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 次は笹本さんと話さなければならなかった。笹本さんには、現在の防犯カメラの映像情報をラミダスに大量移譲するという困難な要求が必要だった。
 ところが意外にも彼女の反応は、「弊社では、営業部が賛同しております。防犯と安全にここまで会社が尽力しているのだという論調で、社のPRにまで使えないだろうかという発想です。むしろ営業部がというより、そのくらいの進み方で近未来の鉄道像を提示しないと、公共交通機関の未来が危ういという会社全体のビジョンがあります」というものだった。既に彼女の手で社内の根回しが進捗しんちよくしている感があった。
 ベージュのスーツをまとった笹本さんがスマホを耳に当ててどんな表情で喋っているのか、想像を膨らませた。
「笹本さん個人は、どう思っているのですか?」
「私は……」
 少しの沈黙のあと電話の向こうにちょっとしたざわめきが聞こえ、小声で返答があった。
「人権は何より大切だと思います。私は、強い者になびくいまの風潮や、安全安心ばかり主張する向きには正直賛成していません。でも、鉄道会社の経営ビジョンとして、警察とのより深い連携はアリなのかもしれないと……予想します」
 予想という言葉を苦心して選んだのは明らかだった。個人の意見ではなくて、客観的立ち位置にすがりたかったのだろう。大会社の社員らしい賢明な振る舞いだった。私は、会話に冗談を挿むことができる道を探った。ステラMTが制作を受注した、「昭和の勤労」とかいう小冊子を思い浮かべた。
「組合とか左寄りの社員とかは騒ぎませんか。そちらは昔は国労動労がすべてを引っ張る世界だったんでしょう」
「その元気は、いま弊社内にはありません」と彼女が小さく笑いながら答えた。
 笹本さんには、容疑者映像の提供を吉岡・香田組に依頼して前向きな返事をもらっているという、事実より五割くらい盛った話を伝えた。
「めぼしい映像をこちらに提供いただけないでしょうか? ラミダスの解析にかけてみたいと思います。大きな事件を解決できれば、会社さんの取り組みが評価されていくかと思われるのです……」
 私は、彼女を長い時間電話口に留めた。自分の思いを全うするために、彼女の協力が必要だった。



 デカルトという人は人間を機械だといったそうだ。確かに人間は機械だと同意しよう。ただそれは偶然に左右される無限に大きな個体差を確実に包含している。だから、機械という言葉が想起させるほど、均質ではない。
 輸入されてくるいかにも粗悪な工業製品には、とんでもない個体差がある。ランダムに抜き打ち検査すると、たとえば中国製の口紅は製品ごとに長さが十五パーセント以上違うことがある。バングラデシュ製のブラジャーだと肩紐の幅がバラバラだ。ブラジル製のベビーカーとくれば、軸受けの傾き具合が一台ごとにまちまちだ。いや、なりふり構わず売るためにエンジンのメーカーの「ロールスロイス」を愛称にした日本のYS11だって、当時の工作精度だと一機ごとのネジ孔が微妙にずれていて当然だったろう。学徒動員の女学生が作ったゼロ戦はトンカチで叩けばみな違う音がしたというから、日本の機械が信頼できるというのは最近になっての話だ。ただ、工作精度や品質管理が多少いい加減でも、「機械」であるならその変異幅は一定に収まってくる。
 ――でも……人類史上類まれに優秀な哲学者が考えたようには、人間は機械ではないの。なぜなら、予測できないほど断絶した違いが、個体間に生じるからよ。
 ラミダスのデータ入力画面を開く。人体の骨格のつながりを表現するために、関節点を直線で結んだ画像のモデルが、ディスプレイに躍り出る。
 歩容のモデル解析で重要なのは、まず下肢かし。つまり足だ。骨盤の臼のような穴にはまった大腿骨だいたいこつは、際限なく自由に動く。歩こうとすればももを前後に屈曲・伸展させるはずだけれど、それだけではない。ヒトは腿を内外にも傾ける、つまり、内転・外転させることができる。この機能で、でこぼこ道に対応して歩くのだ。さらに、大きな段差があれば、ひざの屈曲角度を変える。接地して体重がかかれば、足首の関節が衝撃を吸収するべく曲がる。これらすべての運動が個人ごとに異なっている。
 ヒトが歩くときに動かすのは足だけではなく、上肢じようし、つまり腕から指の周囲も複雑に動く。地面を蹴るためだけなら、足の動きだけで完結するはずだ。なのに、ヒトは手を振って歩く。目立つ運動は肩から先だ。歩くと、肩は横に滑る。背中側の肋骨に筋肉でへばりついている肩甲骨がスライドするのだ。小走りのときには、腕の加速度を受けた肩甲骨が大きく傾く。以前大学の研究室で見せてもらったけれど、上半身裸で実験すれば、肩甲骨の稜線が激しく左右に動くのが皮膚の上から観察できる。
 一方でヒトが器用なのは、肩とひじを使って掌をいろいろな角度に回転させられるからだ。これは回内かいない回外かいがいという運動で、歩行者の掌の向きからこの運動を定量化して、個人個人の特徴と結びつけることができる。幸い、マスクをしようとも眼鏡をかけようとも厚化粧をしようとも、掌の向きを意識して隠す人間はいない。掌と肩が成す角度の値は、個人を同定する強力な指標だ。
 マウスをクリックした。画面に、数値を入出力するフィールドが現れた。いくつかの骨の屈曲、伸展、内転、外転、そして、回内、回外の数値を四角い枠に入れれば、数値通りの角度で関節を曲げて歩くヒトをラミダスは探し続けるだろう。いや、普段は数値をキーボードで入れるまでもない。任意の歩容動画をドラッグすれば、枠にはその個人の関節の使い方が数値になって自動入力されていく。
 ヒトの一連の動作は、全身で二百を超える骨どうしの、可動性を与えられた関節の動きの合算になる。それぞれの骨の動きは独立ではなく、互いに微妙に影響しあい、制限をかけあっている。下肢で骨盤を除いて六十、上肢で六十四の骨が、ヒトの手足をつくっている。ラミダスが解析に用いる骨の数は、このうちの百八個だ。一人に対して、とりあえず百八個の骨の動き方のデータを投入すれば、すべての個人が識別できる。
 ――煩悩ぼんのうと同じ数ね、というより煩悩の数まで絞ったのは、私。
 もっと大量の骨の数値を投入すれば、識別精度は上がるだろうけれど、刑事訴訟で被告を追い詰める証拠を生み出せばいいのなら、百八個で用は足りる。訴訟にDNAを使うとき、分析する遺伝子の数を絞り込むのと同じ理屈だった。
「ラミダスを作ったのは私。ラミダスで人一人を絞首台に送るのに必要な骨の数は……」
 呟きを大きな画面に投げ捨てた。
「百八で、十分よ」

 

「人探し」(5/8)は、1月20日に公開予定