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 そこへ横合いから、室町が穏やかに口を挟んできた。
「まあまあ、そんなギュウギュウに決めつけられちまったんじゃあ、言いてえことがあったって口から言葉が出てきやしめえ。お前さんもちょいと落ち着きねえ。
 なあ、亭主。お前さんも商売だから見世の評判を気にすんなぁ当然のことなんだろうけどよ、ことは殺しだ。しかも悪口言われて気分を悪くする客は、そこで冷たくなっちまって、もうしゆがえしの一つもできやしねえ。ここは正直んなって、本当のところを明かしてみねえな」
 絶妙なすくいの声に、楼主も善次もようやく息を継ぐ。楼主はどうにか気持ちを立て直して、改めて来合へ詫びを口にした。
「町方のお役人に対してうそをつくとか誤魔化ごまかすなどという気持ちはいっさいございませんでしたが、室町様がしんしやくしてくださいましたとおり、万が一見世に悪い評判が立ってはと、そのことばかりに気を取られてしまいました。お役目の邪魔をするつもりはなかったとは申せ、調ちようほうを致しました。どうか、ご勘弁くださいまし」
 深々と頭を下げる二人へ、来合は口調を普段どおりに戻して告げる。
「フン、まあいいや──で、ホントのところはどうなんでえ。三哲がなんで白糸に振られても次の日まで居残ったのか、挨拶に顔ぉ出した白糸とどんなことぉ話したのか、ふくぞうのねえところを聞かしてもらおうかい」
 一度やり込められた楼主は、今度はさすがに素直になって内実を吐露とろし始めた。
「はい。まずは昨日、三哲様がお客としていらしたところからですが、このところ三哲様は白糸にご執心でして、『お前の間夫まぶになってやる』としつこく言い寄ってきては白糸を困らせておりまして」
「客にれさしてその気にさせんのも、女郎の商売のうちじゃあねえのかい」
「確かにそのとおりではございますが、それは客として見世に登楼あがってくだすっている間だけのこと。いかにお客と女郎の間とは申せ、心までしばることはできぬものにございます」
 綺麗きれいごとを、とは思いながらも訊くべきことを優先する。
「見世に知られるようにそんな言い方をしてたんなら、三哲は白糸をけするつもりじゃあなかったのかね」
 口を挟んできた室町を向いて、楼主は返答した。
「そういうお話も出ておりましたが、白糸は嫌っておりました」
 来合がつなぐ。
「昨晩急に体の具合が悪くなったってえのは」
「……三哲様のところへ行かないための作りごとでした」
 覚えた疑問がそのまま口から出る。
「いくら何でも、女郎屋の主が抱えてる女にさせるこっちゃねえように思えるけどな」
「来合様のおっしゃるとおり。手前どもの商売を考えれば、通常ならあってはならないことにございます」
 楼主や奉公人が、人殺しがあったにもかかわらず町方役人にあいまいなもの言いをした理由の一端が明らかになった。
 こんな話が表に出たら客は寄りつかなくなりかねないし、第一それ以前の問題として、この見世にいる他の女郎に対し示しがつかない。なんでそんなことをしたのかはともかく、見世としては口を閉ざしていたくもなるだろう。
「通常ならってえと、こたびは通常じゃあなかったってことかい」
 はい、とだけ答えた楼主は、わずかに間を置いてから続きを話した。
「三哲様には、いろいろと風評がござりまして」
「ああ、おいらも本所、深川をあずかる定町廻りだ。三哲の為人ひととなりはそれなりに耳にしてる」
 そう応じた来合を、室町が見る。
 臨時廻りの室町は来合が非番の日など代わりに市中巡回をすることもあれば、もともと経験の豊富さから今のお役にいている人物でもあって、悪名高い三哲についてなら多少以上のことを知っているはずだ。
 それでも、自分より詳しい者から確かなところを聞いておきたいと思ったということであろう。ならば、先達せんだつの要望にこたえるまでだ。
「金貸しで評判が悪いってとこからだいたい想像はつくでしょうけど、どうにもいんごうな野郎で。借りた金が返せねえとなったら、手荒い連中使って家財いっさいどころか、今身に付けてるしたおびまでひっくるめて全部ぎ取ってくような取り立てをさせてます。
 そんな噂はすぐに広まりますけど、それでも他に貸してくれるところがねえとなりゃあ、仕方なしに借りにいくような者も後を絶ちませんで──で、ひでえ取り立てがにちじようはんで行われてるって言ってもいいぐれえな有り様で」
 来合が室町へ告げた言葉を耳にして、楼主も頷いた。
「そういうお人ですから、女郎の扱いがどのようなものかもお察しいただけるかと──そりゃあ、下手へたなことをすれば余計な金を払わなきゃならなくなる上に、見世に登楼るのも断られることになりますから、乱暴なことはなさいませんでしたけど、女郎を人とは見ていないような様子が端々はしばしから感じ取れまして。まあ相手をした女から好かれるということは、ほぼなかったように思います」
「金を貸してた相手のことも、ただかねもうけの道具くらいにしか見てなかった野郎だ。女郎にそんな態度を取ったと聞いても不思議はねえな」
 三哲に関する楼主の人物評へ、来合はそう相鎚を打った。
 その言葉に勢いを得たのか、楼主はそれまでのしゆんじゆんが嘘であったかのように三哲のしゆうこうをはっきりと口にしてきた。
「先ほど、来合様へ善次が『三哲様は冬の初めごろまではこの見世の馴染みではなかった』と申し上げましたな。実は以前は、三哲様は他の見世の女郎へ入れあげていたのですよ。三哲様は、その女にも『俺が間夫になってやる』と言い寄り、そこの見世との間で身請けの話もだいぶ進んでいたそうでして。
 ところが、うちの白糸を知ったとたんに、向こうの見世には足も向けなくなったようにございます。これまで入れあげていた女郎に見向きもしなくなったばかりでなく、身請けの話もまるでなかったかのようなお振る舞いだそうで。
 そればかりではございません。先の女郎に入れあげていたときも、その後に白糸へ言い寄っている間も、この櫓下ばかりでなく深川の様々な岡場所にていろいろと浮き名を流していらっしゃるらしく──お金を払ってくださるお客ですから全く相手にしないなどということはできませんが、白糸にせよ手前にせよ、あのお人の言うことを本気にしない理由はお判りいただけたかと」
 言いようは伝聞だが、同じ深川の同業者についての話だ。実際には確かなところをしっかりと押さえた上でのもの言いのはずだった。
「女郎たちの間じゃあ、あの男のことは『今きゆう』で通ってるそうで」
 奉公先の主の言葉の後に、善次はポツリとそう付け加えた。
ひげの意休かい……」
 来合は顔をしかめながら独りごちる。
 意休、あるいは髭の意休とは、歌舞伎芝居のかたきやくの名前である。主人公との関係性は別にしても、間夫のいる遊女へ強引に言い寄るばかりでなく、他の遊女にも様々に手を出すような、好色で嫌味な男として描かれている。
 その名を冠せられた三哲が女郎たちからどのような目で見られていたかは明らかだが、当人の人間性を知る来合からしても「まあ、当然の扱いだろうな」としか思いようがなかった。

 

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