勤務を終え、着替えもすませて、通用口へ向かう。いつもは僕自身が人の出入管理をしている従業員通用口だ。
ここは商業施設。店の商品を持ち出そうとしていないか確認するために、従業員が退出する際は警備員が必ず所持品検査をおこなう。その従業員が女性であっても、バッグの中身を見せてもらう。
それは僕ら警備員が退出するときも同じ。ただ、僕は何も持っていないので、検査はされない。いつもそうなのだ。自分で洗濯した制服のシャツなどを持ってくるとき以外、僕は手ぶらで出勤する。
だから今も、警備室にいる中浦副隊長にあいさつするだけ。
「おつかれさまでした」
「おつかれ。下番報告したよな?」
「しました」
「した気になってるだけじゃないよな?」
「ないです」
下番というのは、勤務が終了することだ。対して、勤務に就くことが上番。
僕ら施設警備員は、所属する警備会社から、そこと契約した施設に派遣されている。直行直帰ではあるのだが、会社の総合指令センターへの上番報告と下番報告は毎日することになっている。
新人のころ、僕は一度だけ下番報告を忘れたことがある。その際、中浦副隊長も、上司として会社に注意された。それを根に持っているのか、以後毎回言ってくるのだ。この、下番報告したよな? を。
たぶん、もう僕が忘れるとは思っていない。それでも中浦副隊長は言ってくる。いちいちつついてくる。
「お先に失礼します」と言い足して、通路を歩く。
ドアを開けて外に出る。
八時半。空は真っ暗、ではない。真っ青。八時半といっても、午後ではなく、午前だから。
当務明けはいつもそう。この時間に退勤する。世のほとんどの人々が出勤する時間だ。
当務というのは、二十四時間勤務。ここの場合は、午前八時から翌午前八時まで。四時間の仮眠時間とはまた別に休憩時間もある。タクシードライバーの隔日勤務と似たような感じだ。
従業員通用口があるのは、建物の裏手。大通りに面していない側。
一方通行路。車はあまり通らないし、人通りも少ない。いくつかある飲食店も今は閉まっている。
人はいないが、カラスはいる。飛んでいるのではない。路上にいる。居酒屋のわきの細い道だ。僕が歩いている一方通行路よりさらに細い。車は入れない。
ところどころにポリバケツが置かれている。そこに収めきれなかったのか、わきに大きなポリ袋も置かれている。そこに入れられていた生ごみを、カラスが狙ったらしい。
くちばしでつつかれたのか、ポリ袋はすでに破けている。キャベツの切れ端のようなものが路上に散乱している。
カラスはどこにでもいる。こうした都市部にもいる。ゲームセンター同様、昔にくらべればその数は減ったらしいが、それでも見ることは見る。
えさが豊富だからだろう。ごみ置場には黄色や緑色のネットを掛けられているところも多いが、徹底されてはいない。何ヵ所か当たれば成果はあるはずだ。
立ち止まり、食事中のカラスを見る。
カラスも僕を見る。人に慣れているので、簡単には逃げない。トッコトッコと数歩離れるだけ。鳥なのに飛ばない。歩く。
カラスがくるみを車に轢かせて殻を割り、なかの実を食べる。という動画を見たことがある。頭がいいのだ。実際、七歳児ぐらいの知能を持っているらしい。
そんなカラスが人を襲うようになったらこわいだろうな、と思う。大学生のころに図書館の無料映画会で観たヒッチコックの『鳥』みたいに理由もなく人を襲うようになったら。それだけでもう、人は外を歩けなくなるだろう。
たぶん、カラスの戦闘能力は高い。あの鋭いくちばしで目を突かれたら、一撃で失明するかもしれない。体のどの部分でも、皮膚をざっくりいかれるだろう。外を歩く際はフルフェイスのヘルメットと専用の防護服が必要。
そうなったら、政府指導のもと、各自治体が本気で駆除にかかるだろうが。果たして駆除はしきれるのか。生態系に影響が出ないよう、うまくやれるのか。
わからない。種を絶滅させてもいいというくらいの熱意を持ってやれば簡単にできそうな気もするし、だとしてもやりきれないような気もする。
そんなことをぼんやり考えて、歩きだす。再び一方通行路を行く。
それを見たカラスはすぐにトッコトッコと戻ってきて、食事を再開する。
昨夜は四時間弱の仮眠をとった。それでも当務明けはぼーっとする。ものを考えられなくなる、というのではない。こんなふうに、普段なら考えないようなことを考えてしまう。思考がダラダラと流れてしまうというか、歯止めが利かなくなるのだ。
建物をまわって、大通りに出る。少し進んで横断歩道を渡り、JRの高架をくぐる。
午前八時半すぎ。先の一方通行路とちがい、車通りも人通りも多い。
ここは大きな町だ。JRの駅で北側と南側とに分かれている。ほかに地下鉄の駅もあるので、都内各所へのアクセスはいい。東京へも新宿へも渋谷へも乗り換えなしで行ける。僕が今派遣されているところも含め、駅の周辺には大型商業施設が多く、買物にも飲食にも困らない。
鉄道高架で二つに分けられた町がよくそうなるように、北側と南側の印象はかなりちがう。今来た北側は、駅から少し離れれば穏やかだ。栄えてはいるが穏やか。だがもといた南側、繁華街となっているそちらはそうでもない。広い範囲に風俗店やラブホテルが存在し、猥雑感があることは否めない。
区立公園の手前で左に曲がり、大通りから離れる。碁盤の目状に配された各一方通行路をカクカクと進み、北西へと移動する。そんなふうに十分も歩けば、自宅マンションに着く。そう。僕は徒歩で通勤しているのだ。
すぐ隣にあるコンビニに寄り、いつものようにたまごサラダロールを買う。ここのはうまいのだ。ロールパン自体は小さいが、たまごサラダがぎっしり詰まっている。スーパーなどによくある安いサンドウィッチとちがい、具が少なくない。
あとは寝るだけだから、普通の人の晩ご飯に相当する僕の朝ご飯はそれのみ。前はほかにコロッケパンも食べていたが、起きたときに胃がもたれるのでやめた。
有料のレジ袋はもらわずに支払いをすませ、たまごサラダロール一つをむき出しで持って店を出る。通りの向こうにある東京スカイツリーを一瞥し、マンションに入る。
マンションといっても、ワンルーム。僕の部屋は、八階建ての三階だ。築三十年。七畳の洋間で、家賃は七万円。駅からは徒歩七分と近いので、充分安いと思っている。
今のところに通勤するから住んだわけではない。前からここだった。結果的によかった。都内で歩いて職場に行ける。そんなに贅沢なことはない。
部屋は三階だから、エレベーターはつかったりつかわなかったりする。籠が一階にあればつかうし、なければつかわない。わざわざボタンを押して呼びはせず、階段を上る。
今、籠があるのは八階。最上階。