私はガックリと膝を折った。不思議なもので、腹が凹んだと思った時にはあんなに嬉しかったのに、若返ったと知っても、ちっとも喜べない。これがもし、現代であったなら、新しい恋人を作って、若い奥さんを見つけてやり直すぞ! などと希望に満ちることもできたのだろうが、勝手の分からぬ世界で、若さを頼みに生きていく自信がない。年配者だったほうが、それなりに敬い、気遣ってもらえたかもしれない、とさえ思う。せっかくツルッパゲなのだから、いっそ仏門にでも入ろうか。でもこの年になって、お寺の修行は辛そうだ……。
「俺がおめえを匿う理由はふたぁつだ」
蔦重はそんな私に権高な態度で、指を二本立てて胸を反らした。
「ひと~つ! ……俺は地本問屋だ。荒唐無稽な話は大好物でな。たとえ嘘でも、料理のしようによっちゃぁネタになる。それにおめえ見てっと、おかしなことだらけだ。芝居にしちゃあ手がこみすぎてらぁ」
「はぁ……。私はそんなに器用な人間じゃありませんよ」
「ふた~つ!」
もう、どうでもいい……。気力を失いかけた私の鼻先に、トランクスが広げられた。
「これがなんで伸びるのか、教えろ」
ハ……。ハハ……ハハハ……。
「ハハハ……フフ……。ヒッ……ヒッヒヒ……」
「おい、どうしたタケ。いよいよおかしくなっちまったのか?」
身体を丸め、ひきつったように笑い出した私の背中を、蔦重がつま先でつついた。私は、目尻にたまった涙をぬぐいながら身体を起こした。その鼻先に、今度は、
・ボールペン
・スマートフォン
・財布
が突きつけられた。
「こいつはいったい何なんだ? どれも見たことがねえ……」
三つとも、お歯黒ドブに落とされた時に、身につけていたものだ。丁寧に洗ってくれたようだが、スマホはまずお釈迦だろうし、財布の紙幣やクレジットカードも、もちろん使えない。そういえば……。
「あの、私の持ち物はこれで全部でしたか?」
おずおずと尋ねた。
「はあぁ? 何が足りねえんだ? 俺がくすね盗ったとでも言いてぇのか?」
「いえ、いいんです。ドブで失くしたのだと思います」
がっかりしながら、何もついていない手首をさすった。
(自然に外れるはずはないんだがなぁ)
そこには、最新式のデジタルウォッチがあるはずだった。『セイコー腕時計100周年記念限定モデル』という、二百本限定で発売されたばかりの商品を、広告代理店勤務の役得でいち早く入手した(長野県諏訪市出身の私は祖父の代から、「時計はセイコー」と言われて育ったし、パソコン周辺機器も、セイコーエプソンの製品で固めてある)。それなりに値が張ったが、スタイリッシュな限定モデルを手に入れたのが嬉しくて、購入以来、肌身離さず身につけていた。そんな大切な時計を失くしたことも痛手だが、あれがあれば、防水性能がある上に、ソーラー充電式なので、ここでどれほど役に立ったかしれない。
蔦重が、私の持ち物を畳の上に並べた。それらを眺めていて、
(ソーラー式! そうだ、あれがあったじゃないか!)
ふいに思い出した。私は財布をつかむと、中に大切にしまってあった、厚さ三ミリほどの樹脂製のカードを取り出した。長いことしまい込んだままだったので、今は無反応だ。けれどこのカードは希望の光─になるはずだ。電気のないこの世界で生きていく上で、私が未来から来た人間だという証拠になるかもしれない、大切な切り札。
このカードは、今はフランスで一児の母となった一人娘の亜里沙が、まだ中学生だった頃、私の初めての海外出張が決まった時にくれたプレゼントだった。
その時の嬉しさや、娘の可愛さを思い出しながら、私は穏やかな気持ちで、蔦重にこれまでの経緯を話し始めた。
自分が二百年以上先の日本からやってきた人間であること。見かけは二十代だが、本当は五十五歳のおっさんであること。ここに来るハメになった理由と、この先どうなるのか、全くわかっていないことも。
また、今は無理だが、日が昇ったら証拠を見せることができる、と言ったところ、蔦重はその必要はないと答えた。
「この、ボールペンってぇ不思議な筆だけで十分だぜ。本を作る人間にとっちゃ、墨をつけずに書き続けられる筆ってのは、この世のものとは思えねえ。まるで仙人の持ち物だ。大層なお宝じゃねえか」
さらに、こうも言った。
「おめえが、神様みてえに全てを知ってるわけじゃねえ、ってのも気に入った。おめえは、日本国の未来ってやつは知ってても、いつどこで火事が起きるとか、誰が怪我するとか死ぬとか、俺がこの先どうなるってことはわからねえんだろ? ……ならいいさ、俺んとこに置いてやるよ。全部わかってる奴にそばにいられちゃ、やりづらくってかなわねえからな。おめえはおめえで俺んとこで働いて、じっくりとてめえの人生、やり直すがいいや」
ほぉ……と感心した。バブルの頃は、こういうことを言う上司は珍しくなかったように思う。だがその頃は、失敗しても許されるだけの余力と経済力が日本にはあった。責任が重くのしかからないから、ものわかりのいい人間を演じることができたし、自分がそうだと思いこむこともできた。それが今や不況続きの世の中で、こんな豪気なことを言える懐の深い人間は少なくなった。