「そろそろ水替えしよっか。半分ずつやろう」
「わかりました」
 和馬の指示に従って、どっしりとしたスチール製の花瓶をショーケースから取り出す。その花瓶をカウンターの裏に設置されたシンクへと運ぶ。
「ねえ、タメ口でいいよ。オレら同い年だし」
「いえ、歳は同じでも先輩なので」
「太輝くん、真面目だなあ」と、シンクの横で和馬がつぶやく。
 実は、同い年だろうが年下だろうが、誰とでも敬語で話すようにしていた。普通に話すと東北訛りが出てしまうかもしれないからだ。敬語とは、訛りを誤魔化すために最適な話し方だと思っている。
 とはいえ、福島出身を恥じているのではない。むしろ誇りたいくらいなのだが、東日本大震災以降、心配される機会が異常に増えていた。「福島? 大変だったね」「実家は大丈夫だった?」などと言われ続けているうちに、答えるのが苦痛になってしまったのだ。そのため今は、なるべく出身地を言わないようにしている。
 それに、敬語で謙虚に接していると相手に優越感を与え、警戒心を解いて本音を話してもらえる場合が多いのだと、社会人生活の中で学習もしていた。
 つまり自分は、常に素顔を隠して他者と接する、”嘘つき”なのだ。
「──でもオレ、太輝くんみたいな真面目くん、嫌いじゃないよ。むしろ好き」
「……え?」
「やだなー、好きに深い意味はないって。花が好きと一緒。オレ、女子のほうが断然好みだから」
 鼻歌でも歌い出しそうなほど軽やかに、和馬が次々と花瓶の水替えをしていく。隣の太輝も、まだぎこちないが同様に仕事をする。
 丁寧に花を取り出して花瓶を洗う。ぬめりが落ちた瓶に新鮮な水と栄養剤を入れる。くたびれて売れなくなった個体を取り除き、再び花々を瓶に挿す。その瞬間、「気持ちいい」と花にささやかれたような清々しさを覚える。
 豪華なイメージの”フォーマル・デコラティブ咲き”、まん丸で袋状の花弁がみっちり詰まった”ボール咲き”、ボール咲きの小型版で愛らしい”ポンポン咲き”など、十種類以上の咲き方があるダリア。色味も大半の色が品種改良で造られており、店内では色とりどりのダリアが三十品種以上も販売されている。
「なんかさ、ダリアの花ってエロいよねー。フォーマル・デコラは特にエロい。真ん中の花弁を触りたくなっちゃうよ」
 ニタリと和馬が卑猥に笑う。
「和馬、声がデカい。それに、太輝の前でエロいとか言うなよな。お前の女好きが移ったら困るから」
 オーナーの陸が苦笑している。
「んー、ちょっと違うかなあ。オレは女好きというより博愛主義者なんですよ」
「彼女に愛想尽かされないようにな」
「ういっす」
 愛玩犬のようにつぶらな瞳をクルクルと動かす和馬。見た目も言動も今どきのチャラ男だけど、意外なことに面倒見はすこぶるよい。
 太輝は和馬の口利きで、彼の母親が大家のコーポに引っ越しを済ませていた。清潔感のあるワンルームの一階角部屋。和馬も同じコーポの二階で、三歳年上の恋人と同棲をしている。いつもかっちりとしたスーツ姿の女性。小学校の教員をしているらしい。和馬とは対照的な、慎ましやかな雰囲気の人だった。
「太輝、だいぶ仕事に慣れてきたみたいだな」
 深紅やピンクのダリアでアレンジメントを作っていた陸が、気さくに話しかけてくる。急いで水替えをしながら、「接客以外はどうにかなりそうです」と答えた。
 ダリア専門店の仕事は、確かに肉体労働が多かった。
 週に二回ほど、早朝にダリア農家から商品が届く。段ボールに入った花たちは重さもそれなりにある。それをトラックから台車に積んでバックヤードに運び、備え付けの大きなシンクに浸す。余計な葉や蕾を手で取り除き、水中で茎の下をカットして水揚げをする。しばらく置いて水を吸い込んだ花を水切りし、種別ごとに花瓶に生けていく。店頭に出さない花は、適温に保たれた冷蔵室に保管する。
 開店前に掃除を済ませて、ショーケースに花瓶を並べ、店を開けたら接客をする。和馬は店のアルミバンにダリアを積み、顧客の元へ配達をすることも多い。オーナーの陸は事務作業とアレンジメントを作るのが主な仕事だが、一見の客が来るとカウンターに座らせてダリアの説明をしながら、じっくりと花を選んでもらう。
 そんな風に初対面の相手と対話をする行為が、太輝にとっては相当なハードルだった。接客業自体に慣れていないせいだろう。
「えー、接客が一番楽しいのに。あと、配達ね。ダリアを注文してくれる人って、どういうわけか美女が多いんだよね」
「和馬、無駄話はいいからこのアレンジメント飾って。俺は休憩してくる」
「ういっす」
 水替えを終えた和馬がセロファンで包まれたアレンジメントを受け取り、ガラス棚の一番上に飾る。
「君も美人さんだねえ。いい人にもらわれるといいね」
 花に話しかけるという行為も、太輝にはなかなかできない。どうしても気恥ずかしさを覚えてしまう。本当は思い切り話しかけてみたいのだが。