アドネコ

 

 おれもおまえのような新人のころには右も左も分からずに、よく頓珍漢とんちんかんなことをやっては先輩に怒られたもんさ。

 ああ、おれも同じように野良のらで目的もなく町をさまよっているときに声をかけられて組織に入ってな。最初に配属されて以来、こうしてずっとマーケティング部隊としてやってきたというわけさ。今では仕事がおれの生きがいだ。

 おれたちの組織がどんなことをやってるか、おまえちゃんと分かってるんだろうなぁ。何、分かってるって? じゃあ、言ってみろ。一言でな。

 だめだめ、全然だめだ。広告会社ですって、おまえは何にも分かってないよ。じゃあ、何の広告をしてるところなんだ? 目的は? 存在意義は? 言われなくともそんなことくらいは分かっておいてもらわないと困るわけだ。もっと自覚をもってくれよ。お遊びでやってるわけじゃないんだから。

 いいか、うちはヒトの家庭にネコを広く普及させるためのネコ宣伝組織。そしておれたちは、そこに在籍するアドネコなんだぞ。世の中の人間たちがもっとおれたちネコに興味を持ってくれるにはどうすればいいか。もっとネコを飼ってくれるにはどうすればいいか。おれたちは、それを追求するためにペットになる権利を放棄してこうして仕事に徹しているプロフェッショナル集団なんだよ。すべてはネコ族の平和と安定のため。人間という動物界の頂点と対立するのではなく、やつらをうまく利用して繁栄すること。それがおれたちに与えられたミッションだ。

 分かったか。それじゃあ、おれたちと競合してるやつらのことを言ってみろ。

 ああそうだ。おれたちの競合相手はまさしくあの憎きイヌたちだ。あいつらこそが、すました顔でおれたちネコの普及をじゃましやがる悪の集団なんだ。

 知ってるか。ヒトのあいだでのおれたちの評価を。イヌ派かネコ派。これだけ苦労していても、今のところはおれたちネコのほうが情勢不利とデータは語る。くやしいことだよ。

 おい、博識はくしきですねって、せんえつだぞ。これくらいマーケッターなら当たり前の知識だ。データを切ると、これくらいのことはすぐ分かる。なんだって? ああ、この業界ではデータを出すことをデータを切ると言うのが決まりなんだ。うるせぇな。理由なんて知るもんか。みんなが言うからおれも言う。郷に入っては郷にしたがっときゃあいいんだよ。

 で、何の話だったか。そうそう、イヌのやつらの話だった。やつらの勢力を抑え、おれたちネコ族がやつらに取って代わること。これがおれたちアドネコの課題なんだな。

 もっとも、今はイヌの陣地が広くとも、勝機は十分おれたちのほうにある。なんてったって、イヌのやつらはおれたちみたいな宣伝組織を持ってないんだからなぁ。おろかなことさ。それに比べておれたちネコにはこうして野外で活動できる組織がある。どんどん攻めて、やつらの陣地を奪い取っていかねばならない。

 さあ、うちの組織の三大部署をソラで言ってみな。おっと、肉球をなめるふりしてカンニングするんじゃないぞ。

 よく言えた。営業、マーケティング、クリエイティブ。その三つこそがうちの三大部署というわけだ。

 ほら、人間たちがよくネコの夜の集会とか呼んでるやつがあるだろ? あれこそ、おれたちアドネコの戦略会議。三つの部署からアサインされたネコたちが顔を合わせ、ブレストや戦略立案、知見の共有なんかを行っているというわけさ。

 まあ、新人くんは何にも分かっちゃいないだろうから、おれが基本を教えてやるよ。

 そうだな、どの部署も欠かすことはできないが、まずは一番分かりやすい営業のことから教えてやろう。

 営業は、その名のとおり町に出ていき人間たちにネコの売り込みをやる部署だ。一匹一匹、担当地域が決められていて、受け持ちの地域を歩いて回る。人間の目に触れやすいようにな。そして、出会った人間にネコの魅力をアピールするというわけさ。

 言葉にすると簡単そうに聞こえるが、経験とスキルが求められる難しい仕事であるのは言うまでもない。

 担当地域が決まってるから会う人間はだいたい同じようなものなんだが、人間たちのおれたちネコへの興味の度合いは人によって当然大きくちがってくる。その人間がまったく興味がないフェーズにあるのか、それともあとひと押しでネコを飼ってくれそうなフェーズにあるのか。このちがいを見極めて、効果的な策を打つ。相手によって出方を変えるというわけさ。甘えたり、そっけなくしたりな。このさじ加減がじつに難しいが、スーパー営業はこれを自然にやってのけるからまいったものさ。

 もちろん営業は自分自身を飼ってもらうという短期的かつ発展性のないことをやるために活動しているわけじゃない。あくまで人間に売り込むのはネコ族という広いくくりで、言い換えればいかに人間にペットショップに行ってもらうか。それが営業にとっての一番の課題だ。おのれではなくネコという広い対象に興味を持たせ、購買行動に至らせるまでのその技術。一度目の当たりにすると、営業のすごさが嫌というほどよく分かる。

 それからたまには飛び込み営業をしてみることも大切らしく、とつぜん見ず知らずの人間の家の前に寝転んで、出てきたやつを相手に売り込みすることもあるんだな。

 スーパー営業の先輩が言うには、若手の飛び込みネコにありがちなのは、今すぐネコを飼わせようと必死になって自分で自分の首を絞めてしまうこと。飛び込みで大切なのは、即決を促すことじゃあない。人間に、ネコとはかわいい生き物じゃないかと一瞬でも思わせることこそ重要なんだ。すると相手は次も会ってやってもいいかなと思うようになる。そうなればしめたもので、二回目、三回目とだんだん興味が増していき、ついには自分でネコのことを調べるようになっていく。そして最後はお飼いあげ。

 どうだ、営業とは奥が深いものだろ。もっともまあ、今のおまえじゃおれの言う意味はまだ分からないだろう。営業現場実習で、ちょっとかじったくらいじゃあな。三年くらいしたら、同じ話をもう一回おまえにしてやるよ。

 クリエイティブ? 言うまでもなく、こちらも当然奥が深い。

 クリエイティブはアドネコの花形と言われることもあるくらいで新人ネコが目指したがる部署だから、競争率もひときわ高くてな。おまえも組織に入る前の試験でいろいろ課題を出されただろ。クリエイティブには特殊な才能が必要だから、あれで適性を見てるってわけさ。試験は今後も毎年あるから、才能があればおまえもいつかは異動になるかもしれないわけだがな。

 クリエイティブの仕事はというと、その名のとおりクリエイティブなことをすることだ。詳しく言えば、クリエイティブのネコたちは人間好きする美しい姿勢や動作、声の出し方を開発しているというわけさ。そうして開発したスキルを営業に教え込むことで、営業スキルの向上に貢献してるというわけなんだ。

 美しい姿勢や動作と一言で言っても、その種類は無限にある。立ち姿に歩き姿、毛づくろいの仕方にあくびの仕方、猫なで声から怒った声まで。これらを組み合わせて、いかに好印象なアウトプットをつくれるか。それに挑戦しつづけている部署なんだ。

 ふだん目にする何気ない動作が綿密な計算のもとにつくられていたなんて、野良時代には知りもしなかっただろ。世の中は知らないところで動いている。視野は広いほどいいもんさ。

 そしていよいよ最後のひとつ。内勤部署の頭脳集団、我らがマーケの登場というわけだ。

 おれたちがやってる大きな仕事。それは人間の研究さ。どんな人間にどんなことをすれば、よりネコ族を広げられるか。それを考え導きだすのがマーケティングの仕事なのさ。

 新人は抽象論についてこられないだろうから、具体例で教えてやろう。

 たとえば、ターゲット選定の仕事。どの人間を重点的に狙っていくのか、四半期ごとにそのターゲットを戦略的に選定してるというわけだ。

 そんなのネコ好きを攻めればいいじゃないですかって、おまえはじつに安易だなぁ。少しのコミュニケーションでネコに傾く人間たちは、多くの場合あまり重要じゃあない。もちろんそれを取りこぼすのはチャンスロスだがね。一番大事なのは、イヌに気持ちが寄ってる人間たちなんだな。おれたちはここをメインで狙っていくことになる。そしてさらにその中から、どんな人間を動かす必要があるのかを、目的と照らし合わせながら考えるのさ。

 ターゲットとは、そういうふうに計算されて選定されていくものなんだな。ちなみに前のクールでは、幼稚園に通う子供たちがターゲットだった。子供は親も巻きこんでいけるから、なかなか波及力のあるターゲットでな。毎年必ず重点的に攻める時期があるんだ。

 ターゲットが決まれば、次はその人間たちをどうやって動かしていくかの段階だ。そこではインサイトと呼ばれる人間たちの気持ちのコアを探りだして、そこをいかにうまく突いていけるかがキモになる。

 設定したターゲットがネコに対してどんな気持ちを抱いているのか。では、その気持ちがどういう気持ちに変わっていけば、ネコを飼ってくれるまでに至るのか。じゃあ、それを実現するためのメッセージとは何なのか……。

 こんなふうに、ターゲットからメッセージまで、頭を悩ませ考えていくのがマーケの大きな仕事なんだな。立案した戦略はアドネコ会議でクリエイティブに伝えられ、クリエイティブはそれに沿ってアウトプットを創作する。こういう流れで仕事は進んでいるというわけさ。

 マーケのもうひとつの大きな仕事。それはクリエイティブの効果検証というやつだ。

 我らの同胞が運営している調査会社に依頼をかけて、実施したクリエイティブ表現が本当に効果があったのかを調査するんだ。つまり、クリエイティブがつくった表現がどれくらいネコの普及に貢献したのかを測るんだな。

 その貢献度合の算出方法だが、まさかヒトにアンケートを行うわけにはいかないからな、効果は施策を実施したエリアで実際に飼われていったネコの数で測定することになる。地域ごとにA案やB案といった具合でクリエイティブ案を分けて実施してるから、どの地域でどれくらい飼われたかを調査することで、より良いクリエイティブの選定ができるという具合だ。データ集めは調査会社のネコたちが一軒一軒、家の中をのぞきこんで確かめて回るから、地道で膨大な工数のかかる作業になるけどな。

 そしてその結果をもってしてPDCAサイクルを回すんだな。分かるか、この意味が。 

 おいおい、おまえの代は研修でやらなかったのかよ。プラン、ドゥー、チェック、アクションの頭文字をとってPDCAだろ。まだ分からない。いいか、計画を立てて、実施して、効果を確認して、次の行動に移るという意味だ。要するに、やりっぱなしは良くないですよということだ。

 効果をしっかり確認して、良かった場合は何が良かったのか。悪かったならどこが悪かったからこういう結果になったのか。その分析をしっかりして、次の計画に活かしていく。これがおれたちマーケのとても大事な役割なのさ。

 

 さて、おれの経験にもとづいた貴重な話を一気にいろいろ話してやったわけだが、まあ、ヒトにマタタビで、どうせ話のほとんどは価値すら理解できてないんだろうな。だが、それもいいさ。これから現場でやってくうちに自分の身体で覚えること。それが一番なんだからな。

 しかしまあ、最近はいろいろと事情が変わってきていて、おれたちみたいなベテランでも新しいことをどんどん吸収していかなきゃ生き残れない世の中になったもんだから苦労するぜ。

 デジタルの波がおれたちネコにまで押し寄せてきているんだからなぁ。おまえもマーケのはしくれなら、ビッグデータという言葉くらい聞いたことがあるだろ。膨大にストックされた情報の山のことで、これをどう読み解くかに新しいマーケティングの可能性が秘められているのではと考えられててな。

 おれたちも拾ったデータ機器をそろえて、その使い方から勉強しはじめているところだよ。肉球がじゃまで押しにくいったらないがな。

 もうすぐネコ一匹に機器一台なんて時代がきて、あらゆる情報がすべてデータ化されることになるんだろうなぁ。GPSなんてつけられた日にゃあ、プライベートまでつつぬけになっちまって弱るぜ。ま、うまいこと相乗効果が生まれてくれるといいんだが。

 それから、最近ではおれたちネコのライバルの定義の見直しなんかも進んでいてな。

 驚いただろ。ライバル、イコール、イヌという構図は近ごろでは過去のものになりつつあるのさ。

 どういうことかって、つまるところがデジタル化のあおりで動物に興味すら持たない人間が多くなっているんだよ。これまではペットと過ごしていた時間が、ゲームやスマホに使われる時間になってきた。だからこれからのおれたちは、イヌと陣地を奪い合うんじゃなく、ゲームやスマホと戦っていく必要さえある。こんな世の中になるなんて、誰が予測できただろうな。

 営業からもどうしたもんかと続々と相談がきている始末さ。これではいかんと、おれたちマーケは新たなメソッドの開発に取り組みはじめたところだな。変化のたえない世界でやってくのは本当にきついもんさ。しかしこれもネコ族の繁栄のためだと思うと、使命感を覚えてまたがんばれるというものだ。

 どうだ。話を聞いて働くのが不安になってきたか?

 こんなのは序の口だ。華やかなのは外から見た景色だけ。現場はきびしいぞ。

 とにかくおれたちマーケは、アドネコの中でも特に最先端をいくことが求められているんだからな。そしてその道に近道などはない。

 ああ、すべては自分で考え地道にやっていくしか方法はないのさ。泥くさくPDCAを高速で回し、寸暇を惜しんですべてをブラッシュアップしつづけていく。それだけだな。

 忙しいったらありゃしない。まったく、ヒトの手でも借りたいくらいさ。

 

(了)