1972年春。本土復帰を控えた沖縄では、流通していたドル札を円に交換する必要があるため、島中の現金を回収していた。その矢先、現金輸送車が襲われ100万ドル(当時のレートで3億円以上)が奪われてしまう。

 

 本土復帰の直前に起こった事件は、高度な外交問題に発展しかねない。そのため琉球政府および琉球警察上層部は日米両政府に秘匿したまま、極秘裏に事件を解決するよう指示を下した。任務をうけた警部補は、様々な葛藤を抱えながら事件解決に挑むが……昭和史ミステリーの新鋭が描くノンストップサスペンスがついに文庫化!

 

「小説推理」2022年6月号に掲載された書評家・大矢博子さんのレビューで『渚の螢火』の読みどころをご紹介します。

 

■『渚の螢火』坂上泉  /大矢博子 [評]

 

 本土復帰間近の沖縄で100万ドル強奪事件発生! 事件の背後に沖縄の苛烈な歴史と現実が浮かび上がる──。昭和史に向き合う琉球警察小説誕生。

 

 2022年5月で本土復帰50年を迎えた沖縄県。当時の朝ドラでもその時代の沖縄が描かれたりと、そのタイミングであらためて注目が集まっていた。坂上泉『渚の螢火』もまた、復帰間近の沖縄が舞台だ。こちらは手に汗握るサスペンスである。

 

 1972年4月28日。琉球銀行の現金輸送車が襲われ、100万ドルが強奪されるという事件が起きた。本土復帰にあわせて米ドルを日本円に切り替えるため、島内に流通している米ドル札を回収していた最中の出来事だ。日本円にして3億6000万という被害額もさることながら、アメリカに渡すべき米ドルの欠損は外交紛争を招きかねない。

 事態を重く見た琉球警察幹部は緘口令を敷き、この事件をごく一部のみで秘密裏に捜査・解決することを命じた。その班長に任命されたのが、警視庁への出向から帰ってきたばかりの真栄田太一である。しかし彼のもとに集められたのは退官間際の上司、真栄田のことを嫌っている元同級生、まだ若い巡査に女性事務員という4人だけ。タイムリミットは本土復帰当日までの2週間あまり。はたして彼らは無事にドルを取り戻すことができるのか──?

 

 見つけたと思ったら逃げられ、追い詰めたと思ったら思いがけない展開に邪魔される。二転三転する状況、最後に待つ意外な真相。円ドル交換のような本土復帰にまつわる情報の興味深さもあり、読み応えは抜群だ。

 しかしなにより読者の心を摑むのは、沖縄という場所に課せられた過酷な運命である。琉球王国が日本の領土になり、沖縄戦で焼かれ、アメリカの占領下に入り、そしてまた日本に戻る。政治に翻弄され続ける中、基地からの略奪と売春で生きるしかなかった戦後。本土に沖縄県人に対する差別がある一方、沖縄県内にも分断がある。著者は沖縄の様々な現実と真栄田のアイデンティティの悩みを通し、他のどこの県とも違う、苛烈で過酷な沖縄の歴史を浮かび上がらせた。それこそが本書の核だ。

 沖縄は政治の道具ではない。そこに生まれ、生きてきた人たちがいるのだ。復帰は琉球人が戦って勝ち取った権利なのか、という日系アメリカ人の問いに対する真栄田の言葉が印象的だ。「我々沖縄も27年、戦ってきました」「日々の生活を営み、社会を立て直していくという戦いです。勝者には見えないでしょうが、これが敗者の、決して楽ではない戦いです」

 復帰50年が経過した今だからこそ、あらためて見つめ直すべき問題が本書には詰まっている。