古い友人につれられて入った店は、一軒のシガーバーだった。
「悪いけど、タバコはやらないんだ」
そう躊躇する私に、彼はにやりとして言った。
「ここは、ただのシガーバーじゃないんだよ」
含みをもたせる言い方で、彼は私を招き入れた。
足を一歩踏み入れると、光がぐっと落ち着いた。
壁際に設置されたキャビネットには、葉巻がずらりと並べられている。
バーの奥では、無数のグラスがきらめきを放っていた。ところどころで、ほのかに桃色に色づいたけむりが立ちのぼる。
ふかふかのソファーに深く腰かけた私は、さっきから何度も繰り返してきた話題を再び口にした。
「とつぜん電話がかかってきたのには、ほんとに驚かされたよ。だって、小学校の卒業式以来だろ」
友人も同じように、少し高揚した面持ちでそれに応じた。
「急な転校だったもんなぁ。海外だったから、連絡も簡単にはとれなくなって、そのうちだんだん疎遠になって。でもまあ、こうして再会できてよかったよ」
「どうして急に連絡をくれる気になったんだ、連絡先を調べるだけでも大変だったはずなのに」
そう私が尋ねてみても、彼はずっと同じ調子で何も答えず、ただただ微笑むばかりだった。
私がさらに踏み込もうと思った、そのときだった。店の人がやってきて、葉巻と灰皿、そしてマッチを揃えてくれた。それを見るなり私の疑問は吹き飛んで、瞬時に心がときめきはじめた。
「これが葉巻かぁ……本物にふれるのなんて、初めてだよ」
時間の経過を感じさせる焦げ茶色のそれは写真で見るよりずっと貫禄があり、私は好奇心を大いに刺激された。
友人は、私の言葉を待っていたかのように口を開いた。
「あいにく、これは葉巻じゃなくってね」
私が眉をひそめるのを、彼は楽しむように見てから言った。
「ユメマキといって」
「なんだって?」
私は思わず聞き返した。
「夢を巻くと書いて、ユメマキ。説明するのは無粋だからね、まあ、見てて」
友人はそう言って、目の前に鎮座するそれを手に取った。そして、慣れた手つきで吸い口をカットしはじめた。そのひとつひとつの所作が、なんともいえず上品な美しさを感じさせた。
次に彼は、マッチを手にとった。
「シガーマッチ。ふつうのものより長いから、そのぶんじっくり火がともる」
そして、夢巻なるものをゆっくり回転させながら、彼は先端をマッチでじわじわ炙っていく。やがて、細いけむりがかすかに立ちのぼる。
その様子にうっとり眺め入ったあと、今度はそれを指に挟み、ゆっくり口に運んでいった。そうして大切そうに口にくわえると、ソファーにからだを預けて、優しく頬をへこませはじめた。
その途端、彼のまなこはとろんとなった。恍惚が彼を満たしたことが見てとれた。
友人は、落ちそうになる灰を気にとめることもなく、遠い目線のまま、いつくしむように口の中でけむりを転がしつづけた。
やがて、彼は淡いピンクのけむりを惜しみながら天へと吐きだした。そして残り香を楽しむように目を閉じて、そのままじっと動かなくなった。
友人は、長いことそうやって黙っていた。まるで私のことなど忘れてしまったかのように……。
「おい」
たまらず私は声をかけた。
「ああ、ごめんごめん」
彼ははっと目を開けて、寝起きのようなけだるい声で答えた。しかし、その声とは裏腹に、開いた目は生き生きと輝いていた。
私は、思わず前のめりになっていた。
「もったいぶるなって」
「説明不要、吸ってみれば分かるさ」
そう言って、彼は新しい夢巻に火を入れて、私のほうへと差し出した。
私の中に、もはや躊躇は存在しなかった。私は友人と同じようにしてそれをゆっくり口に含むと、少しずつ空気を吸い上げていった。
ほのかな香ばしさを感じた、その瞬間のことだった。
私の頭に、とつぜん強烈なイメージが流れこんできた。
(つづく)
小説
『夢巻』『海色の壜』
あらすじ
古い友人につれられて入ったのは、一軒のシガーバー。店員に渡された葉巻を口にすると、子どもの頃の光景が脳裏によみがえった。この不思議な葉巻を、友人は「夢巻」というのだが――。(『夢巻』表題作) 現代ショートショート作家作家の大注目デビュー作。一話5分で楽しめる、夢と驚きに満ちた世界がここに!
夢巻(1/2)(『夢巻』より)
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