明日香石造物の中では一番新しく、西暦2000年に発見された「亀形石造物」。亀の形を象った水盤と見られるもの。確かに亀だろうが日本で普通に見られる形ではない。南アジアやインカなどに見られるような造形に見える

 

 奈良県高市郡明日香村は、県北西部の奈良盆地の南端にある。のちに天平時代に都となる平城京は、この盆地の北部だが、その百年以上前、日本最初の広域政権、大和やまと政権が確立したのはこの明日香村であったという。

 斉明天皇の在位は、西暦655年2月14日~661年8月24日の間で、中大兄皇子なかのおおえのおうじ(のちの天智天皇)、大海人皇子おおあまのおうじ(のちの天武天皇)の母でもある。

 そして、日本書紀によると、斉明天皇は、大掛かりな工事を好み、大きな溝を掘って水を流し、それで巨石を運んでなにやら怪しげなものを大量に作ったという。

 そのため庶民は労働に苦しみ、その大きな運河のことを「狂心渠たぶれごころのみぞ」と呼んで、天皇を謗ったと伝わる。

 日本書紀は当時の政権の正式な記録だ。天皇の悪口が書かれているのは珍しい。よほど、身内からも批判の出るような、大変な労働だったのだろう。

 

「酒船石」には、いくつもの伝説が残されている──

酒船石は、厚さは1mほどだが、長辺は6m近くもある。幅は2、3mというが、両脇は削ぎ落とされていて、元はもっと大きな岩だったと思われる

 

 そして、今日、明日香村で発見された石造物は、実に奇妙なもので、何のために、何を表して作られたものか不明で、また、ほかの地方から似たようなものが発見されないので、何の手がかりもなく、謎に包まれている。

 近くの山の上に石の都を造ろうとしていたのだとか、古代神道でもなく、仏教でもない、知られざる信仰を斉明天皇が、持っていたために、その祭祀に使う巨石なのだという説もあるほどだ。

 特に酒船石さかふねいしは、以前は酒を造ったとも言われていたが、その根拠はない。薬を調合したとも、聖なる山の図とも、星団「すばる」の図という説もあるが、どれも定説ではない謎の巨石なのだ。

 

甘樫丘あまかしのおかから、明日香を見渡す。左に見える小山が、大和三山のうち、畝傍うねび山。右に見える三角形の山が、耳成みみなし山、天香具あまのかぐ山はもう少し右になる。ここが大和の中心だった

 

 1975年に作家の松本清張は小説『火の路』で、氏の古代史に関する造詣の深さを披露するとともに、この明日香石造物の秘密を解き明かそうと試みている。大変面白い小説なので、興味のある方は是非読まれるといい。

 またそれと同時期、漫画家・手塚治虫の有名作『三つ目がとおる』にもこの石造物が登場し、物語の重要な役割を担い、当時話題になったのも印象的だった。

 

人の姿に見える「猿石」は古代の人の大らかな創作欲を感じさせる