「ねえ、キャベツは確かに付け合わせにすぎないけど、添えればいいってもんじゃないんだよ? 他の盛り付けだってそうだよ。お兄ちゃんには、その日ある材料を適当に盛り付けただけにしか見えないかもしれないけど、違うんだからね! メニューも、付け合わせの内容も形も、盛り付け方やお皿の柄だって、全部全部、お父さんやお母さんが、悩み抜いて決めてきたものなの! これが、『てしをや』の定食なんだよ! わかってる!?」
親父と母さんが悩み抜いて決めてきたもの。「てしをや」の定食。
それが、ここ最近の志穂の口癖だ。
おそらく、志穂のやつも、自分を相当追い詰めてかかっているんだろう。それはわかっている。
でも、俺だって、疲れてもいたし、くさくさもしていた。
二十五歳。そりゃ社会に出はしたけれど、世間を見回せばひよっ子の部類だ。
それがある日両親を失って、自分の意思とはいえ職を変え、モニターに向き合っていたのをまな板に向き合うようになり。慣れない立ち仕事で足はパンパン。妹には、得意でない愛想笑いを日々強要され、罵られて。
「……別に、いいだろ」
まあ、そういった発言が出てしまっても、仕方なかったのではないかと、俺としては自分を擁護せざるをえない。
「は?」
「定食屋のさ、肉や魚ならまだしも、キャベツの切り方に誰が期待してるってんだよ。ちぎってありゃ、それで十分じゃねえか。ある日キャベツの千切りが一口サイズにリニューアルされたところで、誰も死にやしねえし、売上だって減らねえよ」
論理的に、どこにも問題のない主張のはずだ。
しかし、俺が油の飛んだスニーカーを睨み付けながら言い捨てた途端、志穂のやつは、
「──……この、馬鹿……!」
ポニーテールにした髪を振りかざしたかと思いきや、
「千切りもできないニートめ!」
脱いだエプロンを、いっそ惚れ惚れするようなフォームで投げつけてきたのだ。
「うお!」
「馬鹿兄貴! 避けるな!」
「いや、おまえが投げんな!」
あげく、キャッチしそこねた俺を罵る暴虐ぶりだ。ちなみに、俺という標的を見失ったエプロンは、スパン! と爽快な音を立てて床に着地した。志穂よ、おまえは決闘を申し込む騎士か何かか。
「馬鹿! もうほんと馬鹿! お兄ちゃんなんて大っ嫌い! 千切りの仕方も料理屋の心も、なんなら女心もわからないままに、生涯を一人寂しく閉じてしまえこの馬鹿!」
「さりげなく彼女と別れたばっかなこと抉ってくんじゃねえよこの貧乳!」
「貧してない!」
まあ、そこからは、幼少時を彷彿とさせる兄妹喧嘩だ。
とはいえ、女という恐ろしい属性を持つ妹に、口で敵うはずもなく。
俺は「出掛ける!」と吐き捨てて、「てしをや」の厨房を後にし、妹と住みはじめた実家に帰るのも、煌々と明るい中央通りに出るのも、なんとなく気が引けた結果、帰路の途中にあった神社に、ふらりと立ち寄ってみたと、そういうわけである。
「あー……ある日いきなり、料理が得意になったりしねえかなあ……」
両腕を組み、無人の御堂を眺めながら、俺はなんとはなしに呟いた。
志穂にはいろいろ言い返したが、まあ、根っこには「料理が苦手だ」とか「なるべくなら包丁に触りたくない」といった意識があったのは事実だ。そして、そういった態度が、料理すなわち両親であると思い込んでいる妹の癇に障るのも、きっと事実なのだろう。
「プログラミング覚えるのにだって三年掛かったのにさ、いきなり畑違いのスキルが身に付くかってんだよなあ」
言葉は、声に出すとともに、白い息になって消えていく。
なんとなく寂しくなって、俺は賽銭箱に紐を垂らしている真鍮の鈴を、ゆらゆらと揺すってみた。
がろん、がろん、と、低く眠そうな音が辺りに響く。
「神様ー、なんかうまい手はありませんかねえ」
とうとう神頼みだ。
賽銭もないのに、ねだるだけなのはアレかなと思い、ちょっぴり釈明もしてみることにする。
「俺だってね、料理本とか読んでみたんですよ。でももう、材料が十個以上ある料理とか、材料欄見るだけで頭が痛くなってきて。だいたい、『適量』とか『少々』とかあるのを見ると、結局は勘の問題かよ、って突っ込みたくなりません? かといって、きっちり計ってると、妹にとろいってどやされるし……」
いかん、これではただの愚痴だ。
がろん、がろん。
俺は、なるべく建設的であろうと、神様に提案してみることにした。
「なんか、とにかく実践を求めてくるじゃないですか、料理って。やれ、勘とか、加減とか、経験とか。テキスト読んでもだめなんすよ。だからそういう……料理のコツみたいのを、体感的に学べる方法ってのは、ないもんですかねえ?」
体感的。
そう言いながら、俺はそうだよと膝を叩きたくなる思いだった。
これがプログラミングの世界なら、後輩がバグったとき、モニターの操作権限を乗っ取ってソースを書き替えてやれる。マニュアルなんかを読ませるよりも、実際に画面を変遷させて、操作を見せたほうが、圧倒的に早くスキルが身に付くのだ。どうして料理ではそうはいかないのか。
「こっちの業界にも、そういう親切なシステムがあったっていいじゃないですか。うん、いいと思うな。もっとこう、付きっきりで指導してくれる優しい先輩がいて、こっちがテンパったときは代わりに作業してくれて……」
できればその先輩は巨乳の美女で、でもって俺に気があって。
そこまで言いかけたが、残念ながら、その願望は、声になる前に喉の奥で消えた。
神様相手に不謹慎だと、自らを制したからではない。
──あい承知した。
不意に、鈴の向こう──神社の御堂の中から、うわんと不思議な響きを帯びた声が、聞こえたからである。
「……は?」
思わず、俺がそう呟いてしまったのは無理からぬことだろう。
しかし、「いったい……?」だとかの言葉を紡ぎおおせるよりも早く、
──カッ……!
「うわ!」
今度は、御堂から鋭い閃光が炸裂するではないか。俺は目を庇うように腕を上げたまま、どしんと尻餅をついた。