出羽三山を歩いてみると、ここでも山頂は死の世界、死者との交信場所であり、谷は人が修行をし、悟りを開き、命が再生する場所とされている事がわかる。
1つの山に山頂は1つだが、谷は無数にある。そのいくつもに古来、日本人の心の重心とも言える場所があるのだ。
月山、羽黒口登山道、8合目のレストハウスを過ぎて山頂へと続く道を外れ、北の谷へと向かう。高山植物と苔の湿地帯を通り、生い茂るブッシュを漕いで抜け、わずかな踏み分け道をたどって数時間、何度か道を失ってまた発見することを繰り返し不安がつのった頃、いきなり眼前が開けて眼下に雄大な谷のパノラマが広がった。
これが東補陀落の谷。それはまるで桃源郷を見るような景色で、何かいい匂いが漂ってきそうだった。縄文時代の集落がそこにあっても驚かないだろう命に溢れた広い渓谷。この谷の向こうの三角山に、目指す巨岩の御神体がある。
古より信仰されていた天を衝く巨岩には荒々しさと神々しさが同居していた
そこから崖にしがみついて降り、岩の間の急坂を這うように抜けて、数百メートルを降り、小さな湖の脇を通って、また斜面をしばらく登る。青空に屹立する巨大な御神体は、月山山頂の方を向いて、それを遥拝する老修験者のように見えた。
いつ頃から、この地で巨岩信仰が行われたのかは定かではないらしい。しかし実際にここに立ってみると、仏教どころか古代神道よりも古い、それこそ縄文以前の自然信仰、山岳信仰を実感できる気がした。
森林限界をはるかに超えた山頂は死の世界。谷には人の物語がある。谷の奥、その突き当たりは滝があることが多い。そこは里と野生の境界線だ。古来、修行者はそこで悟りを開き、武芸者は秘技を生み出し、僧たちはそこで仏に出会ってきた。
羽黒山。山頂から黒い谷に降りると、聖地中の聖地がある。海の向こうから現れて人々を救った「まれびと」である能除仙が悟りを開いたとされる谷だ。
出羽三山最上位の聖なる谷だが、今は禁足地なので、人は立ち入れない。しかしそこには静かで豊かな生命が息づいているに違いない。思えば山頂は悟りを開く場所ではないのだろう。見えるものが多すぎるからだ。絶景に目を奪われてしまう。
逆に谷は左右の視界を崖に阻まれている。そこで大石に座って滝の音を背後に聞いていると、頭の中にどこまでも広がる世界が、また、宇宙が感じられてくる。谷の狭い視界の中でこそ、宇宙の深淵をより確かに感じられるのかもしれない。