた受付ブースに、係の女性が座っていない。下園が気づくと同時に、十数人の男たちが飛び出してきた。屈強で、特殊部隊のような格好をしている。全員の手には、拳銃が握られていた。
 その奥から男が進み出た。こいつは──たしか天童。
「驚かせてすみません。ご紹介します。警視庁捜査一課のSITです」
 天童だけがスーツ姿だった。手にはブリーフケースまで提げていた。商談にでも来たようにしか見えなかった。冷静な態度で、薄く微笑さえ浮かべている。
「ちょっと、お話をさせていただけますか」

 

(第9回につづく)