御嶽というのは沖縄諸島における聖地、神の宿る場所、あるいは先祖を祀る場所で、それは大きな岩であったり、森であったり、山であったりする。元々は14世紀から19世紀にかけて沖縄諸島を支配した琉球王朝が、それまで独立社会であった各部族や集落に伝わる信仰や神、また古い言い伝えのある場所を、まとめてそう呼ぶことにしたという。
これは、本州でも見られるように、新たな統治者が国を統べる時、その土地の自然神をすべて正当な神々とするという、ヤオヨロズの神の発想と同じ考え方だ。そのほうが新たな領土をうまく統治できると考えたのだろう。
沖縄本島の中でも琉球王朝最高の御嶽が斎場御嶽だ。
本島の南東部に位置し、琉球王朝の直属にして、最大の御嶽。広大な面積に巨岩が林立し、何か所もの拝所がある。現在は誰でも入場料を払って見学することができるが、琉球王朝時代はノロ(女性の司祭・祝女)が神事を行い、堅く男子禁制であったという。
三庫理の拝所は大きな岩に向かうようにして置かれ、巨岩の下が神と交信する場所として、特別な空間になっている。そして斎場御嶽の最奥部、切り立つ巨岩が作る三角形のトンネルを抜けるとチョウノハナの拝所があり、生い茂る木々の向こうに、琉球開闢の神、アマミキヨが天から降ったという久高島が遥拝できる。
沖縄本島を代表する特別な聖地・久高島その存在そのものが信仰の対象になっていた
久高島は、周囲8キロ。ほとんど平坦な小さな島だが、琉球王朝における最高の聖地であり、現在でも久高島の御嶽は男子禁制のところがある。また久高島の最高位のノロは、生涯島から出ることはないとも言われている。
久高島に降りたってみた。北東の端になるカベール岬には眩しい陽の光が降り注いでいた。海に突き出す2つの岩の間から波が静かに打ち寄せる。神はここから上陸し、人里の方へ歩いて行ったという伝説が残っている。
斎場御嶽と久高島。沖縄本島を代表する聖地を訪れてみて感じたのは、大きな石や巨木は神の依代と言われるが、むしろ神より”人の思い”の集まるところなのでは、ということだった。聖なる空間は神が作ったのではなく、人が求めて作ったものなのかもしれない。
沖縄にはほかにも数多くの御嶽がある。それぞれが特別な雰囲気を持っているので、またの機会にご紹介したいと思う。