奈良県高市郡明日香村は、県北西部の奈良盆地の南端にある。のちに天平時代に都となる平城京は、この盆地の北部だが、その百年以上前、日本最初の広域政権、大和政権が確立したのはこの明日香村であったという。
斉明天皇の在位は、西暦655年2月14日~661年8月24日の間で、中大兄皇子(のちの天智天皇)、大海人皇子(のちの天武天皇)の母でもある。
そして、日本書紀によると、斉明天皇は、大掛かりな工事を好み、大きな溝を掘って水を流し、それで巨石を運んでなにやら怪しげなものを大量に作ったという。
そのため庶民は労働に苦しみ、その大きな運河のことを「狂心渠」と呼んで、天皇を謗ったと伝わる。
日本書紀は当時の政権の正式な記録だ。天皇の悪口が書かれているのは珍しい。よほど、身内からも批判の出るような、大変な労働だったのだろう。
「酒船石」には、いくつもの伝説が残されている──
そして、今日、明日香村で発見された石造物は、実に奇妙なもので、何のために、何を表して作られたものか不明で、また、ほかの地方から似たようなものが発見されないので、何の手がかりもなく、謎に包まれている。
近くの山の上に石の都を造ろうとしていたのだとか、古代神道でもなく、仏教でもない、知られざる信仰を斉明天皇が、持っていたために、その祭祀に使う巨石なのだという説もあるほどだ。
特に酒船石は、以前は酒を造ったとも言われていたが、その根拠はない。薬を調合したとも、聖なる山の図とも、星団「すばる」の図という説もあるが、どれも定説ではない謎の巨石なのだ。
1975年に作家の松本清張は小説『火の路』で、氏の古代史に関する造詣の深さを披露するとともに、この明日香石造物の秘密を解き明かそうと試みている。大変面白い小説なので、興味のある方は是非読まれるといい。
またそれと同時期、漫画家・手塚治虫の有名作『三つ目がとおる』にもこの石造物が登場し、物語の重要な役割を担い、当時話題になったのも印象的だった。