最初から読む

 

――及川さんは、ここまでお読みになって、どうして実の息子にカメラを譲らないのかと不思議に思っていることでしょう。お恥ずかしながら、息子とは連絡が取れなくなって、もう十年が経とうとしております。ほうぼう捜しましたが、行方もわからず……。

 私のカメラは、もし息子が連絡をくれたなら、そのときに譲ろうと思って、全部、手入れをしていたものです。及川さんとやりとりするようになってから、なんだか及川さんが、自分の息子のように思えてなりませんでした。もし息子ならば、カメラの話をいろいろしたかった。思い出を話し合いたかった。これはお父さんがみんなあげるから、いろいろ撮ってごらんと言いたかった。
 息子のやりたいことに厳しく反対し、否定し続けたのは、今では間違いだったと思います。お前がどんな道を選ぼうとも、父さんは父さんだと、ひと言でも伝えられたらよかった。けれど、時間は戻らないものですね。
 最後まで、手元に残していたのがこのライカです。息子は帰ってきませんでした。もうそろそろ、私の時間も尽きてきたようです。
 死後に、どこの誰かもわからない人間の手に渡るくらいなら、及川さんならば、このカメラを愛して、使い続けてくれるだろうと思ったのです。
 あと、どうしても自分の手で処分しきれなかったアルバムがあります。知らない人間のアルバムなど、手元にあっても仕方ないでしょうから、これはレンズやカメラの作例としてご覧になって、ご自由に処分してくださって結構です。
 勝手に色々と送りつけましてすみません。及川様が、このカメラを末永く愛用してくださいますように。

 見れば、表紙の擦れた、古ぼけたアルバムが箱の底に入っていた。
 一ページ目をめくる。この赤ん坊が、どうやら生まれたばかりの剛史のようだ。おくるみに包まれて、こちらを眺めている。写真の脇には小さなメモがあって、年月日の他に、カメラとレンズ、使用フィルムなどの情報がこまかく書き込まれていた。よっぽど爺さんはカメラが好きだったんだな、と思う。
 その隣に、さっき手紙の中で出てきた、亡き母親らしき女の人が、赤ん坊の剛史を抱いて笑っている。手紙によると、剛史が三歳のときに亡くなったそうだから、それからはずっと父親と息子とで暮らしていたらしい。剛史の写真がたくさんあった。
 母親がいなくても、さびしい思いをさせないようにか、遊園地に連れて行ったり、動物園に連れて行ったり、いろいろなところへ剛史と出かけたようだった。側におばあさんがいつもいるのは、たぶん尾崎の母親で、剛史から見るとおばあちゃんだろうか。
 その丸っこい幼児の姿が、だんだん縦に伸びていく。子供の成長は早いなと思う。小学校入学、体育祭、文化発表会の劇、親子遠足、いろんな思い出がそこにあった。しばらくしておばあちゃんの写真が消え、あとは剛史の写真ばかりになった。
 高学年に入ったら剣道をやりはじめたらしく、剣道の試合の写真などもある。中学に入ったら、ギターも始めたらしい。元から可愛らしい顔立ちだったが、中学以降は塩味が足されたような、目元の涼しい感じになっていて、ふうん、なかなかの美形じゃないか、と及川は思う。
 最後の写真は、部屋でギターを弾いている剛史の写真だった。高校生くらいだろうか。愁いを帯びた目が大人っぽく、このままポスターにしてもいいくらい、雰囲気があった。
 アルバムは、それでおしまいだった。

 そうか。爺さん、病床で、最後の最後までこのカメラとアルバムを……と、ほんの一瞬だけ及川はしんみりしたが、同時に、ビジネスチャンス到来! とも思ったのだった。
 計画はこうだ。まずこのレアなカメラとほとんど同型のものを準備する。これで俺の手元には、爺さんの遺品の高価なカメラと、よく似たカメラの二台があることになる。よほどの目利きでないと、どちらが高価なのかはわからない。家出するくらいの息子だ、父親のカメラになんて関心があるはずがない。剛史に渡すのは、もちろん爺さんの遺品とは別の、よく似たカメラの方だ。
 そして、剛史には、本物とすり替えたカメラを渡すときに、“実は尾崎さんに金を貸していて、まだ残額をもらっていない、だからこのカメラを代わりにくれたんだと思う”と、控えめに告げる。剛史には、父親の借金の残額を払ってもらって、捜索にかかった経費も一緒に請求しよう。これでいくらか巻き上げられるだろう。でも、これで終わりじゃない。
 この剛史捜しは動画で配信する。「遺品のカメラと旅をする ―Lost Takeshi―」――そのカメラは、突然やってきた、五月の風と共に。監督俺・主演俺・脚本俺で、今からもうバズりの予感がする。全米も泣く。何万再生とかいったら、いきなり収入もえげつないことになるだろう。
 すべて終わった後、カメラの相場が上がりきったところで、満を持して、爺さんの遺品のカメラを売り飛ばせばいい。この話、三重にも四重にも金儲けの匂いがする。
 俺天才! と思い、及川は転売を少し休んで、剛史捜しをすることにした。

 アルバムの写真をよく観察して、剛史の手がかりとなりそうな情報を知っている人を捜す。虫眼鏡を買ってきて、写真の隅々まで拡大して調べた。電柱の表示、車のナンバー、会社の看板、だいぶ地域は絞れてきた。
 よく見れば、剣道は中学の部活でもやっていたようだが、同時に、町の剣道教室でも習っていたようだ。大会のときの写真で、所属している剣道教室の名前がわかった。この剣道教室で、剛史と今も仲の良い人間がいないかどうか、まず最初に探ってみることにした。剣道教室の名前をネットで検索してみると、まだその教室は存在するようだった。電話番号もわかった。電話では怪しまれるだろうから、証拠にアルバムとカメラを携えて、直接出かけていくことにした。
 及川は荷物の間をごそごそ進んで、普段着のスウェットから、ちょっと小綺麗なチノパンにポロシャツを合わせた。髪を綺麗にとかす。普段は転売用の商品の仕入れに行くくらいでほとんど家にいるが、外に出ると知らないうちに季節が変わっていて、桜なんてもう影も形もない。他の人間はもう季節になじんでおり、道端に立ち止まり、空なんて眩しそうに眺めているのは自分だけだった。
 そうか、部屋でオークションサイトやフリマサイトを一日中眺めているうちに、いつの間にか一か月も経っていたんだな、と思うと、なんだか時の流れが速すぎるように思えた。
 隣の県の端のほうまで、普通電車を乗り継いで四時間。ここが剛史の住んでいた町か、と思う。駅前にはファーストフード、パチンコ屋、定食屋、コンビニ。こじゃれたカフェとか雑貨屋とかそういうのとは無縁な感じの、古くはないが個性もない、低予算アニメの背景みたいな町だ。この何もなさが、なんだか自分の住んでいた町と雰囲気がよく似ている。
 剣道教室の所在地は今も変わっていないようだった。アルバムを出して確かめるが、外観も似ている。
 とりあえず、動画を配信するために、剣道教室の外観を撮る。――ハイッ、“探しびと・オイッチの、剛史を探せ!” やってきましたはるばる四時間、今日はまず、剛史さんの通っていたとされる、剣道教室から――などと吹き込もうかと思っていたが、まあ、この捜索がどうなるかはわからないので、ナレーションは後で入れたらいいかと思い直した。カメラを小型のペン型のものに替えて、胸ポケットに仕込んだ。潜入ドキュメンタリーみたいだなと思う。とりあえず全部録って、あとで関係者の了解を取って、モザイクをかけるなり音声を変えたりすればいい。
 剣道教室は、教室が開くまではまだ時間があるようで、何の物音も聞こえない。でも中に人の気配があるようなので、声を掛けてみる。
「すみません」
 及川が言うと、「はい」と笑みを浮かべながら、男が出てきた。一見枯れて、もう老人と言っていいような年なのに、妙に迫力がある。ふざけたらただじゃすまなそうな雰囲気は、昔、捕まったときの警察官たちを思わせる。
 年がら年中ふざけて生きてきた自分にしてみれば、ひと言で片付けると、苦手なタイプだ。動画配信のために、今、この胸のカメラで録画してるんですが、いいですかと訊くやいなや、この眼光がもっと鋭くなることを思うと、撮影のことは黙っておこうと決めた。