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 納得せぬ顔の裄沢に、来合はいささかムキになった。
「まさか、白糸の間夫がったなんて言うんじゃあるめえな。返り血のことがあったから客のほうだっていちおうは全部調べたんだ。昼の席だったから仲間連れの宴会がほとんどで、怪しい野郎は一人もいやしなかったぜ」
「いや、死に様からして、同衾しようとした相手に刺されたってんだろう。死人さんに男色のほうの趣味もあったなら別だが、白糸の間夫にせよ他の部屋の客にせよ、野郎が手に掛けたたぁ俺も思っちゃいないさ」
 裄沢は、ふと思いついたことがあるように別な問いを口にする。
「轟次郎が『家族も間夫も呼んで調べなきゃならねえ』って口にしたとたんに白状したっていうなら、自分はやってなくともそうした誰かがやったんだと思い込んで、身代わりになろうとしたってことは?」
「いや、それならおいらたちが話ぃ聞きにいったとたんに手前がやったって言ってなきゃおかしいだろ。どうせ白糸がお縄んなりゃあ、家族も、ホントにいるなら間夫だって、お白洲はともかく大番屋にゃあ呼び出されていろいろ聞かれることんなるなぁ、最初はなっから判ってんだからな。
 こっちから言われるまでそんなことにも気が回らねえような愚図ぐずな女にゃあ見えなかったし、なにより、もしそんなて(ものごとのなりゆき、経緯)だったら、おいらはともかく室町さんほど経験かずを重ねた捕り物こうしやが白糸の嘘に気づかねえはずがねえ」
 本当の下手人を庇おうとして近親者が嘘の自白をするというのは有りがちな話だから、経験豊富な捕り方が簡単にだまされるようなことはない。来合の反論に裄沢も頷いた。
「うん、確かにそうか──じゃあ、下手人を庇ってるんじゃあなくって、隠してる間夫がさがし出されて呼びつけられんのが困るってことなら……」
 勝手に物思いに沈み込んだ裄沢を、来合がつつく。
「さっきも言ったように、周りが知らねえ間夫がいるたぁ思えねえ──それとも何かい、見世が後難こうなんを怖れて隠し立てしたくなるほどおっかねえ野郎がいて、そいつが白糸の間夫だとでも?」
 そんな者がいるとすれば、どれほど見世が隠そうとしても周囲に噂ぐらいは流れていよう。後ろ暗い活計たずきのほうから取り締まる側の気をいているはずで、ところの岡っ引きである伊助が知らないということはまずあり得ない。
「必ずしもそうとは限らない。見世が間夫に気づくってのはそれだけおうの数を重ねてるからだろうけど、男女の仲だ、間を空けてほんの数回しか会ってなくとも惚れちまったってことだってあるはずだ──白糸のうわついた様子で『間夫がいるかも』と見世が疑ってなかったとこからすると、むしろ白糸は自分の心の中だけで密かに想ってたって話ならありそうじゃないか」
「どんな相手だい、そりゃ」
スケましがれんくだで、っていうのにゃあ見世も気をつけてようし、そういう男なら畳み込んで一気に片をつけようとするだろうから違ってそうだけど、相手が真っ当なかたならどうだろうか。
 たとえば、呉服屋みたいな堅い商いやってる見世の手代だとか、大藩や大身旗本お出入りの職人の弟子だとかがそうだったとすると、女郎の間夫として町方から呼び出されたってだけで当人の信用に関わりかねねえしな」
「……しかし、もしそんな野郎なら捕まえようかどうかって話になるわけじゃねえのに、手前の命に替えてまで守ろうとするかね」
「そういう相手なら、女郎のとこへ通ってたって知られるだけで一生をフイにすることになるかもしれない──自分が女郎だからこそのいちな思いってえヤツを、軽くは見られないんじゃないか。心底れた間夫だっていうなら、それこそ『あり得ねえ』とは言い切れないように思えるんだが」
 裄沢は、「偶々返り血を全く浴びなかったということも全くあり得ないとは言えない」との来合の主張を、そのまま反論に使った。
 来合は腕を組んで考え込んでしまう。
 当人は無意識だったろうが、断りもなく文机に置かれたがために書付を下に敷いた湯呑へ目をやりながら、裄沢は問うた。
「他の客に怪しい者はいなかったって話だが、客以外に不審な者の出入りや妙な動きをした奉公人もいなかったのかい」
 来合は裄沢を見やりながら、自分に言い聞かせるような口調で返答してきた。
「いろいろと聞き回った中じゃあ、そんな話ゃあ一つも出なかったな──第一誰がやったにせよ、返り血の付いた着物なんぞどっからも出てきちゃいねえし、当然身にけたままの者もいなかった」
 裄沢は、お手上げだと宙を見上げた。
「なら、見世に出入りしても誰も気にしないし、こんな騒動になっても誰も思い起こさないような女でもいたんじゃないか」
「そんな幽霊みてえな……」
 裄沢はひたりと来合を見つめる。
「お前、気になって仕方がないんだろ。なら、ありそうもなくったって、いちおう調べてみるしかねえじゃねえか」
 裄沢は文机に置かれた湯呑を取り上げて来合に押しつけると、もう関心はなくなったとばかりに書付へ向き直った。
 自分を無視して仕事に集中しだした幼馴染みを、来合は見やる。
 ──広二郎だって、「そんな幽霊みてえな女が必ずいるはずだ」なんてかんげえてるわけじゃねえ。
 要は、どうしても気になるなら得心できるまでトコトン調べてみろということだ。ようやく己のなすべきことを見つけた思いの来合は、自身に気合いを入れ直した。

 

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