真栄田が助手席に回って乗り込むと、新里がエンジンをかけて車を出す。駐車場の出口に並ぶ車列の最後尾に並んだとき、玉城が口を開いた。
「興味深い話をいくつか聞いてきたさ。ひとつは贈収賄でやれそうな話やさ」
バックミラーに映る玉城の目は、酔ってはいてもベテラン二課捜査員らしい怜悧さを取り戻していた。
「対策室でやるような事件ではないでしょう」
「だから二課の連中にくれてやって、向こうの面子も立ててやろう。こっちは偽造を向こうから奪ってるから、ギブアンドテイクってやつさー」
恐らく今日のパーティーは、元より二課への手土産を探しに行っていたのだろう。豪放磊落そうな見かけからは想像できない計算高さに舌を巻く。
「おやっさん、警察じゃなくて外務省に行くべきでしたね」
「復元費も肩代わりなんぞさせずに、俺が解決できたのにな」
本土復帰時にアメリカ側が基地地権者に払うべき復元費を、日本政府が肩代わりしたという疑惑は、この一年ばかり本土と沖縄の双方で大きな議論を呼んでいた。
玉城は愉快そうに笑いながら、新里の方に目をやった。
「ああ愛子ちゃん、この話は内緒やさ」
「はい、大丈夫ですよ。私も琉球警察の一員ですから」
「さすがやさ、若い男の刑事よりもよっぽど信頼できる」
車列が動き出したとき、施設から長身の男が出てきたのが目に入った。四十くらいの整った顔立ちで、整髪剤で撫でつけた髪は若々しく、白いスーツと青いシャツを嫌味なく着こなしている。隣にいるスーツ姿の民間人らしい白人とにこやかに会話している。
「おやっさん、あの今出てきた男、知ってますか?」
「ん? ああ、川平興業社長の川平朝雄さ」
道理で見覚えがあるはずだ。
「川平……二課で、立法院議員の収賄疑惑を捜査したときに名前の上がった奴ですか?」
四年前、沖縄では初となる琉球政府行政主席選挙、第八回立法院総選挙、そして那覇市長選が執り行われた。日本復帰が見えてきた頃で、今後の沖縄を左右する選挙として関心も高く、捜査一課と独立したばかりの捜査二課では過去に例のない選挙対策の捜査陣容を敷いた。真栄田も本部に連日泊まり込んで、所轄署から寄せ集められる疑惑情報をリストアップしていたときに、違法献金の疑いで名前の上がった人物だ。
「そりゃあ、川平は今でこそタクシーやトラック輸送を広く手がける若手企業家だが、戦後に嘉手納でアギヤーとして名を馳せたからなあ。さもありなんさ」
アギヤーとは、米軍への略奪行為のことだ。焦土と化した戦後の沖縄で誰もが極貧に晒されるなか、命知らずの男たちが米軍の警戒網を潜り抜けて、豊富な物資を略奪してきた。
何もかも失った沖縄人にとっては、米兵への痛快な復讐であり、豊かなアメリカ製の生活物資を調達する経済行為でもあり、何より弱き者の窮乏を救ってくれる英雄行為ですらあった。だから略奪物資は「戦果」と呼ばれた。「男は戦果、女は体当たり」、即ちアギヤーと売春のもたらす富で、この島の戦後復興は始まった。
荒くれ者のアギヤーたちはその後、「あしばー」と呼ばれる無頼者となって暴力団を組織した者も多いが、戦果を元手に商売に身を投じ、今の沖縄経済界の礎となった者も数知れない。彼らの多くは今ではアギヤーを忘れたように、親米に宗旨替えした者も多い。
親米と反米を、そのときどきで使い分けてきた沖縄経済界のひとりが、川平だ。
「過去の経歴や交際関係には不明点が多いんですよね」
「ああ、何せ、俺の調べにもなかなか引っかからん奴さ」
長らく経済事犯を担当し、那覇どころか沖縄全土の経営者に精通している玉城ですら、川平については調べきれなかったという。
「暴力団との間でカネの絡む交際が深く、政界に違法な献金をしているらしいと洗ったものの、結局追うのは諦めました」
政治の絡む汚職捜査は、表沙汰になっていない疑惑の端緒を拾い集めるところから始まるが、特に選挙が絡むと、対立陣営が相手を貶めるためにあることないことを喧伝するようになる。玉石混淆どころか、九割九分九厘が嘘と出まかせのなかから、いかに比較的信頼できそうな情報を探し当てるのかが勝負になる。そして嘘やでたらめ、あるいは完全にクロとは言い切れない有象無象の情報のひとつとして、川平の疑惑も立件を見送ったのだ。
「ああいう手合いは叩けばホコリのひとつやふたつ、絶対出てくるもんよ。だがあの歳でここまでのし上がった奴さ。用心に用心を重ねているに違いない。攻めるならじっくりやらにゃならん」
川平と白人が、駐車場の出口でフェアレーンの横を通り過ぎていった。そのとき、こちらに視線を向けてきた。
一瞬のような気もしたが、目が合った。戦後の荒波を巧みに生き抜いた川平の瞳が、お前は何者なのかと、再び突きつけてきたような気がした。
この続きは、書籍にてお楽しみください