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 会話が途切れたので、アルバムを出してみた。「これ、剛史さんの子供の頃のアルバムです、見ますか」
 及川がアルバムを開こうとするのを遮って、境は「やめておくわ」と笑う。
「たっくんにお父さんがいたっていうこと自体、えっ、お父さんいたんだ! ってちょっとビックリした。お父さん、いたんだね……何かこう、たっくんは光の中から突然、出現した気がするの、今も」なんて言いだすから、もうこうなったら教祖と信者のようだ。
「今のV系……ヴィジュアル系バンドね、今の子たちはファンサービスもすごいし、お金を出せば一緒にチェキを撮ってくれたりするバンドもいて、どこか日常と地続きなのね。でも当時のフロム・ルルイエは違ってて、闇が支配する異世界から、地上に降り立った四人っていう世界観を前面にうち出したバンドだった。打ち上げとか行ったら、他メンバーなんかは生身の人間としての地の部分が出るんだけど、たっくんは違う。完璧だった。なんて言うかな、本当に生身の人間らしくないというか。私はその天使に仕えることが許された、唯一の人間だったと今でも自負してる」
 天使なんて、そんなことないぞ、このアルバムを見ろ、剣道で負けて父ちゃんに叱られて泣いてたんだからな、と言ってやりたかったが、人様の夢を壊さないよう、黙っておく。
「それでは、剛史さんが音楽活動をしていたのはいつからいつまでか、わかりますか」
 ええと……と境は記憶を辿りながら教えてくれた。その情報を基に計算してみると、高校を卒業してからすぐに実家を飛び出して上京、アルバイトもしながらライブハウスで活動をはじめて、十八歳から、二十八歳まではバンドで活動していたようだ。十年か……。
「バンドは解散ですか」
「そうなの。人気はあったけどね。やめる二年前くらいから、メンバーもガタガタになってた」
「それは音楽性の違いとかで?」
「なんにでも引き際ってあると思うの。旅には終わりが来るものよ、誰でも。たっくんが組んでいたメンバーが、ちょっと年齢が上だったこともあってね。たっくん自体は、一生涯、音楽で暮らしていくことを望んでいたみたい。そうはいってもね、なかなか難しいでしょう、この世界。実力だけなら、たっくんは飛び抜けていた。でも、それでうまくいくかどうかは、誰にもわからないのが、怖いところなのよね……」 
 そうなのだ。うまくいくかどうかはわからない。及川もその気持ちは痛いほどわかった。
 バンドに限らず、まあ芸人もそうなのだけれど、売れる・売れないの差というのは何なんだろう、と思う。そつなくまとまっているけどなぜか売れない、実力はあるのになぜか人気が跳ねない。かと思えば、自分よりどう見ても実力のない、勢いだけの奴がどんどん売れていったりする。
 今思えば、学校の勉強なんていうのは、努力すればある程度は成績を上げることができる。努力したら、逆にがくんと成績が下がったということは、まずない。でも、こういった才能がものをいう世界では、努力したら結果が必ず出るとは限らない。努力すればするほど成功するなら、とうの昔に俺はお笑いで天下を取っていたと及川は思う。
 神さまは残酷だ。最初から与える気がないなら、どうして中学の文化祭のあの日に、あれだけ体育館を沸かせたのだろう。
 きっと剛史も同じように十年を過ごし、そこで力尽きていったのだろう。
 真のスターは、そんな隅っこで弾ける花火たちを背景にして、夜空にドカンと大きく花開くのだ。あの花火綺麗だったねと言うとき、人は隅っこで弾けた花火のことなんか誰も覚えていない。
 なんにでも辞めどきというものはある。剛史はそれが十年でやってきた。
 なあ剛史、あんたの十年はどうだった、と訊いてみたかった。
「でもね。たっくんは、だんだん病んでいくように見えた。ささいなことで怒ったり、朝起きられなくなったり、ふさぎこんだり。あと、今から話すことは、誰にも言わないでもらえると、ありがたいんだけど――」と、境はこちらをじっと見つめる。
「秘密は守ります」と言った。
 境は声を潜める。
「バンド活動をやめるあたりから、たっくんはだんだん様子がおかしくなったの。家から出て行くときにね、たっくんがゴミ収集所に小さなゴミ袋を捨てているのを、たまたまマンションの窓から見てたのね。何か変だなと思った。たっくんはゴミ出しなんて一切やらないから。なんとなくね、あのゴミは私に見られたくないものなんだなってわかった。でも気になるじゃない、何捨てたんだろって」
「ええまあ」
「だから行って、中身を開けたの。そしたらね。……中は飲んだ後の錠剤シートのゴミだらけでね」
 隠さなくてはいけない薬だとしたら、それが何かは大体想像がつく。
「それ、どうしたんですか」
「あわててそのまま捨てた。私も開ける前から嫌な予感がしてたから、外側の袋だけしか触らなかった。最悪、何かあったとしても、中のパッケージには私の指紋が残らないように」
「何か剛史さんに言いましたか、そのことについて」
「いいえ。言う前に、たっくんはふらりといなくなったから。そのいなくなりかたも、なんだか今までの日常が夢だったように思えるくらい、スッ……と消えたの。元からそんなに荷物もなかったから、日常からたっくんの要素だけが、透明になった感じ」
「そうですか……それなら、今の行き先はわからないでしょうね」
「元メンバーなら、何か手がかりを知っているかもしれないから、話を通しておいてあげる」と言い、どこかに電話をかけ始めた。
 境が事情を話す声を聞きながら、内心、こりゃ、なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ……と及川は思っていた。
 もしかして尾崎の爺さん、息子がこうなってるとは知らないまま死んでいった方が、まだ幸せだったのかもしれないな、と。