1913年(大正2年)、北海道・網走の海岸沿いで、貝塚や古い土器が発見され、のちの調査でそこにいた人たちの住居跡や墓地、遺骨などが大量に出土した。
研究の結果、それは1300年ほど昔の集落……と言うとアイヌ民族のものかと思われるだろうが、発掘した頭蓋骨を調べてみると、アイヌとは全く違う形状だった。
昭和になって、彼らは、ロシア、アムール川流域から、樺太、そして北海道北岸を住居とする種族で、それらの地域に共通する骨格、生活様式を持っていることがわかり、これをオホーツク人、あるいはモヨロ族、オホーツク文化と呼ぶようになった。
住居は竪穴式ではあるが、その底面は六角形で、アイヌにはない。家は広く、大家族で暮らしたと思われる。真ん中に囲炉裏があり、部屋の一番奥には熊の頭蓋骨がたくさん積まれていたという。熊は食用というより崇拝の対象だったようだ。
彼らは海洋民族で、沿岸に住み、海獣をとって暮らしていたとされる。
発掘されただけでも、30軒にも及ぶ立派な住居と、植物の栽培跡、墓地の大きさから、彼らの文化の高さがうかがえるが、なぜかモヨロ族はいなくなってしまったのだ。しかも、彼らは文字を持たなかったので、何の記録もない。モヨロ族という呼び名も、“海辺に住む人”という意味のアイヌ語で、アイヌがそう呼んだということにすぎない。
今回足を運んだ網走市立郷土博物館分館「モヨロ貝塚館」は訪れるたび、何か胸に迫るものがある。様々な出土品が物言わず、しかし何か重いものを伝えてくるような気がするのだ。なかでも、クジラやトドのような大型の海獣の牙を掘ったと思われる装飾品の中に、一際目を引く女性像がある。
その素朴だが美しいフォルムはここを出た後にも脳裏に蘇る。首から上がないのは何かの祭祀に使われたものだからかもしれない。唐突だが、ピカソや岡本太郎氏が見たら喜びそうな美しい造形なのだ。これを「モヨロのビーナス」と呼ぶようになった。
一度見たら忘れられない美しき「モヨロのビーナス」
網走の海岸に出るとオホーツク海が目の前に広がる。また海岸線には濤沸湖、能取湖、サロマ湖と汽水の湖が続く。ここでモヨロ族は漁をしたのだ。海に陽が沈む。この海岸にあのモヨロのビーナスのモデルになった娘が佇んで、同じように夕日を見たのかもしれないと思った。
日本には縄文人の、ヤマト民族の、アイヌの、いろんな種族の聖地がある。今回の場所は単なる集落跡ではあるが、これもまた日本にある、失われた種族の聖地に数えてもいいのではないか。