最初から読む

 

 

父は子供にブチギレられた思い出すら美化する

 

 現在大学2年と高3の娘を持つ僕ですが、「叱る」ということをしなくなりました。

 なぜか?

 もう、言ってわかる年齢になってるからです。

 娘が朝起きれなくて、寝坊したとき。話し合います。一緒に「なんで寝坊した?」の原因を探って、改善策を考えさせます。

「目覚ましをセットし忘れた」

「朝起きた時点で翌朝のセットはできるでしょう」

「では、帰ったらやるようにします」

「そうしてください」

 言い方はもっと柔らかいけどね。そんな感じ。ただ、ここに来るまでが長かったです。幼稚園に入る前は、何をやっても褒めてました。立っただけで大喜び。歩いて嬉しい。

「自分でスプーン持ってご飯食べれるの! すごいねぇ!」

 うまくできなくてスプーン投げても、まぁ可愛い。それが今や、

「いつまで食べてんの、片付けられへん」

 です。

 もう、子供時代を思い返すと申し訳なくなる。幼稚園に入ったら、団体行動で時間制限が生まれます。登園の時間があるからね。

 今も思い出します。幼稚園に連れて行くと、それだけで泣く。それはそうです。子供からしたら、「なんで置いていくの!?」やと思う。それに慣れさす為に、英語の塾みたいなのにも入れてみたけど、毎回泣いてた。

 さらに、お迎えに行くと「もっと遊びたいねんけど」って感じの顔で出てくる。幼稚園に入っても、やっぱり置いて行かれるっていうのに慣れへんねやろうな。すぐ泣く。なかなか納得してくれなくて愚図るから、いつも先生が連れていってくれてた。

 もっと言うと、僕が仕事に行くだけで泣いてた。

 玄関で泣き疲れて寝てる動画が妻から送ってこられたりもした。今や、僕が出かけるときには、「てらっさー」と略した“行ってらっしゃい”の声が聞こえるだけ。ええねんけどね。

 それでも、幼稚園でだいぶ変わりました。性格が変わるっていうよりも、性格が足されていく感じ。最初は笑う、泣くだけだったのが、“怒り”が出ました。別の子供のを見て覚えて、自分もやってみよう、と思ったのかな。

 走れるようになると、危ないところに“飛び出す”という状況が増えてきます。なので、こっちも“叱る”ことになります。

 娘が道路に飛び出そうとして、慌てて止める。帰宅したあと、車の前で話します。

「飛び出すと車に当たるんだ、だから危ないからやめてね」

 自分の車で説明します。

「ここ(バンパー)、硬いよね。ここに当たるんだよ。これ叩いてみ、硬いよね。これがすごい速さで当たるの。2階から落ちてきて、長女ちゃんに当たるって考えたらどう? 痛い? 痛いよね。パパは腕伸びたりしないし、こればっかりは止められないんだ。もし信号を守らない車がいたらどう? 当たるよね。だから、横断歩道はちゃんと右見て左見て、車がいないか、止まってるかを確かめてから進むの。飛び出したらダメなの」

 ……って、冷静に教えたいところやけど、その場でもやっぱり叱る。

 以前、そんなふうに道端で叱ってるところを、車で移動中のキャイ〜ンの天野くん(当時独身)に見られてたらしくて、声かけてぇやと言うと、

「叱ってるパパ中の有野に声かけられないよ!」

 と言われました。なんか恥ずかしかったです。

 

 さて、娘が小学校に上がると、さらに性格は複雑になります。

 僕としてはなんでも答えられる父親像を目指してるので、勉強を教えます。どこが分からないか考える、これが楽しかった。

 まずは分からないという問題を見る。次に、分かる問題を見る。そこで、違いを探す。例えば、1桁の計算はできるけど2桁になるとできない。繰り上げが分かってないんだと判明する。どうやって教えようか。爪楊枝を使って、10本の束を輪ゴムで作らせてみよう。こんなふうに、数字を可視化させると分かりやすい。この発見が楽しかった。

 運動会で長縄跳びをやることになったけど、うまく縄の中に入れなくって、どうしたらいいのかと悩んでいたとき。家に長縄はないので、文房具屋さんで縄跳びを2個買った。繋げて、生垣に結ぶ。

 跳んでと言うけど、跳べない。なるほど。

「長女ちゃん、引っかかるのが怖いか? せやろな。でも、縄を握ってみて。怖い? 切れた? 切れへんやんな。これ、引っかかっても足は切れません」

 分かってるよって笑いながら言う長女。

 今度は、クリーニング屋さんでもらう針金ハンガーをΩ型に曲げて示す。

「これが縄ね。で、これが回ります。縄についていくと、勝手に入れます。指でやってみ。な、簡単。やってみよう」

 すると、落ち着いて縄を見て入れるようになった長女。どっち回りでも入れるようになった。

 後日、帰宅して、「先生に褒められた!」と報告をもらう。

「有野さんができるようになったから、できなかったみんなにも火がついて、みんな飛べるようになったって!」

 この辺から、子供が褒められると、自分の事みたいに嬉しくなって、後輩やらマネージャーも育てられるモードになった気がします。遅いけどね。

 

 僕の理想は、子供の疑問に答えられる父親。

 でも、小学校も高学年になると、勉強の難易度が上がります。

 分からないという問題を見ると、半円の中に三角形が入ってて、その三角形からはみ出た弧の部分の面積を求める……難し!

 半円引く三角と思うけど、と思いつつ検索。説明を見て、なるほどと思いながら、自分でネット内の他の練習問題を解いてみたりする。その間長女は別の宿題をやってる。1時間後。

「分かった、教えます」

 と、そんな教え方してました。これが中学に上がったらもう無理やと、塾に頼って、高校に上がったら、もう勉強について教えられるものは何一つなくなった。かと言って、トホホな感じではありません。日常のなかで、「こういう場合どうする?」って問題を出します。

 例えば、近所の地理について。よく行く街の地理が全く分かってないのが分かった中学時代。駐車場を出て、ここからあの店まで、今日は子供に先頭で歩いてもらおう。

「途中にあるものを思い出して歩いてみて。地図があるよ、見てみようか」

「ロータリーあるよ、ってことはどっち向きに行けばいいかな? 行ってみよう。なんか違うねぇ」

 とかね。

 例えば、ニトリで家具を買ったら、組み立てからドリルの使い方、“ドライバーのネジ止めは2個目は対角線に甘めに締めて、最後にキツめに締める”とかも。

 作業場は広めに用意する、包みの段ボールを敷いて作業台にする、カッターを使うときにもいらない段ボール使うとか、細々と教えていきます。

 こんなふうに、高校に入ったら生活について教えることが増えました。エスカレーターで降りてる最中、下がみんなゾンビだったらどう逃げる? パパだったら、まず棚を倒して、道を作るかな。

 生きる術を教えるようになりました。良い父親でしょ?

 

 そんな僕ですが、長女に「パパ嫌い!」って、泣きながら言われたこともありました。

 宿題を始めるのが遅い長女に、

「早くしないと風呂上がりは眠くなるから無理やろ、ご飯前に終わらせよう」

 とか細々と言うてたら、食堂のテーブルで勉強してた長女が立ち上がって、

「パパ嫌い!」

 って子供部屋に駆け込んでいって、食堂がシーンとなったとき、次女ちゃんが、

「おとしごろだねえ」

 って言って、和やかになったよね……って思い出を家族に話しました。

 すると、実際はどうやら全然違ったようで。長女曰く、

「勉強してる私に、しつこく邪魔してきたんだよ」

 そうそう、と頷く次女と妻。

「で、“パパ大嫌い!”とは言ったね。“嫌い”じゃなかったよ」

「そうそう、大嫌いだったね」と、笑ってる次女と妻。

「で、“おとしごろだねぇ”は私言ってないよ」

「じゃあ、誰が言ったの?」

「知らないよ」

「パパが言って欲しかったのかなー」

 記憶って信用できませんね。大人だって、覚えるのは苦手なんです。