一貫文の永楽銭──一文は八十円から百二十円ぐらい。それが千枚。ざっくり、今でいう十万円ほどの価値であろうか。
 さらに五郎右衛門は二通の封書を取り出し、茂兵衛に手渡した。
 宛名は、一通が勝鬘寺宛てで、もう一通には「夏目次郎左衛門なつめじろうざえもん様」と、ともに達筆でしたためられていた。
「この銭で当座をしのぎながら、丑松を勝鬘寺まで送り届けてくれ。その後、おまんは菱池ひしいけほとりの殿さんに仕えるだら」
「菱池? 岡崎の南側の、あの菱池ですか?」
「うん、六栗むつぐりという集落の御領主でな、夏目様という立派なお侍だ」
「な、夏目様?」
「夏目次郎左衛門吉信よしのぶ様だ。岡崎の松平元康まつだいらのぶやす様の御家来衆よ……や、この七月に家康いえやす様と改名されたそうな。夏目様は、松平家康様の御家来だ」
「はあ」
 なんとも藪から棒の話ではあるが、己が窮状を鑑みると、贅沢ぜいたくは言っていられない。
「俺は、侍になるんですか?」
「それは、おまんの器量次第ら。腕っぷしが強く、腹も据わっている。機転も利く。百姓より侍に向いているとワシは思う。初めは足軽か小者扱いだろうが、百姓と違って手柄を立てれば出世ができる。この乱世、手柄の立てどころはゴマンとあるがや」
 いずれにせよ、迷っている暇はない。出発は早い方がいい。倉蔵の死に激昂した村人たちが、今にもこの家に押しかけてくるかも知れないのだから。
 茂兵衛は丑松の尻を叩き、旅立ちの支度を急がせた。
 旅支度と言っても、荷物は大仰なものではない。
 いつも着た切り雀の貧乏百姓だから、着替えを持参するわけでもない。予備の草鞋わらじを一足ずつと手拭い、家にあるだけの干飯ほしいいと塩を袋につめ、菅笠すげがさをかぶる。後は五郎右衛門からもらった一貫文──それだけである。
 茂兵衛はそれらの品々を打飼袋うちかいぶくろに入れ、父の遺品である槍の先にぶら下げて家を出た。丑松が後に続く。
 ちなみに、打飼袋は細長く袋状に縫い合わせた携行用の物入である。両端が紐になっており、背負ったり、腰に巻いたりする。
 家の前で、母や妹たちに別れを告げた。
「なに、今生の別れってわけでもないら。手紙を書くし、また一緒に暮らせる日がくるやも知れん」
 その日を彼女らが楽しみに待つか否かは別であるが、一応、幼い下の妹二人と母は泣いてくれた──まさか、嬉し泣きには見えない。
 タキだけは一人離れたところにたたずみ、茂兵衛にも丑松にも、一切声をかけようとはしなかった。
 タキと死んだ倉蔵が、互いに好き合っていたことは確かなようで、母も薄々は感づいていたらしい。妹の“いい人”を撲殺してしまった兄──もう生涯、タキとの関係を修復することはできないかも知れない。
 そんな風で、タキと言葉を交わす機会はなかったが、本当は、一つだけ彼女に訊いておきたいことがあった。
 死んだ倉蔵は、丑松を苛めた動機について「薄馬鹿で皆に迷惑かけとるから折檻した」と言っていた。意味不明な言動だと、気にもしないでいたが、倉蔵とタキが互いに好意を持っていたとしたら、妙な話になってくる。
(丑松はタキの兄貴だ。そいつを苛めたら、タキとの仲に響くだろうに……すくなくとも、倉蔵はそう考えるだろう)
 倉蔵は軟派で卑怯な男だが、馬鹿ではなかった。そのくらいの算盤そろばんが弾けないとは思えない。
 倉蔵は死んでしまったし、タキとは言葉すら交わせない現状だ。真相が分かることはないが、茂兵衛なりに想像することはできた。
(タキの奴、丑松への不平不満を倉蔵にこぼしてたのかも知れないなァ)
 茂兵衛が丑松を苛めた村人を殴るので、自分たちまで「乱暴者の妹」と後ろ指をさされる。さりとて、茂兵衛を悪くは言えない。自然、不満の矛先は次兄の丑松へと向かったものと思われた。
「あの薄馬鹿さえいなけりゃ、茂兵衛兄さんも村の衆を殴らんのよ」
 可愛い恋人から不満を聞かされるうちに、倉蔵は「間違った男気」を発揮してしまったのではあるまいか。
(もし本当にそうなら、結局根っこは俺ということだら)
 タキを責めるつもりは毛頭なかった。次兄が原因で長兄が村人に暴力をふるい、結果家族までが世間を狭くしてきたのだ。年頃になった妹が、自分の男に、兄たちの愚痴ぐちをこぼしても、それはむしろ当たり前で、よくあることと茂兵衛には思われた。