ひと仕事終えた太輝は、和馬とふたりだけになった店内で、「和馬さん、ちょっと質問していいですか?」と声をかけた。
ん? と振り向いた相手に、ずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「前に、風変わりな女の子とすれ違ったんです。黒いフードで顔を隠して、シルクハットの花束を抱えてて、髪が腰くらいまである子。心当たりありますか?」
「ああ、きっとミカちゃんだよ。天原巫香ちゃん。渓谷沿いのマンションに住んでる子。天原家には毎週シルクハットを届けてるから」
「天原巫香……。どっかで聞いたような名前ですね」
「元子役で有名だったからじゃないかな。昔はドラマとかに出てて天才子役とか言われてたけど、なぜか引退しちゃったんだよね。今は十七歳になったのかな。普段は家に引きこもってるから、滅多に会えたりしないんだけどね」
「引きこもってる? どこか悪いんですか?」
「そういうわけじゃないと思うんだけど……。気になる?」
じっと和馬に見つめられて、小さく頷いてしまった。
「そりゃ気になるよね、元芸能人なんだし。あの子の家はうちの配達先だから、太輝くんにも話しておこっか」
彼は我が意を得たりとばかりに瞳を煌めかせて、カウンターに近寄ってきた。
「天原家には週に一回、五本だけシルクハットを配達してるんだ。オレが高二でバイトに入る前からだから、もう四年以上も届けてるかな。凪さんがいた頃から」
「凪さん?」
「ああ、巫香ちゃんのお母さん。めっちゃエロい人でさー。まさに美熟女。オレ、結構可愛がってもらってたんだけど、二年くらい前に失踪しちゃったんだよね」
「失踪?」
穏やかではない単語が飛び出したので、動揺してしまった。
「凪さん、奔放な人で放浪癖があってさ。そのうち帰ってくると思うんだけど、巫香ちゃんは凪さんがいなくなった頃から引きこもっちゃったんだ。オレが花を届けても、顔を見せなくなっちゃった」
「もしかしてその子、独りで暮らしてるんですか?」
「平日の昼間だけハウスキーパーさんが来てる。巫香ちゃんの元マネージャーだった、八坂鈴女さんって人。この店にもたまに寄ってくれるよ。鈴女さん、陸さんの花占いを気に入ってくれてさー」
事情通の和馬が、話をどんどん広げていく。本題に戻してもらおう。
「あの、お母さんがいなくなったから、巫香さんは引きこもったんですか?」
「どうなんだろう? そこら辺の事情はよくわかんないんだけど、あの子、中学の頃から魔女って呼ばれてたみたいで、高校進学はしなかったんだって」
「魔女……?」
初めて彼女と会った日も、子どもが「魔女」と指差していた。
「そう、可愛い子なのにね。シルクハットを抱えてた理由は知らないけど、巫香ちゃんの魔女についてならちょっとだけ知ってる。ご近所の常連さんたちから聞いた、噂レベルだけどね」
おしゃべりに興が乗った和馬は、さらに詳しく巫香の噂話を始めた。
「あの子、中学校でいじめられてたみたいなんだ。学校の裏サイトに名無しさんたちがいろいろ書いてたらしいよ。元人気子役だったから、やっかみもあったんだろうな。枕営業で仕事をもらってたとか、シングルマザーだった母親が実は売春婦だったとかさ。本人も客を取ってるとか、あることないこと書き込まれてたんだって」
酷すぎる中傷を、和馬がさらりと口にする。
「最低ですね」
静かにつぶやいた太輝だが、内心は胸糞の悪さでムカついていた。
物陰から他者を攻撃する匿名者への怒り。それを軽々しく語る和馬への微かな嫌悪感。何よりも、和馬の噂話を興味深く聞いている自分自身に腹が立つ。
「だよねえ。あと、近寄ると不幸になるらしい。オレにはよくわかんないし偶然だと思うけど、周囲に自殺者や早死にした人が多いみたいで……」
自殺者? 早死にした人だと?
和馬の不穏な言葉に、胸が激しくざわめく。
しかも、彼女が暮らすマンションの部屋は、南側の窓が板で塞がれているという。
「南の窓を塞ぐなんて気味が悪いでしょ? それも凪さんがいなくなってからなんだよね。オレも巫香ちゃんが気になるんだけど、外野には何もできないから」
心配そうに言った和馬だが、すぐ笑顔になって重い空気を変えた。
「あー、早く帰ってこないかなあ、凪さん。あの人も昔、グラビアモデルやってたんだよね。巫香ちゃんが小さくて固いポンポン咲きなら、凪さんは成熟しきったフォーマル・デコラ咲き。また会いたいなあ……。あ、いらっしゃいませ!」
男女の客が入ってきたので、話はそこで終わった。
天原巫香の話が気になったので、休憩中にスマートフォンで検索してみた。
三歳でCMモデルデビュー。六歳でドラマ初出演。自然な泣きの演技で注目され、十歳で映画祭の最優秀助演女優賞を受賞。将来を嘱望される存在だったが、学業に専念するために十一歳で芸能界を引退。現在は十七歳。
経歴と共に載っていた十歳の頃の写真は、大きな瞳の愛くるしい笑顔と、ノースリーブのミニワンピースから伸びる華奢な手足が印象的だった。黒ずくめで白い花束と金魚の死骸を抱え、『かなりや』の歌を口ずさんでいた「魔女」とは別人のようだ。
母親が失踪し、南側の窓を塞いで引きこもった元人気子役。
一体、彼女に何が起きたのだろうか……。
その巫香と再会したのは、青と白の紫陽花が、可憐な花を開き始めた頃だった。
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