いつかはそうなるだろうと誰もが思っていた。一九六五年(昭和四十)に佐藤栄作総理が「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の『戦後』は終わらない」と演説したときから予感はあった。そしてニクソン大統領との返還協定調印に至って、決定的になった。
 二十七年前にアメリカのものとなったこの島は、一九七二年(昭和四十七)五月十五日、すなわち来月、日本に復帰する。米軍占領下の琉球ではなく、日本国の沖縄県になる。
 琉球政府が沖縄県庁、立法院が沖縄県議会になるように、琉球警察は沖縄県警察になる。
 琉球警察は、戦時中に沖縄県警察部が壮絶な地上戦の末に消滅した後、米軍が住民を住まわせた収容所ごとに任命した民警察(CP)がその起源となる。米軍と米国民政府ユースカーの指揮の下に置かれながら、アメリカゆーの島の治安を守ってきた。
 本土の警察とはまったく異なる歴史を歩んできた。その歴史に来月幕を下ろし、復帰後は一県警として日本本土の警察庁の指揮下に入る。
 支配者として君臨した米軍は、五月十五日以降は日米安保条約に基づく同盟国軍となる。沖縄での捜査権限は沖縄県警が持ち、米軍要員が罪を犯した場合も、地位協定に基づいて公務外での犯罪は日本側が身柄を拘束することになるはずだ。
 琉球警察の一員として、復帰に思いを馳せる暇はない。幹部人事や組織改編だけでなく、復帰に伴う社会の混乱を最小限に留めるための任務が待っている。
「五十セントのおつりです。ありがとうございました」
 ワシントンの肖像が刻まれた二十五セント硬貨を二枚、真栄田は受け取った。沖縄山形やまかた屋のロゴマークの入った大きな紙袋をげて、少し離れた所にいる待ち人のもとへ歩み寄る。
「不思議な気分よね。沖縄って日本語なのにドルで買い物するんだから。あなたのお給料だって百何ドルで渡されるのよ、まだ慣れないわ」
 妻の真弓まゆみが横に並んで、眉をしかめながら真栄田の方を見上げる。一五〇センチに満たない小柄な体は、今は腹部だけ丸々と膨れている。
 予定日は六月中旬でまだしばらく先だが、そんな状態で沖縄までの引っ越しに真弓も同行することに、向こうの母親があまりいい顔をしなかったのも、無理からぬ話だ。
「復帰の日に即座に円に切り替わるから、どこの商店も保有現金の確認には細心の注意を払っている頃だと思うよ」
「すごいわねぇ。何億円って現金を一気に切り替えるんでしょ?」
「何百億だよ。正確には五四〇億円が本土から沖縄に持ち込まれる」
 真弓が目を丸くする。
 沖縄社会に、目に見える形で差し迫った最大の荒波が、通貨交換だ。
 単純に米ドルを日本円に切り替えるだけでも膨大な事務作業が必要なのに、昨年一九七一年(昭和四十六)八月十五日、ニクソン大統領が米ドルと金兌換だかんの停止を宣言し、ドルの固定相場制が一気に崩された「ニクソン・ショック」が、沖縄を飲み込む大津波になった。
 円ドル為替かわせは一ドル三六〇円から一気に三〇八円に変動し、ドルで築いた富の価値が円換算で十六パーセントも目減りしただけでなく、本土から輸入する生活必需品が突如高騰した。
 復帰しても基地はなくならず、基地に関わる費用を巡る疑惑も払拭されないなかの経済的な打撃に対し、各地で抗議運動が起きた。復帰に対する沖縄人の幻滅が広がっては困ると、慌てた琉球政府と日本政府は、ドル資産を旧レートで補償する施策を実施した。昨年十月九日に全土で抜き打ち的に全金融機関の保有資産を確認する離れ業をやってのけ、軟着陸を図っている。
 それでも、本土からの輸入品は相変わらず高騰している。強引な解決策に沖縄人の意見は十分反映されなかったという不信感も漂う。そして交換作業を好機と見た偽札や詐欺などの犯罪の可能性は膨らむばかり。
 この紙切れの魔力に、沖縄も日本もアメリカも、誰もが踊らされている。
 真弓はそんなことを知る由もなく、無邪気に笑う。
「おっかないわね。だって、三億円事件の二〇〇倍くらいよ? それを一気に交換なんてできるの?」
「できるように、今俺たち警察が必死に準備してるんだよ」
 四年前の一九六八年(昭和四十三)、東芝社員のボーナスを積んだ日本信託銀行の輸送車が、白バイ警官を装った男に呼び止められた末に車ごと現金二億九四三〇万円を強奪された三億円事件。現在も犯人が見つからず、警視庁では三年後に迫る公訴時効に向けて解明に全力を注いでいる。
 現場となった東京の府中刑務所のあたりは真弓の実家のある国分寺からすぐ近くで、今も街中にはモンタージュ写真の人相書きがあちこちに貼られている。真弓にとってはよほど身近な事件なのだろう、ことあるごとに三億円事件を引き合いに出す。
 山形屋正面の出入り口に歩み寄ると、ガラス戸の向こうは群衆で埋め尽くされていた。
 ――沖縄経済処分に断固抗議する!
 ――基地も核も要らない!
 ――不当な基地従業員解雇反対!
 シュプレヒコールが響き、強い筆致ひつちの横断幕やのぼりが目に飛び込んでくる。沖縄社会に影響力を持つ教職員会や、基地従業員の解雇に反対する全軍労(全沖縄軍労働組合)、さらにはベトナム戦争反対を本土で訴える市民団体、ベ平連の旗も見える。
「ずいぶんと大規模なデモをやってるのね」
 山形屋の面する国際通りはデパートや映画館が立ち並ぶ那覇一番の繁華街で、西に行くと琉球政府本庁や那覇市役所、そして琉球警察本部庁舎の集中する泉崎いずみざきの官庁街もある。一般人の多い国際通りで示威じい行為をしてから官公庁の前に向かっていくのだろう。
「今日は四月二十八日で、沖縄デーだからね」
「ああ、東京でもここ最近は激しいものね」