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 女子はゲーム機のあいだの通路を歩く。
 僕も距離を置いて続く。もはや完全に尾行だ。
 初めは、どのゲームをやるか見定めているのだろうと思った。が、どうもそうではないらしい。
 女子はクレーンゲームのコーナーをひとまわりし、さらにもうひとまわりした。そして一台の前で立ち止まった。景品がぬいぐるみのそれだ。
 やるのかと思えば、やらない。ただそのゲーム機を見て、たまに右を見る。
 三台隣のゲーム機。そこには一人の女性がいる。七十代後半から八十代前半ぐらい。夢中になってプレイしている。だが残念ながら景品はとれずにその回は終わる。
 女性は台を離れ、隣の一台、また隣の一台、と見て歩く。手提げかばんは足もとに置いたまま。だからその台に完全に見切りをつけたわけではないらしい。ほかにとりたい景品があるかを見てまわっているのだ。
 突きあたりで女性が通路を左に曲がると、女子も歩きだす。女性がプレイしていた台に寄っていき、手提げかばんを拾い上げる。そして小走りに歩を進め、右に曲がる。そう。女性が曲がった左にではなく、右に。
 あっと思う。女子は女性に手提げかばんを届けに行ったのではない。女性から奪ったのだ。
 初めから狙っていたということだろう。クレーンゲームのコーナーを二まわり。あれは、獲物の物色のためだったのだ。一度めであそこに女性がいることはわかったはず。なのに二度まわったのは、近くに店員さんやほかのお客さんがいないかを確かめるためだったのかもしれない。
 そして、張りこんだ。女性は望んだとおりに動いてくれた。手提げかばんは置いたままで。
 小学生女子が、置引。そんな現場に居合わせると、さすがに動揺する。
 僕ら警備員が万引犯や置引犯を捕捉できるのは、現認したときだけ。わかりやすく言えば、自分の目で行為を確認したときだけだ。
 今のこれはまさに現認。捕捉していいというよりは、捕捉しなければならない。
 いや、でも、と僕は思う。まだ置引と確定したわけではない、と自分に言い聞かせる。
 実際には、女性の手提げかばんを持ち去った時点で確定。それは万引でもそう。自分のバッグに商品を入れたらそこでもう窃盗罪は成立する。
 だが、レジを通さずに店を出て初めて成立、というのが一般的な認識だから、言い逃れができないようにするため、僕らも万引犯が店外に出てから声をかけることが多い。
 この場合も同じだろう。女子が女性の手提げかばんを持ってゲームセンターを出たら、それはもうしかたない。捕捉にかかるしかない。
 逆に言うと。女子がゲームセンターを出さえしなければまだ捕捉できない、と見ることもできる。
 女子はもう一度右に曲がって通路を歩く。その先は出入口。
 そこで僕は一気に距離を詰める。
 もちろん、背後から肩に手をかけたりはしない。体に触りはしない。それはダメ。
 だから大きめな声で言う。
「ありがとう」
 女子は振り向き、立ち止まる。
 驚くかと思ったが、そうでもない。驚きが表情に出たのはほんの一瞬。それはすぐに消える。というか、あきらめに変わる。
 僕は続ける。
「おばあちゃん、かばんを持ってたはずなのに持ってないから、あれっと思ってね。よかった。君が預かってくれてたんだね」
 僕は女子のほうに自分の左手を伸ばす。掌を上にして。
 女子は何も言わずにかばんを渡す。僕の掌に手提げ部分が掛かる。かばんはそんなに重くない。財布だの携帯電話だのが入っているだけなのかもしれない。
 女子が僕を見る。
 何か言うのかと思って待つが、何も言わない。すぐに目を逸らし、下を向く。
 だから僕が言う。
「おばあちゃんにこれ、渡しに行こう」
 返しに行こう、と言いそうになり、あわてて言い換えた。返しに行こう、では女子が盗ったことになってしまうから。
 来た通路を引き返し、女性を追う。
 女子もついてきてくれる。
 女性は、もといた通路の一本先の通路で各ゲーム機を見ている。どれをやろうか、まだ迷っているらしい。
 近づき、僕が声をかける。
「お客さま、すみません」
 女性が振り向いて言う。
「はい」
 僕は手提げかばんを差しだす。
「こちら、通路に置かれていると危険ですので、どうぞお持ちください」ほかのお客さんの通行の妨げになる、という意味にとられるかと思い、こう言い足す。「持ち去られたりしたら、よくありませんので」
「あら、ごめんなさい。置きっぱなしにしちゃったわね」と言い、女性は手提げかばんを受けとる。
 置きっぱなしにした自覚はあるらしい。忘れたのではなくてよかった。この手の荷物の置き忘れも、商業施設では結構あるのだ。
 女性が僕の後ろにいる女子を見て不思議そうな顔をするので、説明する。
「こちらのお子さんが、忘れものかと思って届けようとしてくれたみたいで」
「あ、そうだったの。それはどうもありがとう」
 そう言われ、女子は下を向く。
 女性にはうなずいたように見えたかもしれない。もしそうならそれでいい。
「では引きつづきお楽しみください」
 そう言って一礼し、去る。
 女子と二人、そのままゲームセンターを出る。壁際に寄って、立ち止まる。
 小学四年生なら子ども扱いしすぎかな、と思いつつ、女子の前にしゃがむ。自分が女子を見上げる形にする。女子が下を向いてもいいように。
 そこで女子を責めたりはしない。僕はただこう尋ねる。
「さっき、あっちでイスに座ってたよね? コーヒー屋さんの外のイス」
 それには女子もうなずいてくれる。
「ここへは一人で来たの?」
 またうなずく。
「おうちの人が、あとから来る?」
 今度はうなずかない。といって、首を横に振りもしない。
 来ないのだな、と思う。だがそこまで。これ以上訊くつもりはない。
 女子は女性の手提げかばんを手にした。が、ゲームセンターからは出なかった。つまり何も起きなかったのだ。
「ああいうときは、先におばあちゃんに声をかけたほうがいいね。自分で手にすると、盗ろうとしたとか、そんなふうに見られちゃう可能性もあるから」
 もうしないでね、という気持ち。それがこれで伝わるだろうか。
 女子は何も言わない。やはり下を見る。僕の顔よりもさらに下。真下。自分の靴のあたりを見ている。かなり汚れた白い運動靴だ。ほとんど灰色と言ってもいい白。
 自分が小学生のころに履いていた上履きを思いだす。あれもこんな色だった。ずっと洗わないと、そうなるのだ。
 と、そんなことを思いだしたのは、女子の臭いのせいでもある。
 こうして近づく前から気づいていた。僕の数メートル前を横切ったときに気づいたのだ。
 女子の臭い。服や体の、臭い。
 着ている長袖のシャツも長く洗っていないのだと思う。何週間も、下手をすれば何ヵ月も洗っていないだろう。よく見れば、ぽつぽつと小さな染みがいくつも付いている。今洗っても、落ちないかもしれない。
 度を越して長く洗濯をしなかったり入浴をしなかったりすることで服や体に染みついてしまう、臭い。独特の酸っぱさを感じさせる、臭い。僕も知っている。かつては自分も放っていたから。
 自分が臭い、というのは強烈だ。
 これはもう理屈ではない。人は臭い人を好きになれない。自分が臭いなら、その自分を好きではいられなくなる。自尊心を持てなくなる。他人に指摘されても、否定のしようがない。自分で臭いと思っているのに臭くないとは言えない。受け入れるしかない。
 この女子が何故そうなっているのかはわからない。親のネグレクト、とは言いきれない。ただ貧しいだけかもしれない。どちらとも言えない。僕が言うことでもない。
 本当なら、僕は粛々と警備員の仕事を遂行するべきだった。女子がゲームセンターから出るのを待って、捕捉。警備室に連れていき、警察に通報。事情を説明して警官に引き渡し、お役御免。報告書を書いて、終了。
 それなのに僕は、こうしてしまった。報告書を書くのが面倒だったから。そうとられてもおかしくない。豊島達栄隊長ならともかく、中浦邦克副隊長なら喜んでそうとるだろう。
 制服での保安警備は、私服でのそれとはちがう。目的は万引犯や置引犯の捕捉ではなく、予防。あくまでも、予防。だから、いい。僕は予防したのだ。被害を未然に防いだのだ。だからこれでいい。と、苦しい言い訳を自分にする。
 そして女子には言う。
「もう暗くなるから、おうちに帰ったほうがいいね」