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 案内された部屋に行き、再検査を受けた。
 ここは勝負だぞ、と思った。自動車教習所で修了検定や卒業検定を受けるときのような緊張感があった。
 再検査といっても、まあ、やることは同じ。初めの検査以上にがんばった。左、いや、下、いや、右、いや、上? などと滑稽かつ真剣に奮闘した。
 そのがんばりを評価されたのか、無事合格した。いや、無事でもない。再検査をしてくれた係員にこう言われた。
 合格ではありますが、一応、お伝えしておきますと。あと一つまちがえていたら不合格でした。はっきり見えてはいないのだと思います。今回は合格ですが、次回は難しそうですので、早めに眼鏡をつくることをご検討ください。大事なのは、車に乗るときの安全ですから。
 そうですよね。わかりました。と言ったあとにこうも言った。でもよかったです。たすかりました。ありがとうございました。
 言わずにはいられなかった。本当によかった。その後一、二週間は、思いだすたびに、よかった、を噛みしめた。また五年間の猶予をもらえたことに感謝した。何ならそれが、近年あった一番いい出来事だったかもしれない。
 で、結局、眼鏡はつくっていない。乗らないからいい、日常生活に不自由はないから次の免許更新のときまでにどうにかすればいい、と思っている。眼鏡やコンタクトレンズはつかいたくないのだ。どうも面倒に感じてしまう。
 七階までひととおり見てまわると、非常階段を下りる。
 この非常階段を通ることにも意味はある。不審者は、何かの下準備をするときに階段の踊り場を利用したりするからだ。エレベーターやエスカレーターにはお客さんの目があるが、非常階段にはそれがない。不審なことをしやすい。
 とはいえ、今は無人。誰ともすれちがわずに一階に到着。
 定時巡回は定刻どおりに終了。そのまま一階にある防災センターを兼ねた警備室に戻りかけるが。あ、そうだ、と思いだし、もう一度地下へ。
 念のため確認することにしたのだ。カフェの店外テーブル席を。
 あの子はもういないだろう、と僕は予想する。小学生は一ヵ所で長くじっとしてはいられないはずなのだ。
 が、いた。同じテーブル席に。さっきと同じような感じで。
 ということは、どういうことか。
 たぶん、行く場所がないのだ。
 カフェの店員さんが気づけば声をかけるかもしれないが、店外では気づきにくい。テーブルを拭きに来たときなどに気づいたとしても、ここはお店のお客さん用だから座らないでね、とは言わないかもしれない。待ち合わせをしている親が来て、お客さんになる可能性もあるから。
 店員さんはそれでもいいが、僕は警備員、施設全体の防犯に努めなければならない。
 距離をとってゆっくり歩きながら、女子を観察する。
 先ほどは、三年生か四年生、と思ったが、四年生、と踏む。そのあたりを見分ける自信はあるのだ。不埒な意味でではなく。
 僕の年齢なら一歳のちがいは大きくない。三十二歳と三十一歳の見分けはつかない。が、小学生年代での一歳のちがいは大きい。考えればわかる。十歳と九歳なら、一割ちがうのだ。
 そして僕の見たところ、その子は四年生。この春から四年生、だと思う。
 カフェの店外テーブル席に一人で二十分以上座っている小学四年生女子。声をかけてもいいだろう。警備員なら、むしろかけるべきだろう。
 そう考えたところで、女子が動く。いきなり立ち上がり、小走りにそこから離れる。子どもらしい動きだ。身の軽さを感じさせる。イスは少しも音を立てない。
 一瞬、見ていることに気づかれたのかと思った。
 が、女子は一度もこちらを見ずに、僕の数メートル前を横切っていく。小走りをすぐに歩きに変えて。スタートのみ小走り。そこがまた子どもらしい。
 そろそろと後ろにまわり、僕もそのままついていく。
 女子はすたすたと歩き、ゲームセンターに入る。
 僕も続く。
 出入口からすぐのところがクレーンゲームのコーナーになっている。音楽ゲームやビデオゲームはもっと奥。誰でも入りやすいようそんな配置にしているのだと思う。だから小学生でも入りやすい。いいことではある。
 今のゲームセンターは、何というか、健全だ。まず、雰囲気が明るい。
 二十年前、僕が中学生になったころは暗かった。一言で言えば、場末感があった。ビデオゲームが主だから照明が暗いのはしかたがないが、店の雰囲気までもが暗かった。たばこも吸い放題。店によっては、制服の高校生が普通に吸っていたりした。
 当時はゲームセンターに入るだけで緊張した。こわい高校生に目を付けられないだろうな、カツアゲされないだろうな、といつもびくびくしていた。
 だったら行かなければいいのだ。僕もそう思う。
 実際、僕自身、進んでゲームセンターに行くタイプではなかった。ゲームは好きだったが、ハマるほどではなかった。ただ、友人に付き合わされたりはしていたのだ。
 二十年前でも、すでに家庭用ゲーム機は普及していた。プレステ2が出ていたころだ。僕自身は持っていなかった。買ってもらえなかったというよりは、買ってと言いだせなかった。
 家庭用ゲーム機を持っていてもゲームセンターに行きたがる人はいた。それがその友人、宮脇くんだ。家でやるゲームとゲーセンでやるゲームはやっぱちがうんだよ、というようなことを言っていた。
 玄人みたいでカッコいいな、と思ったが、その先はカッコ悪かった。
 宮脇くんは、一度ゲームセンターに行くとなかなかやめられなかった。五百円持っていたらその五百円を必ずつかいきり、千円持っていたらその千円を必ずつかいきった。
 いつも所持金をつかい尽くしたうえで、圭斗貸して、と僕に言うのだ。百円貸して、のあとに、もう百円。そのあとにまた、もう百円。
 毎回三百円は貸した記憶がある。中学生のころに僕が持ち歩いていたのもその程度。宮脇くんはたいてい僕の所持金までつかい尽くした。
 いつも翌日には返してくれたから、貸すのを断りはしなかった。あまり気は進まなかったが、ゲームセンターに行くのを断りもしなかった。中学時代の友人関係はデリケートなのだ。付き合って、と言われたら断れない。
 宮脇くんだって、そう思ってはいただろう。だからこそ、お金は翌日に返してくれたのだ。
 文房具を買うとか何とか言って、親からもらっていたのだと思う。そうでなければ、お金がいきなり手に入るわけがない。
 宮脇くん。そういえば、下の名前は何だったのか。名字は覚えているが、顔は中学時代のそれしか知らない。高校はちがったし、そこで分かれてからは友人として付き合うこともなかったのだ。中学の同窓会には僕自身行ったことがないから、会ったこともない。宮脇くんが同窓会に顔を出す人なのか、それさえも知らない。
 ともかく。今はもうゲームセンターにあのころの緊張感はない。ゲーム機メーカーが運営するところがほとんどなので、そのあたりはきちんとしている。カツアゲ自体は今もどこかでおこなわれているかもしれないが、そこでは皆無だろう。
 クレーンゲームのコーナーなどはむしろ明るい。照明自体が明るいし、雰囲気も明るい。女性が一人でいても違和感はまったくない。だから小学生女子も一人で入っていける。
 今は高齢者もいる。こうして実際に見ているからよくわかる。メダルゲームやクレーンゲームに興じる高齢者は多いのだ。男性に限らない。女性もいる。
 数年前からそうなったらしい。家庭用ゲーム機のほかにスマホゲームも普及したことで、ゲームセンターを利用する若い人たちは減った。それに伴い、ゲームセンター自体も減った。だが高齢者は増えているのだ。
 孫の付き添いで来る人もいるし、家族連れで来る人もいる。なかには一人で来る人もいる。来る人は週に二度も三度も来る。
 ゲームをすることが認知症予防になる、と言われるようになったことも理由の一つらしい。そう聞いてやってみたら楽しくてハマった。そんな人も多いという。ビデオゲームよりはメダルゲームやクレーンゲーム。それらには、ものを扱っているという手応えがあるのだ。高齢者はやはりそこに価値を求める。
 クレーンゲームのコーナーは広い。ゲーム機がいくつもある。
 一プレイ百円、五プレイで五百円。店によっては五百円で六プレイできるところもあるが、ここは五プレイだ。一プレイごとにお金を入れる手間が省けるというだけだが、うまいやり方ではある。三、四プレイでよかった人たちも五プレイを選んだりはするだろうから。