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 僕も床の綿埃を拾うぐらいはした。が、そこは小学生。洗濯機をまわし、洗濯ものを干し、あとで取りこんで、たたむ。そんなことはしなかった。小学生男子の自分がそれをやるという発想はなかった。
 だから僕はいつも同じ服を着ていた。ちゃんと着まわしてはいたが、それだけ。結局はいつも汚れものを着ていた。やがては臭うようにもなった。
 そんななかでガスが止められたときはあせった。アパートのフロはガスなので、お湯が出なくなったのだ。だからフロにも入れなくなった。服だけではない。僕自身も臭くなった。
 この時点でもうすでに相当つらい状態だが、まだ終わりではなかった。ピークはそのあとに来た。母が、一週間帰ってこなかったのだ。
 お金がいつもより多かったので、長いのかな、とは思っていた。だから初日からカップ麺にした。母が料金を払ったことでガスは戻っていたため、お湯は沸かせたのだ。
 二日経っても母は帰ってこなかった。そこまでは何となく予想していた。
 だが三日経っても帰ってこなかった。それで一気に不安に襲われた。母はついに帰ってこないことにしたのではないか、僕はこのままずっと一人になるのではないか、という不安だ。
 家に固定電話はなかった。母が携帯電話を持っているのみ。僕は持たされていなかったので、連絡のとりようがなかった。
 少し離れたコンビニに公衆電話があったが、そこまで行ってかけても母は出なかった。僕がかけてきたとは思わなかったのかもしれない。でなければ。思ったが、いいや、とも思ったのか。
 初めて、学校の先生に言おうかと思った。それまでは思わなかったのだ。言わないようにしていたのではなく、言うことではないと思っていた。それは自分の家のことだから、と。
 初めてそう思ったことで、また別の不安にも襲われた。言ったらまずい、という不安だ。先生に言ったらよくないことになる。漠然とそう感じた。たぶん、母が悪者になる。僕ら親子によくないことが起こる。
 というわけで、毎晩カップ麺を食べ、じりじりと落ちつかない時間を過ごした。今度は電気を止められたらどうしよう、と思い、テレビをつけるのもためらった。携帯電話とちがい、テレビは充電してつかうものではないと知っていたにもかかわらず。
 母はもう帰ってこないかも、という悲観と、いや、そんなはずないよ、という楽観が交互に来た。悲観九、楽観一、の割合で。
 そして一週間後。これは数えたからまちがいない。正確に、七日後。母はあっさり帰ってきた。
 午後七時ごろ。手持ちのカギで玄関のドアを開け、普通に入ってきた。普通に言った。
「ただいま」
 あまりに普通なので、僕も普通に言ってしまった。
「おかえり」それからこう尋ねた。「どこに行ってたの?」
 母はこう答えた。
「友だちのとこ」
 そこでやっと、僕は泣いた。自分よりも友だちのほうが大事なのか、と思ったわけではない。そんな理屈は抜きにして、自然と涙が出た。相当量、出た。
 母はさすがに驚いた。
「ごめんごめん。もう行かないわよ」と言った。
 が、何日かするとまた出かけた。今度は一日二日だったが。
 このときは本当にこわかった。ただでさえ長い小学五年生の一週間が、一ヵ月にも二ヵ月にも感じられた。
 いつまで待てばいいのか。そのいつがわかっていないと、不安は増すのだ。それがたとえ三年先だとしても、わかっていればまだまし。わかっていないのはきつい。明日かもしれない、という思いを、もう帰ってこないかもしれない、という思いが簡単に超えてしまうのだ。
 悲観と交互に楽観が現れたのは、いわば自衛的な反応だったのだろう。そこで一度ゆるめなければ壊れてしまう、というところまで追いつめられていたのだ。
 とはいえ、僕のそれは一時的なもの。母のほうが深刻だった。
 その時期の母は、実際、かなり不安定だった。おそらくは医師の診療を受けるべきレベル。気持ちが定まっておらず、いつもゆらゆらと揺れていた。突風が吹いたらその場で倒れてしまいそうな感じだった。
 それでも、ぎりぎりのところで踏みとどまりはした。僕を本当に投げ出すようなことはなかった。
 ある朝、母は僕に言った。
「圭斗。行くよ」
 その日は平日、学校があった。
 母は僕の前で学校に電話をかけて言った。
「六年二組の石村圭斗の母親です。今日は具合が悪いので休ませます」
 具合、悪くないけど、と言ってみたが、悪いのよ、と母は言った。
 そして僕らは都営バスと山手線を乗り継いで新宿に行き、高速バスに乗った。そこは新幹線ではなかった。お金がなかったのだと思う。
 四時間弱バスに乗り、着いたのは長野駅前。そこから長野電鉄の長野線に乗り、祖父母宅に行った。
 思いがけず実現した久しぶりの母との旅行、はそこで終わった。
 母は往復の乗車券を買っていたはずだが、僕の分は片道だった。僕はそのままじいちゃんとばあちゃんに預けられた。
 母はそれを僕だけでなく、じいちゃんとばあちゃんにも伝えていなかった。圭斗を預かって、という言葉が母の口から出たときは、じいちゃんもばあちゃんも僕も驚いた。
 ばあちゃんに呼ばれてすぐに駆けつけた伯母は激怒した。
「あんた何考えてんの!」と妹である母に言った。「そんなことできるわけないでしょ!」
 恥ずかしくないの? とも言った。バカ! とまで言った。
 母は何も言い返さなかった。
 僕はどうしていいかわからず、ただもじもじしていた。母にならい、正座してもいた。圭斗は足を崩していいんだよ、とばあちゃんが言ってくれたが、崩さなかった。やがて限界が来て、イテテテ、となり、それを見たじいちゃんが笑った。
 そんなことできるわけない、と伯母は言ったが、じいちゃんとばあちゃんはすんなり僕を受け入れてくれた。