喧嘩の相手は二人だというから、手頃な薪を武器として持ってきたのだ。ところが敵方も棒切れで武装しており、しかも人数は三人だ。だが、今さら引けない。ここで逃げれば、さらになめられる。
(ええい。やろまいか!)
もうヤケクソである。
弟の肩に片手を置き、反動をつけて繁みの中から飛び出した。薪を振り回し、奇声をあげて駆けだした。
畦道が交差し、わずかに広くなっている辻に、三人は身を寄せ、心細げに立っていた。半町も田圃の畦を走らねばならない。脚力には自信があったが、声を張り上げ続けると息がきれた。
「おらァ、なめとると、殺すぞ~」
走りながら怒声をあびせると、はたして三人の間に動揺が走った。茂兵衛が喧嘩無双であることを近隣で知らぬ者はいない。
一瞬、後ろの二人が逃げ腰となった。先頭に立ち、呆然としている大男目がけて突っ込んだ。
ブン!
息が切れたその分、手許が狂った。図体の大きな小吉の頭を狙い、全力で振り下ろした最初の一撃が空を切ったのだ。
(し、しまったァ)
一瞬、冷や汗が吹きだした。体勢を崩したところに、小吉が横に薙いだこん棒が飛んでくる。
反射的に首を引き、かろうじて避けたが、棒の先がわずかに蟀谷をかすった。
目に火花が散り、足元がよろける。もし芯が当たっていたら、そのまま打ち倒されていたはずだ。
間一髪で踏み止まり、反撃にでた。棒を大きく振り過ぎ、体勢を崩している小吉の右肩を薪で強かに打ちすえた。
「ううッ」
と、大男がうめいて、前屈みとなったところに上段から薪を振り下ろした。
ゴッ。
大将格の小吉が昏倒したことで、ほぼ勝負の先は見えた。浮き足だった残り二人にゆっくりと向き直る。馬鹿面の兄、弥助と美男の弟、倉蔵だ。
──少し間合いが近い。
二度、三度と薪を振り回して、怯える弥助兄弟を数歩退かせた。これでいい。手頃な間合いだ。そのまま一人対二人で睨みあったが、相手は顔面蒼白で、早くも戦意を喪失している。
「おまんら、殴られる腹も据わらねェなら、なぜ丑松にちょっかいだす?」
「………」
「………」
「俺の弟に、百足を突っ込みやがったのはどっちだ?」
「あ、兄貴だァ」
「倉蔵、おまん、嘘つけ!」
弟を睨みつけた兄が、茂兵衛に向き直った。
「茂兵衛、信じてくれ。俺ァ『よしとけ』って言ったんだら」
仲間割れである。見苦しい兄弟だ。いくらとろくても、丑松の方がまだましだ。今まで、二人で悪さをして、弟が茂兵衛に罪をなすりつけたことは一度もない。無論、その逆もない。
「ふん、言うただけで、止めはしなかったんだら?」
「そ、それは……」
ま、どうやら主犯は弟の倉蔵らしいが、兄貴の方も許さない。
「いずれにせよ、おまんらは二人とも屑だら……ほれ!」
弥助の喉に突きを入れた。薪の先端で弾き飛ばされた弥助は「ぐえッ」と低くうめき、畦から刈り入れの済んだ田圃の中へと転がり落ちた。喉を押さえ七転八倒している。
最後に、倉蔵一人が残った。
「こら倉蔵、丑松がおまんになにをした? お?」
「馬鹿松は……や、丑松は薄馬鹿で皆に迷惑かけとるから、俺が総代で折檻しただけで……」
「はあ? 総代で折檻だと? 意味が分からんぞ」
こののっぺりとした優男は、時折、家の近くで見かける。色々と思うところもあり、一度「怒鳴りつけてやろう」と以前から心に決めていたのだ。
薪をかまえて一歩踏み出すと、倉蔵はこん棒を投げ捨て、畦道を逃げ出した。
(この野郎は……)
いたぶりの張本人が武器を投げ出し、傷ついた兄と助太刀に駆けつけてくれた朋輩を見捨て、敵に背中を見せ、浅ましくも逃げて行く。
「まてや、この卑怯者!」
倉蔵のような性根は、茂兵衛の美意識からは到底許しがたいものだった。畦を追いかけ、瞬時に追いつき、ひょこひょこと左右に揺れる頭を慎重に狙って薪を振り下ろした。
「ギャッ」
脳天にきつい一撃を受けた倉蔵が崩れ落ちたのを見て、背後で弥助と小吉が、田圃の中を這うようにして逃げ始めた。
「二度と俺の弟に手を出すな。次は本当に殺すら!」
冬を待つ田圃に、茂兵衛の咆哮が響き渡った。
小説
三河雑兵心得 足軽仁義
あらすじ
喧嘩のはずみで人を殺め、村を出奔した17歳の茂兵衛は、松平家康の家来である夏目次郎左衛門の屋敷に奉公することに。だが時悪しく一向一揆が勃発。熱心な一向宗門徒である次郎左衛門は主君に弓引くことを決意する。立身出世どころか謀反人になってしまった新米足軽・茂兵衛の運命やいかに!?
三河雑兵心得 足軽仁義(2/8)
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