さっきから及川基樹おいかわもときは、仰向けに寝転んで脚を上げた体勢のまま、スマートフォンで今月分のカードの請求を見ていた。請求額が、いくら何でも多すぎる。これはカードの不正利用に違いないと考え、及川は一行一行、請求の詳細を調べていく。なんと、使っていたのは二か月前の自分だった。購入したものは全部売り物だとはいえ、仕入れにはそれなりの金がかかるのが、この転売稼業の辛いところだ。
 狭いワンルームの部屋は、もはや日すら差さない。部屋の奥半分には段ボールがみっしりと天井まで積み上がっている。真ん中に、カニ歩きのように歩いて移動できる通路がある以外は、背の高いラックにアニメグッズ・同人誌・ゲーム機・限定商品のプラモデル等々の雑多な品物がぎっしりと積んである。雪が積もったら音を吸収するらしいが、こういった物も音を吸収するのだろうか、耳が痛くなりそうなほどの静けさだった。
 ここは単身者用ワンルームマンションの三階で、上下左右の部屋とも仕事に出て行ったあと、このマンションに残っているのは、この部屋の主である及川くらいだった。この部屋は、三十六歳にしてようやく手に入れた、俺の城だと及川は思う。毎朝つまらなそうな顔で会社に行って、昼は頷きマシーンと化して、夕方からは残業で、夜遅くに疲れた顔で帰ってくる奴らと俺は、根本から違う。人間の格が違う。なにせビジネスの荒波をサーフィンみたいに乗りこなす、俺は最高経営責任者(CEO)。この部屋のものはすべて商品で、富を産み出す無限装置だ。
 とはいえ、商品が多すぎて、もはや布団を敷くスペースすらなく、及川が寝ているのは玄関だった。玄関に半分に折った布団を敷いて、対角線のように斜めになって眠る。くつろぐのもその半分の布団の上だった。くつろぎタイムには脚を上げて、血の巡りを良くすることも忘れない。
 安く仕入れて高く値段をつり上げて売る。その繰り返しで富を雪だるまみたいに大きくしていく。よく売れる商品などは、同じものが二十も三十もあったりするのだが、及川自体は、そんなものにはなんの思い入れもないばかりか、少しの興味すらもなかった。興味があるのは品物の相場だけだ。
 相場を読むのはりようと似ている。例えば、人気が出そうなおもちゃなどがあると、規則がゆるそうで、店員も気の弱そうな店を、あらかじめ猟場として目星を付けておいて、いち早く行ってすべて買い占め、子供が後ろの列で泣いていようと悠々と帰る。遅かったな坊や、次は俺より早く来るんだな、などと思いながら。ちらちら戦利品を見せつけたりして、親に睨まれるがへっちゃらだ。これはビジネスだ。ビジネスとは非情なものなのだ。何かと悪く言われがちな転売稼業だが、知略戦を勝ち抜いた者のみが利益を得られる高度な仕事だ。それがわからない輩は、黙って満員電車で押し寿司になっているがいい。
 しかし、ここ数か月は高額の電子機器を仕入れていたせいで、貯金がどんどんと減っていた。商品はすぐ現金に換えられるわけではないので、当面の金策が苦しい。相場はまだまだ上がりそうなので、今ある商品はなるべく手放したくない。なんのしがらみもない金よ、俺の所へ急に湧いて出でよ、すぐ出でよ、と及川は願う。痛いのとか根性がいるものはなしで。例えば道で助けた外国人がアラブの大富豪で、お礼に油田をもらったり……いや、もっと現実的に行こう。道で助けたおばあさんが銀座ぎんざに土地を持つ大地主で、お礼に土地をもらったり。そんなことをつらつら考えていると、突然ピンポンと間抜けな音が鳴った。誰かが来たらしい。
 いつも使っている通販サイトでは、配送はマンションの宅配ボックスを使っているので、呼び鈴は鳴らない。勧誘は、このマンションは昼には誰もいないことがよく知られているため、めったに来ない。となると、それ以外の宅配となるのだろうが、何も思い当たらない。及川は四年前、チケットに利益を乗せて売りさばくといったケチな詐欺罪で捕まったことがあり、実刑こそまぬがれたものの、それ以来、親からは勘当されている。これまでも折り合いが悪かったが、「逮捕」というのは、世間体を気にする田舎の両親には相当こたえたようだった。
 あのとき、ぶん殴りにくる親父の拳が昔よりも衰えていて、それを必死に止めるおふくろの髪もつむじの所から真っ白になっていて、へえ、知らねえうちにずいぶんとまあ、じじいとばばあになったもんだなと他人事のように思ったのをよく覚えている。「離せっ!」「お父さんやめて!」って、なんだかコントみたいだな、と思って、“ショートコント・勘当される息子”などと頭の中に浮かんできたらもうダメで、こんな人生の修羅場の真っ最中なのに、ちょっと笑ってしまった。それを見ておふくろは情けなさのために泣き崩れ、親父は激昂して革靴を投げつけながら「出ていけ!」と怒鳴った。それきり家に帰っていないし、連絡も取っていない。
 親戚にも縁を切られて天涯孤独、ついでにマルチの勧誘もしまくったために友人も全員消えた。当然ながら、付き合っていた女も逃げていった。だからなんの連絡もなく、荷物を送ってくるような人間に心当たりはない。
 インターフォンのモニターは、商品に埋もれていて何も見えないので、及川は、よいしょと身を起こして、様子を窺うべく、片目分、ドアを開けた。
 帽子をかぶった女と目が合う。
 及川はそう背が低い方ではなかったが、それよりちょっとだけ低いくらいなので、女としてはかなりデカいのだろう。
 段ボールの荷物を抱えているところを見ると、運送業者なのだろうが、ロゴマークは見たこともない柄だった。灰色の制服の胸のところに、白い羽根のマーク。名札には七星ななほしとある。ショートカットの女だ。この人、ぜったい走るの速そうだよな、とちょっと思った。だから宅配業者なのか? 全体の雰囲気が、サバンナでチーターから走って逃げる鹿っぽい動物に似ている。
 その七星という女はハキハキ、「すみません、こちら、及川基樹さんのお宅でしょうか」と訊いてくる。
「“天国宅配便”です。お荷物のお届けに参りました」
 仕入れのため宅配便は頻繁に使うが、初めて聞く宅配会社の名だった。何を頼んだっけ、と思う。アイドルのグッズか? それともアニメの限定品か? 
「えーと。俺、何か頼んだっけ。品名、何になってる?」
「いえいえ。わたくしども天国宅配便は、ご依頼人の遺品を、しかるべき方のところへお渡しするという仕事をしております」
 遺品と聞いて、勘当された両親のことを思い出す。父親には持病があったので、もしや、この荷物は親父からか、と思ったが、このマンションの住所は誰にも知られていない上に、親父には「お前なんぞ、生まれたときから間違いだった」とまで言われて家を出てきたのだから、こんなふうに荷物を送ってくるのはありえないことだった。ネットなどにも疎そうな両親だ、あんな田舎から今の住所を辿れるはずがない。まあ、「生まれたときから間違いだった」などと言われても、製造責任は俺にはねえよ、と思っていたし、今でもそう思っている。
「こちら、尾崎一義おざきかずよしさまからのお荷物です」
「尾崎、一義? 尾崎って誰? 俺宛? 間違いない?」
 親戚にも、尾崎なんていう名は心当たりがない。
「ええ。こちらに」と段ボール箱の上の伝票を見せてくる。たしかに宛先は自分の名があり、送り主のところには、尾崎一義と書いてある。
 太い万年筆を握り締めて、まっすぐに正座し、書道みたいに気合いを入れて書いているのだろうと思えるようなこの文字。一瞬、そういうフォントがあるのかと見まがうばかりに綺麗に整っている。このカクカクした筆跡には見覚えがあった。たかが伝票の文字であっても、きちんとはらう、はねる、止めるを律儀に、文字同士のすこしのズレも許さず、ちょっとでもズレたら一から書き直すみたいな、ある種の頑固さを感じさせる文字だ。
 やっと思い出した。あの爺さんだ。カメラ好きの。