木々が生えていない五十坪(約百六十五平方メートル)ほどの開けた場所の中央に兄弟が陣取ると、討手方はバラバラとその周囲を取り囲んだ。
「お~ら、おらおら……最初に死にてェのは誰だら? 清次、おまんか?」
茂兵衛は槍先を向け、大将格の清次を睨みつけた。
「………」
清次が蒼い顔をして一歩後ずさる。明らかに、冷たく光る槍の穂先に怯えている。
ただ、本気で「殺す」つもりはない。清次に限らず、誰一人の命も奪うわけにはいかない。いくら五郎右衛門の庇護があると言っても、母と三人の妹はこれからもこの村で暮らしていくのだから。倉蔵の死だけなら、喧嘩のはずみで済んでも、槍と刀で抗争し、兄が村人を突き殺しては、今後母と妹たちは村に住めなくなるだろう。だから断じて殺せない。「殺すぞ」は脅し、陽動、ハッタリに過ぎない。
「死ぬか? 清次、死ぬ気か? 今死ぬか? お?」
と、そのハッタリでとことん追い詰める。
喧嘩は人数ではない──ま、「人数だけ」ではない。
数を頼み、俺の身は安全と油断している連中なら存外に脆く崩れる。要諦は恐怖心──寡兵の側は、まず相手の頭一人を徹底して攻撃、粉砕すべきだ。中心人物さえ倒せば、烏合の衆の力は雲散霧消する。この場でいえば、その対象は清次であろう。
「も、茂兵衛……槍は一本、おまんも一人だら。これだけの人数相手に勝てると思うなよ」
と、茂兵衛の槍に狙われている清次が、遠慮がちに凄んでみせた。
「ああ、勝つつもりなんかねェら。俺と弟は、この場で殴り殺される覚悟を今固めたァ。なあ、丑松……そうだな?」
「う、うん」
丑松にしては上出来だ。当意即妙に応じてくれた。
「でもよ。二人きりであの世に行くつもりもねェ。せめて四、五人は道づれにしてやる。この槍の錆にしてくれる。ブスリと串刺しだら。背中まで簡単に突き抜けるぞ、ほれ、ほれ」
これは決して大袈裟な表現ではない。槍で刺すと、ほとんど抵抗なく、まるで豆腐に串を打つように易々と貫通するものだ。勿論、人を刺した経験はないのだが、一度畑を荒らした猪を刺したことがあり、その時の感覚が、まさに豆腐であった──穂先は、逃げる猪の太い腹にスッと入り、向こう側のあばら骨にガチリと当たって止まった。
「清次、おまんが最初か? それとも、小吉が先に死ぬか?」
今度は穂先を小吉に向けた。大男が二歩後ずさった。
小吉は昨日の喧嘩で、茂兵衛の凶暴さを嫌というほど思い知らされているはずだ。多人数に慢心し、煽てられ、ノコノコついてきたのかも知れないが、気づけば自分が一番前に押し出されている。昨日は喧嘩の助太刀。今日は襲撃の先頭──よほど頭が悪いか、人が好いのだろう。
「やっぱ、おまんが先に死ね」
哀れな小吉に同情心が湧き、槍先の照準を清次に戻した。
「………」
清次がさらに後ずさる。
「おい丑……」
背中に引っ付いて離れない弟に、小声で囁いた。
「あ? なんだ?」
「道が開けたら突っ走れ。吉田の城まで後ろを見ずに駆けろ」
「う、うん」
「死ね~ッ」
と、小吉が鍬で打ちかかってきた。表情を見る限り「もうヤケクソ」という感じだ。
突き刺すことも、斬撃することもできたが、下手をすると殺してしまいかねない。槍を素早く旋回させ、柄の部分で小吉の出足をすくうことにした。
「わあ」
小吉は槍の柄で足をすくわれて横倒しとなり、顔から草叢に突っ込んだ。間髪を容れず、石突で小吉の腹の辺りを強かに突いた。
「ぐふッ」
腹を突かれた小吉の口から、なにやら赤黒い物体が飛び出した。薄暗い林内でのこと、それが血なのか、なにか胃の中にあった食い物なのかは分かりかねたが、討手の百姓たちを怯えさせる効果は十分で、一同は茂兵衛を遠巻きにするだけで、近づいてこなくなった。
「丑」
再度、背中の弟に小声で囁いた。
「ん?」
「吉田城の大手門の前で会おう。半刻(約一時間)待っても俺が来なかったら、その時ァ、一人で北西へ歩け……意地でも勝鬘寺に辿り着くんだ。ええな」
「や、でも兄ィ……」
「あ?」
「北西ってどっちだ?」
「う、丑松よ……」
一瞬眩暈に襲われたが、ここで弟の馬鹿さ加減に癇癪を起こしても仕方がない。
「夕日に向かって立て。右前が北西だ」
「う、うん。右前だな、わかった」
と、丑松が返したと同時に、茂兵衛は攻撃に打って出た。
石突のあたりを片手で握り、頭上で大きく振り回し、奇声を上げながら突っ込んだ。囲みは左右に割れ、その先には吉田城へと続く逃走路が、白く真っすぐに開けた。
「よし丑松、今だ」
「うん」
と、兄弟そろって駆けだした。頭上で菅笠がバタついて走り難かったが、贅沢は言っていられない。
森を出たところで茂兵衛一人が立ち止まり、追いかけてきた討手方に向き直った。ここで討手を引き受け、弟の逃走時間を稼ぐつもりだ。丑松は兄の傍らをすり抜け、街道に戻ると、茂兵衛から言われた通り、後ろも見ずに北東方向へむけ走り去った。吉田城は二里半(約十キロ)ほど先である。
「さて……ここから先には、行かせねェ」
茂兵衛は槍を構え、突き刺す動作を繰り返して討手側を牽制した。
「倉蔵の仇討ちだら!」
と、顔は見知っているが、名までは思い浮かばない小太りの男が、打刀を抜いて斬りかかってきた。
(こいつも刀か……この辺で一度、軽く血を見せておくのもいいだろう)
血を見せることで戦意を喪失してくれれば、むしろ誰も殺さずに済む。
「えいやッ」
小太りの男の脛に斬りつけた。長刀のように槍を振り回し、向う脛を笹刃の穂先で斬り裂いたのだ。
「ぎゃッ」
右足をザックリと斬られた小太りの男は、血の噴きだした脛をおさえてうずくまった。男の脛から噴き出る鮮血を見て、清次らの表情が一斉に硬直する。
(よし、これでいい)
相手方の戦意喪失を確信した茂兵衛は、身をひるがえし、槍を担ぐと、丑松の後を追って軽快に走り始めた。
はたして、討手たちが茂兵衛を追ってくることはなかった。
(この槍のお陰だら……おとう、俺ァ切り抜けたぜ)
清涼な秋空の下、街道を軽快に走りながら、肩に担いだ親父の槍をポンポンと二回叩いた。
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