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「──で、おいらと室町さんは当の白糸んとこへ行って向かい合ったわけだ。白糸も最初は強情に『知らぬ存ぜぬ』で何とか通そうとしてたけど、『ならお前の親兄弟から間夫からみんな呼び出して、洗いざらい調べてみることんなる』と話の流れで何気なく口にしたとたん、あっさり『自分がやった』と認めやがったのさ」
 気を利かせた見習い同心から途中で渡された湯呑ゆのみを手に、来合は話を締め括った。
 実のところ、自分がやったと白糸が白状するまでは、来合も室町も白糸は無罪シロだという印象を持っていた。「これは長い探索になりそうだ」と内心ためいきをついた来合が聞き取りを切り上げる前に何の気なしに口にした言葉で、白糸があっさり前言をひるがえした態度に町方二人はあつにとられたのだった。
 適当に聞き流しているとしか思えぬ様子で手許の書付へ目を通したり何やら書き込んだりしていた裄沢は、来合の話が終わると眉間みけんたてじわを寄せた顔を上げた。
「そんだけか」
「え?」
「話はそんだけかって訊いてる」
「ああ。詳しく話せってえならもっとじっくり話せるけど、大事なとこはこんなもんだ」
 それまで気のない素振りで自分の仕事を続けていた裄沢が、きょとんとしている来合から目を離さなくなった。
「返り血は?」
 指摘された来合は相手の言いたいことをすぐに察する。
「ああ、三哲を刺したなら返り血を浴びてるはずだってこったろ──けど、白糸の着てる物にそんな跡はなかったな。楼主や奉公人の話でも、白糸は今朝から着替えちゃいねえってことだったし、白糸ん部屋とこも他の部屋も、手先や小者に見世中きっちり調べさせたけど、どっからもろんな血が付いたような布っきれ一枚出てきやしなかった」
「けど、人が死ぬほどのふかを負わされて、敷き蒲団の下にまで染み通るほどの血が流れてたんだろ。それが小さなみ一つ分の返り血も浴びてねえってなぁ妙じゃないのか」
「おいらも室町さんもそこんとこは気になったんで見世中調べさせたわけだけど、偶々たまたま付かなかったってことがねえとまでは言えねえ」
「死人さんの刺し傷に刃物は残されちゃいなかったんだよな」
 深く刺した傷口から刃物を抜けば、どうしたって血が飛び散るものだ。
「そんでも、たとえばあんまり血の出ねえような刺し方が偶々できた上に、白糸が飛び退いたときゃあ上手うまく返り血を避けた格好んなって、その後三哲があまりの痛みで身をよじったときに、傷つけられてたくだが大きく破れちまったってことだってあり得るしな」
 ずいぶん偶然が重なったという言い分だ。来合が眉をひそめたのは裄沢の追及をしつこいと思ったからではなく、「痛いところをかれた」と感じたためかもしれない。
 それでも、殺しの場に立ち会った経験も浅からぬ室町まで白糸にお縄をかけることに同意したのは、他に手を下した者がいるとは考えられなかったためだろう。
 裄沢も来合の言い分を完全に否定することはできずに、返り血についての追究はやめた。しかし、問うこと自体を終えようとはしなかった。
「なら、白糸は刃物をどうした。そいつはもう見つかってるのかい」
「最初白糸は、夕刻んなって三哲の相手をしに嫌々ながらも行ったとき刺したって話したんだがよ、おいらたちに『それにしちゃあいくら何でも、三哲の冷たくなるのが早すぎる』って突っ込まれて、午過ぎの挨拶と夕刻向かったときとの間に、みんなの隙を見て三哲の座敷へ行ったって言い分を変えた。
 刃物はそんときに、見世の裏の堀川へ投げ捨てたって言ってるよ──今朝から伊助の子分どもに探させてるけど、まだ見つかったってしらせはきてねえがな」
「なんで、白糸はそこまでのことをしたって言ってるんだ」
「どうにもすけったらしい三哲が嫌だったんだとよ」
「そんなことで女郎が客を刺し殺すってか」
「当人がそう言ってんだから仕方しやああんめえよ──それとも何かい、白糸は手前でやってもいねえ殺しを白状したとでも言いてえのかい。もしそうなら、それこそなんで命懸けでそんなマネしたってんだ」
 来合の言葉がけんごしなのは、裄沢の言いようへの反発もあろうが、何よりも自身がばくぜんと感じているこたびの一件の不可解さへ、も言われぬいらちを覚えていることが大きかろう。
 もともと、市中巡回をわざわざ臨時廻りの室町に代わってもらってまでこんなところへやってきたのは、自分が召し捕った殺しの下手人げしゆにんにどこか確信の持てないところがあったため、牢屋敷へ送られてしまったのかどうかが気になって仕方がなかったのだと思われた。
 ろくな理由がないにもかかわらず、市中巡回を代わってやることを室町があっさり承諾したのも、室町のほうにもどこかしやくぜんとしない思いが残っていたからに違いない。
 来合の反論にしばらく考え込んだ裄沢は、文机へ目を落としたままぽつりと言った。
「白糸には、三哲に言い寄られる前から間夫がいたんだよな」
 自分はそんなことを口にしただろうかと思いながらも来合が答える。
「いや、楼主や奉公人は、そんな野郎はいなかったはずだって言ってる」
「その言い方だと、ホントはどうだか調べちゃいないのか」
「白糸があっさり白状ゲロしたし、間夫がいたなら見世が知らねえたぁ思えねえからな」
 先に述べたように、見世は女郎に間夫ができることを嫌う。客以外で女郎が男と会う機会があるのは同じ見世の奉公人ぐらいのものだから、しっかり気をつけている見世が長いこと気づかぬということはまずあり得ない。