本栖湖越しに撮った1枚。千円札の絵となったのが、ここからの姿とされる。もっとも日本人に馴染み深い、富士の姿かもしれない

 

 神奈川県、湘南大磯の私の住処からも富士山はよく見える。だがそれをあまり気にもとめていなかった。もちろん富士山を描いた有名な絵画や、写真を見ることもあったが、自分で撮ろうという気にはならなかった。

 2014年から「ROOTS 日本の原景」と題して日本中の聖なる場所をもう一度しっかり巡ってみようと撮影を始めた。

 そして、日本各地の古代からの聖地と言われる場所の、その異様な迫力を細密な写真で写し取っていく旅を続けていくうちに、やはり富士という山をしっかり撮っておきたいという欲求が芽生えてきた。

 富士山は四方八方どこからでもよく見える。富士のまわりを一周しながら、その気取らぬ素顔と、古代からの日本最大の聖地としての尊厳に迫ってみた。

 日本の象徴とも言える霊峰「富士山」。その姿はこの国の人なら、美しい円錐形をイメージできる。富士は見晴らしの良いところに、ひとり立ち上がる単独峰であり、基本的には左右対称でなだらかな広がりを見せるので、絵にも描きやすく子供の頃から馴染みが深い。

 しかし、実際に山に接近し、じっくり見て見ると、その姿は千差万別の変化を見せることがわかる。

 

富士は東西南北、どこから見るかでガラリと姿を変える

南にある静岡市清水区・三保松原から見た富士。西側からとは一転、優しい表情を見せている

 

富士の西側、富士宮市上井出あたりからの姿。ゴツゴツしており、イメージよりも雄々しく見える

 

 私たちは何となく刷り込まれた先入観で、富士山は優しい姿の山というイメージがあるが、見る方角によっては、なかなか無骨で険しい姿を見せることも多い。

 東西南北でいうと、東からと南からは比較的優しい姿が見られる。西からみれば険しい姿。北からはその両方がうまく混じって、バランスのとれた姿に見える。

 富士山といえば、現役の活火山であることも有名だ。

 もっとも最近の噴火は1707年(宝永4年)の宝永大噴火で、溶岩の流出はなかったが、その噴煙は成層圏に達し、大量の火山灰が広範囲に降ったという。その時の噴火口は現在も富士山の南東の中腹に大きく口を開けている。

 日本人にとって、古来、山や川や大岩や巨樹といった自然物、そこにある野性そのものが神であった。神が怒れば災害や凶作が起こり、神が微笑めば、里は豊かになる。野性は、神は、その二面性を持つ。

 富士山もまた、荒ぶる神を思わせる一面と、優しく微笑む女神を思わせる一面を持っているのだ。だからこそ古来から富士は「聖地」として人々から畏敬されてきたのかもしれない。

 

箱根にある芦ノ湖スカイラインからの夜明け。神々しさすら感じる1枚