一週間がすぎたころ、私は不安になって師匠に問いただした。時間は限られているのだ。いつまでも基礎練習に励んでばかりじゃ、期限に間に合わないのでは。
「師匠、こんなことをつづけていて、意味があるのでしょうか」
「ばかやろう、世の中に意味のないことなどないのだ」
「しかし、優先順位はあるはずです。こんな悠長なことをしていては、果たし合いの日に間に合いません」
私は必死に訴えた。なにしろ、自分の命がかかっているのだ。
師匠はしばらく考えて、やがていった。
「お前の言い分も、もっともだ。それではこれより、次の段階にうつることとする」
師匠は奥へとはいっていき、戻ってきたときにはその手に新たなネギをにぎっていた。
「次は、これで練習だ」
「まだ刀を握らせてもらえないんですか」
私は落胆の色を隠せなかった。
「口ごたえをするな。その道に入ったなら、その道の掟に従わねばならない。素直さのないやつに、上達はありえない。焦って事を急いては、すべてが無駄になってしまう」
「はい……」
私は、手渡されたネギで素振りに取り組んだ。それを、三週間。我ながら、よくやったと思う。
ネギの稽古の次は、牛蒡での稽古だった。その頃になると、野菜の扱いもだんだん板についてきたのが自分でも感じられていた。訓練が実を結びはじめていたのだ。
だが、牛蒡は牛蒡で、またひと癖あって、初めは扱いに難儀した。振り下ろすたびに、ネギに比べてよくしなるのだ。
「師匠、この練習の意図はなんですか」
「柔よく剛を制すだ」
なるほど、さすがは師匠。考えが深い。私は自分の思考の浅さを恥じる。
午前の稽古が終わると、師匠は小さな丸磁石のついたボードをもってきた。
「午後からは理論の講義を行うこととする。勝つためには理論を学ばねばならない。直感だけでやっているやつは、行き詰まったときに実にもろい。長きにわたって成長をつづけていくには、頭を使わねばならないのだ」
師匠は磁石を人に見立て、ボードの上を動かして陣形についての講義をはじめた。相手が、左から斬り込んできた場合のポジション取りの方法。障害物が多い場所での攻め方。山道で複数人に囲まれたときの対処法。
「ふつうの剣術とは違うのだ。武器特有の利点を生かさなければならない。さあ、相手が白みの強い刀で後ろから襲ってきた場合はどうする?」
「前に飛び出し間合いをとります。それから剣先で相手の攻撃をさばきながら、隙をみて根元に渾身の一撃を放ち、武器を破壊します」
「すばらしい」
答えは自然と頭に浮かんだ。これまでの稽古のなかで、師匠は少しずつ知識をさずけてくれていたのだった。
さらに一か月の時が過ぎ去った。
ある日、師匠から大根を手渡された。それは、自分用にと買った刀だった。
ずっと師匠が手入れをつづけてくださっていたのだろう。刀は輝くばかりの光を放っていた。顔を近づけると、ぴかぴかの表面に自分の顔が映った。
「それで、この藁人形を斬ってみろ」
師匠は、庭に人の形をしたものを設置して、いった。とうとう、このときがきたのだ。だが、ほかの野菜ならいざ知らず、大根刀を扱うのは、これがはじめてだった。
「いきなりで大丈夫でしょうか……」
不安が頭をもたげてきた。
「いいから、やってみなさい」
私は深呼吸をして、大根を上段に構えた。精神を集中させ、ひと思いに振り切った。
「やった」
藁人形は、瞬時のうちにまっぷたつになった。私は驚嘆の声をあげた。
自分のレベルが上がれば本物の凄さが分かるようになるというが、まさにこれがそうだった。以前の、食べるだけの貧弱な大根とはまるで違っていた。そしてその本物が、今ではしっかりと自分のものになっているのがよく分かった。私は、歓びに打たれ、師匠のほうを振り向いた。師匠は、にっこり微笑んでいた。
その日の夜、私は師匠の部屋に呼ばれた。師匠は、一本のビデオテープを取り出した。
「師匠、これは」
私は驚きを隠しえなかった。そこには、かの憎き敵の姿があったのだった。
「やつが、私の弟子と戦ったときのものだ」
「お弟子さんと……? どういうことでしょう、弟子は私だけではないのですか」
「ああ、おまえの兄弟子は、あの男にやられたのだ」
師匠の顔に、とつぜん影が差した。
「やつは自分よりも弱そうなやつを見つけると、自分からさやを当て、勝負を申し込む。そうして弱いやつをバッサリ斬り捨て、愉悦にひたっているのだ。
私は仇を討つために、やつをずっとつけ狙っていた。しかし、なかなか隙を見せない。そこに、おまえがやってきた。私は、運命だと感じたよ。おまえを育てて、仇を討つ。それが、一番の方法だと思ったのだ」
「……あの場に居合わせたのは、偶然ではなかったんですね」
師匠は、とおい昔をしのぶような顔つきになった。
「おまえの兄弟子は、心のやさしい良いやつだったよ」
それきり口を閉ざしたのだった。その目には、光るものがあった。
「必ずや、恨みを晴らしてみせます」
それだけいって、私は部屋をあとにした。絶対に負けるわけにはいかなかった。
三か月は、またたく間に過ぎ去った。
件の日の朝、師匠はいった。
「やつは踏みこみのときに左足に体重がかたよる癖がある。そのときを狙って瞬時にふところに飛び込むのだ」
やつは、町はずれの空地をその場所に指定していた。私たちは、言葉を交わすことなくその場に出向いた。
私の姿を認めると、やつは不気味な笑みを浮かべていった。
「逃げることなく来たようだな。おやおや、そちらにいらっしゃるのは」
師匠が歯を食いしばるのが分かった。
「また、まぬけな弟子を育ててきたようですね。無駄なことを御苦労さま」
そういって構えに入った。
私も、腰からゆっくりと大根を抜き、ゆったり構えた。焦りはなかった。三か月の練習が、私に不動の自信をもたらしていた。その堂々たる立ち姿に、相手は少なからず驚いたようだった。
「ほぉ、少しはできるようになったらしいな……」
すり足で、じりじりと間合いを詰めてきた。剣先をゆらゆら揺らし、視覚を乱そうとしはじめた。私は臆することなく対面し、相手を威圧した。
どれくらいの時間がたっただろうか。先にしびれを切らしたのは、向こうだった。
やつは、素早い動作で踏み込んできた。しかし私は、やつの動きが手に取るように分かっていた。
勝負は一瞬のうちについた。
やつが踏み込んだその瞬間、私はいきおいよくふところに飛び込んだ。そして、相手がひるんでバランスを崩したところに、渾身の一撃をお見舞いした。大根汁をあげ、やつの刀は鮮やかに二つに吹き飛んだ。すかさず私は刀をひるがえし、やつの身体をななめに斬りさった。次の瞬間、やつは膝から崩れ落ちた。私はすでに、刀を腰におさめていた。
師匠とともに、倒れたところへ近寄った。やつは、口から大根おろしをふいて事切れていた。
師匠が、私の肩にそっと手を置いた。
「哀れな最期だったな」
私たちは男の亡骸を土に埋めると、無言のままに家路についた。さまざまな思いが交錯していた。
やがて私は、師匠にこう切り出した。
「師匠、私は旅にでようと思います」
師匠は分かっていたというふうに、無言でうなずいた。
「私は、引退することにするよ。あとのことはすべて、おまえに任せる。免許皆伝だ」
その足で、私は流浪の旅にでた。
私は、明確な使命を感じていた。あの男のようなやつが二度と現れないように、また、兄弟子のような犠牲者が二度とでないように、私は刀を振るいつづけなければならないのだ。ちょっと前の自分では、とうてい考えられなかったことだった。世の中、なにが自分の使命になるのか、分かったものじゃないんだなぁ。
町を歩くと、刀をもつ者の多さに驚かされる。だれもかれも買物袋の奥に忍ばせてはいるが、いまの私には一見しただけで分かってしまう。そのほとんどの者に悪意はなかろうが、なかには内面でふつふつと悪をはぐくんでいる者もあるだろう。
ときおり、直感が私にささやきかけることがある。あいつは危険だ、生かしておいては大変なことになる、と。そんなときは尾行して、人気のないところでさっと近寄る。そして、刀を奪いふたつに折るのだ。武器さえ取り上げれば、どうすることもできまい。それだけすると、私は立ち去る。無益な殺生は本意でない。
しかし、いつかきっと、やつのように芯から悪に染まったやからに奇襲をかけられることもあるだろう。そのときに腕が鈍っていては、話にならない。私は毎日、稽古をかかさずつづけている。精進あるのみ。上達に終わりはないのだ。
それと同時に、私は全国の八百屋や農家を訪ね歩き、名刀を探しつづけている。剣豪には、名刀がつきものだ。おかげで現在、私は三本の優秀な刀を腰に差すことができている。ときどきは、スーパーにも立ち寄ってみる。名もない名刀が紛れ込んでいないとも限らないからだ。しかし、ほとんどの場合が貧弱で役に立たない。それどころか、店によっては初めから半分に折れた刀まで販売している始末である。
最初は何の目的があってと、ほとほとあきれるばかりであったが、今では、その意図を理解することができる。あれは、初めから刀を折っておくことで、悪用を防いでいるのだ。なんとも見上げた志ではないか。
その想いに強く共感した私は、農家を回り出荷前の良質な刀を見つけると、片っ端から斬ってまわることにしている。そうすることで、未然に悪を防いでいるのである。
(了)
小説
『夢巻』『海色の壜』
あらすじ
古い友人につれられて入ったのは、一軒のシガーバー。店員に渡された葉巻を口にすると、子どもの頃の光景が脳裏によみがえった。この不思議な葉巻を、友人は「夢巻」というのだが――。(『夢巻』表題作) 現代ショートショート作家作家の大注目デビュー作。一話5分で楽しめる、夢と驚きに満ちた世界がここに!
大根侍(3/3)(『夢巻』より)
関連記事
おすすめの試し読み